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zoom RSS 人生に訪れる様々な苦しみとその解放(詩編107:1-32)

<<   作成日時 : 2017/12/17 12:55   >>

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1.神様に対する信仰(1-3):
神様の恵みは永遠であり、慈しみ深い方であることを覚えるべき。だから私たちはいくら何があっても、どんな罪を犯したとしても再び起き上がり祈ることができる。赦しを求めることができる。悪魔は、その赦しを邪魔し人間に神に近づくのを妨害する。

2.苦しみの種類:
生きている人間が苦痛から完全に逃れる方法はない。苦痛は、神様の方に引き止める綱である。神様の愛の一つで神が私たちと共にしたいという願いの現れであり、私を愛しているという印。もちろん、苦しみは自然なことでもあるが、同時に人間がみことばだけでは悟れないときに、人間を覚ますために神様から与えられるむちの時もある。

 1)(4-9) 荒野や荒れ地で最悪の環境(訓練のために神が与えてくださった)

 2)(10-16) 暗黒や闇に縛られる苦しみ(神のことばに逆らい、神を侮ったことからくる)

 3)(17-22) 罪悪による悩みと苦しみ(自分の罪や悪がもたらした)

 4)(23-31) 世の波の苦しみ(試練として存在する)

人間の苦しみは、1)信仰の訓練の中で生まれること(4節)、または2)神への逆らいや不従順による苦しみ(10節)や3)罪や悪がもたらす苦しみ(17節)、4)人生の生き方や働き(25節)の中で生まれる苦しみ。 1) 4)は、希望があり約束がありうえ渇きがあるが、2), 3)は破壊的で自分と神に恥をかかせ、多くの人や自分、神に傷をつける。2), 3)は私たちの罪や不従順、堕落がもたらすが、1)と4)はそうでもない。

3.苦しみに対する人間と神様の対応:
人間が苦しくなると、出てくるパターンは決まっている。4つの全部に共通する。誰もが苦しくなると、おのずと神を求めるようになる。

<苦痛>>叫ぶ>>主の助け>>主への感謝、賛美>

 1)人間の叫びと神様の必然的な救い
6節 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救い出された。
13節 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。
19節 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から救われた。
28節 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。

8節 彼らは、主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。(15,21,31)

 2)神様の具体的な答えと助け
;7節 また彼らをまっすぐな道に導き、住むべき町へ行かせられた。
14節 主は彼らをやみと死の陰から連れ出し、彼らのかせを打ち砕かれた。
20節 主はみことばを送って彼らをいやし、その滅びの穴から彼らを助け出された。
29節 主があらしを静めると、波はないだ。30波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。

4.人間の堕落(神に逆らう、不従順)の苦しみ
 2)(10-16) 暗黒や闇に縛られる苦しみ(神のことばに逆らい、神を侮った)
 3)(17-22) 罪悪による悩みと苦しみ(自分の罪や悪がもたらした)

きょうは、2の1)、4)はさておいて、2)、3)を中心に考えてみたい。
人間は、堕落と神様に戻ることを繰り返す。誰もがそうである。イスラエル民族もそであるし、私たちもそうである。(士師記でもイスラエルは約40年周期で堕落と回復を繰り返す。分裂王国のイスラエルの王、民族も同じで堕落と回復を繰り返すが、だんだん、罪や悪に対する信仰教育がなくなると、堕落期間が長くなり回復が遅いかできなくなる。この堕落をなくすか短くするためには、やはり交わりや祈り、みことば、教会生活などが必要である。こういうのがなくなると、堕落への歯止めがなくなり、堕落自体に気づかなくなるのが問題である。皆さんが、熱心に主のためにもがきをするときは、堕落しないが、むしろ、快楽、交わりのなさ、聖書も祈りもなくなると本当に危ない。

例1)志士記(40-50年ごとにイスラエル民族は堕落と回復を繰り返す)

   ●イスラエルの王たちの例、南ユダ王国のヨラム王の不信仰や不従順とその懲らしめ。

2歴代21:14, 15;ヨラム王の子供と妻の捕虜、自分の財産が破壊された。21:18には、ヨラム王は病死するようになる。次のアハズヤ王の不信仰とその懲らしめは、22:9にあるが、その王はエフーに殺されるようになった。
神様に逆らう生き方が果たして幸せになれるか。神に逆らいながら自分の欲を追いかけて生きるのが幸せなのか、それとも自分の欲に逆らいながら神の御心を追いかけて生きるのが幸いなのか。いうまでもない。人間が自由を求めて信仰から神から離れるが、それは自由や解放、幸せをもたらすのではなくむしろ、欲の奴隷、快楽や中毒の奴隷、お金の奴隷に転落するようになる。もっと厳しい代価を払うようになる。

例2)パウロの場合(使徒26:14)
私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。

ユダヤ教を信じ、イエス様を迫害し続けたサウロは、ある日路上でイエス様の声を聴き、キリストの弟子となる。その時に、イエス様が言われたのが、あなたのすることは、あなたのためになるのではなく、結局あなた自身を痛めるだけであると警告された(牛が抵抗するときに加えられる鉄のむちは暴れるほど自分が痛くなるだけ)。人間が神から離れ、逆らって生き続けることができるだろうか。魚がずっと水の流れにさかのぼり続けることができるか。そこには限界がある。それに幸せはない。一瞬さかのぼることはできてもずっとはできない。わたしたちも同じである。神に逆らい続けるのはできないし、できたとしてもそれはひどい結果をもたらす。

例3)マタイ7:24−27
24だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。25雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。26また、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。27雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」

神様を知り、その神に従っていきる生き方が土台となった人は、岩の上に建てられた家のように揺るがない。しかし、神に逆らい、不従順し、神を侮るような生き方が土台となっている人の人生は、実は砂の上に建てたかのように本当にもろい。だから倒れ方がひどい。ある人は、神様に逆らい続け、神から適度な距離を保ち自分勝手に生きる人がいる。その生き方を見ると、平安がなく、苦しみがなくなる日がない。希望も顔も暗く神へのもがきもない。悟るべきなのに、苦しみからも学べなく神に戻らない。新しい年には、しっかい神中心に生きる生き方へ変えていきましょう。

5.苦しみからの解放のためにすべきこと
 1)切なる叫びの祈り:当然祈るだろうが、切なる祈りを続けるべき
 2)神様のみことば(20):祈りも要るが、みことばを通して癒されなければならないのでみことばに励む。
 3)悔い改め:不従順や罪悪を反省し悔い改める。
 3)慈しみ深い神を信じ、賛美、感謝する:苦しみの中でも神を信頼し賛美と感謝をすべきである。

6.実践
@あなたが今経験している苦しみは4つのうちどれだと思いますか。
Aあなたがこういう苦しみの時にすべきことは
B神に逆らい、罪悪を犯すことで持たされた苦しみがあるならば、そこから悔い改めます。
C信仰堕落や停滞から守るためにあなたが努力すべきことは。

7.祈り
神様、きょうは信仰者にくる苦しみとその意味、解決について学びました。まずは、どんなに苦しい時でも神様の変わらぬ恵みと慈しみを信じることができますように。また、苦しみの意味を知り、自分のとるべき態度を取り、自分を一新することができますように。特に、自ら神に逆らい不従順することによる苦しみ、また罪や悪を犯すことでもたされる苦しみから解放されますように。とげのついた棒をけるような、無駄で自分を痛めるような不信仰に自分をさらすことがないように。信仰へ、神へ、交わりへ、祈りへ、みことばへのもがきをください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

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