共感を失った人々(マタイ11:16-19)

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16.この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、
17.こう言うのです。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』
18.ヨハネが来て、食べも飮みもしないと、人々は『あれは悪霊につかれているのだ。』と言い、
19.人の子が来て食べたり飮んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飮み、取稅人や罪人の仲間だ。』と言います。でも、知惠の正しいことは、その行ないが証明します。」


人間はありのままを認められて生きる存在である。自分の存在に対する承認をもらいたいと願うのである。豚は美味しい食べ物を一杯食べるだけで満足する。しかし人間はそれだけでは決して満足できない。やはり存在そのものに対する承認、そして自分の社会的な承認をもらいたいと願う。存在に対する承認とは、自分のありのままへの承認であり、社会的な承認とは名誉、学歴、業績、人気などである。この存在的な承認をもらっていない人は社会的な承認を得るのにもがくようになる。その一つが、高級車やバッグ、ダイヤなどを通して自分の社会的な存在を承認されることを選ぶ。それによって自分の存在に対する承認を埋めようとする。それができないと人間は限りがない欲求不満によるもがきをするようになる。

特に現代は、人間と人間よりも、物や機械との対面が多くなり、どうしても人間関係が薄くなってしまい、そこから数々の問題が生じている社会である。

それで、人間は共感者である友たちを作ろうとする。そして結婚しようともする。自分の存在の承認をこういうことを通して得たいと願うのである。そこで自分に共感するものが現れると人間はうれしくなり、その共感者と意思疎通をするのである。

したがって、人間が一番悲しいことは共感を得られない、寂しいときのことである。
なんとなく言うひとつのことばが、共感ではなく反感を買ってしまう。
たとえば、
妻が会社から帰ってくる夫に向けて、“最近お金もあまり稼げないのに夜はなんでこんなに遅いの?”ということば、
“あなたは家でコロコロして、一体何をしているわけ? 家は汚くて意味が分からない”という夫の一語、

算数の点数が低かった子供が始めて70点を取ってきて自慢げにお母さんに報告すると、
“今回は問題がえら易しかったかな?”とひねるお母さん、
それで、80点取ってきて報告したら、“隣の新太郎は何点?”と皮肉する。
さらに、100点取ってきたても、“油断するなよ、すぐ落ちるからね”というお母さんの態度。

愛の具体的な表現は、簡単に言えば共感すること、承認することから始まる。小さいときに承認され、共感をたくさんもらった子供は大人になっても不満にはならない。だから今小さい子供を持つ、皆さんは小さいときにしっかり教育することが大事である。粘土がやわらかいときに、形を作るべきである。

すでに承認された子は、あまり人間からそこまで共感を得ようとはしない。満足しているからである。しかし存在の承認を小さいときに十分もらっていない子はずっと共感や承認を得るために力を消耗するようになる。しかしl共感を得るためにあまり奮闘しすぎると、逆にそれが共感のところか反感を買ってしまうのである。大人であれ、子供であれ、自分の存在承認ができていない人は、様々なことを通して自分の確認、存在確認をする。事件を起こして自分を承認されたくなる。

しかし、残念なことに人間には実に完全な共感者がいない。みんなが共感されたいと思うのであり、そこまで完全な共感者は一人もいない。だから先ほど話したように共感ではなく反感につながってしまい、益々悪くなる悪循環が生まれる。

しかしながら私たちは共感力を高めるために努力する必要はある。大体共感力を高めるのをあげてみる。次のようなことは、共感力を高める要素である。

1) 承認された経験
2) 苦しみの経験
3) 対話の技術

今のあなたの厳しい苦しみは、他人への共感力を高める大事なことである。それで神は私たちに試練を与える。そう言う意味では、あなたの今の苦しみや試練は、同じ苦しみに逢っている人への共感のために重要なことであり、他人を癒すための使命を受けたと思ってもよいだろう。

対話の技術も少し開発する必要がある。その一つだけ、話します。
子供が、“お母さん、お腹すいたよ”と言ったら、“あなたのお腹はどのくらい大きいだろう“と言うのではなく、”そうか、今お腹がすいているわけだね“と繰り返すことで感情の共感を示す。妻が、”きょうは寂しかった“と言ったら、”あなたは家で何もしていないくせに寂しいなんて“と言わずに、”あ、そうか、きょうは寂しかったということだね“と繰り返すことである。それによって感情の共感を高めることができる。

終わりに、ここに人間のすべての弱さや飢え乾きに完全に共感してくださる方を紹介したい。彼の名前は、あなたの夫でもあなたの妻でも、あなたの友でもない。その名は、イエス・キリストである。その方は、神でありながら、弱い、罪深い人間を愛したゆえに、つまりあなたを救うために、数々のあなたへの共感を示してくれた。

まず、彼は人間に共感するために、神であったのに人間の体をもって生まれたのである。それによって人間のすべての苦しみや誘惑を受け、罪深い、弱い人間に深く共感することができた。同じ境遇に置かれてみて初めて同じ境遇の人を一番共感できるからである。

主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。(ヘブル2:18)

また、もう一つは、そのイエス・キリストは、人間を救うために人間の、いやあなたの罪を背負って十字架の上であなたの身代わりに罪の罰を受け、あなたを償うために死んでくれました。あなたが死後、罪の罰を受けることをしなくてもよいようにするためである。そこまでイエスは人間の救いのために自分のいのちまでもささげてくれた。それなのに、未だに人間はそういうキリストの限りない共感を無視している。

しかし 私たちがまだ 罪人であったとき, キリスト が 私たちのために 死んでくださったことにより, 神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:8)

このような内容が含まれているのが、ゴスペル歌である。ここにもファミリゴスペルの方が何人かがいます。イエス・キリストが人間を愛したゆえに、人間を救うために、自分のいのちまで十字架に捨ててくれたという内容がゴスペルである。

しかし、こういう最高の共感者であるイエス様に対する私たち、人間の反応はどうだったでしょうか。

こう言うのです。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』マタイ11:17

これが今の日本の現実である。ただ大きな理由は聖書を、キリストを知らないからである。いくら十字架であなたの罪を背負って死んだとはいえ、その事実を知らないとそのキリストに共感することができない。
だからできれば教会や聖書に触れることはとても大事なことである。あなたの罪や死後がどういうことなのか、安易に考えることなく、聖書の声に耳を傾けるのはよいのでは。

最後にイエス様はこう話す。

すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)

この方は、あなたへの最高の共感者であり、あなたを一番よく知っている全知全能の神である。その方はあなたよりもっとあなたの罪のことや死後のことを心配し、あなたのために十字架で死んでくれたのである。その方はあなたの人生はきっと意味があると、あなたを承認している方であり、あなたに一番共感を送っている方である。ことばだけではなく、いのちを十字架であなたの罪の償いのために捨ててくれることによって、あなたへの共感を証明してくれた方である。その方にあなたの少しでもいいから共感を示してみませんか? して得するのはあなたであり、しなくて損するのももちろんあなたである。聖書に耳を傾けてみてほしい。この世の人々は誰一人あなたに共感してくれないとしても、あなたを造り、あなたを一番よく知っている神様やイエス様をあなたに一番の共感を送って、承認していることを知ってほしい。その方から共感を受けることができれば、一般の人からの共感はそこまでこだわらなくても済むだろう。限りのある人間に、夫や妻、同僚に共感を求めすぎて逆に反感を買ってしまうよりは、神にまず共感され、承認されることをお勧めします。
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