祈りの力:平凡が非凡に非凡が平凡に変わる(マルコ9:23-29)

祈りの力:平凡が非凡、非凡が平凡になる(マルコ9:23-29)
人が成長し、家庭を持ち、会社の責任が多くなるにつれて祈りの課題も多くなるのである。神様は私たちに最高の祈りという武器、力、解決策を与えてくださった。したがって、これさえあれば人間は生きていけるし、最高の人生を生きることができるとも言えるだろう。しかし、この祈りについて多くのクリスチャンもなかなかそれを用いることができず、苦しく生きている。または問題が起きても祈りでそれを解決する姿を見せない。というのは普段から祈りの訓練ができていないからである。いざと問題が起こってもその時は難しい。

私たちは普段いつもしていることについてはあまり祈らず、何か重大なことや特別なことを中心に祈りをするが、実は平凡なことのためにも祈る必要がある。そうすると、平凡なことのなかで神様は非凡なことを行うからである。そうでないと、平凡なことから悪い方向の非凡なことも出てくるからである。祈ると、神様は平凡なところに神の恵みで色を塗り、様々な飾りをつけてくださり、輝くようにしてくださる。また反対に非凡なこと、つまり人間ではなかなか解決できない問題であっても、祈りをすると、それが平凡なことのように、何でもない問題のように解決されるようになる。したがって、祈りをすると、平凡なことは非凡なことに変わり、非凡なことも平凡なことに変わるのである。これが祈りの力である。祈れる人には平凡も非凡もない。

そこで私たちもぜひ祈りの素晴らしさに目覚めてほしいということで聖書に出てくる様々な祈りについて紹介しようと思います。これらの祈りを実践してみれば、多くの恵みに合うだろう。祈り三昧を味わってみたいと思う方は以下の祈りの中で可能なことから実践してみてほしいと思う。

<聖書に出てくる様々な人の祈り>


1)誓願祈り(1サムエルsamuel1:9-11): 神様に答えられた時、自分がどのようにその答えに感謝を示すかを約束して祈る。自分の条件を付けて答えを求める祈り。
1:9シロでの食事が終わって、ハンナは立ち上がった。そのとき、祭司エリは、主の宮の柱のそばの席にすわっていた。10ハンナの心は痛んでいた。彼女は主に祈って、激しく泣いた。11そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そして、その子の頭に、かみそりを当てません。」

2)徹夜祈り(ルカLuke6:12):重大な問題をもって夜通しで祈り続けること。
6:12このころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈りながら夜を明かされた。
13夜明けになって、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び、彼らに使徒という名をつけられた。

3)嘆願祈り(詩psalm35, 74):自分の心の感情や痛み、苦しみのありのままを控えることなく神様の前に吐き出しすっきりする。

35:4私のいのちを求める者どもが恥を見、卑しめられますように。私のわざわいを図る者が退き、はずかしめを受けますように。5彼らを風の前のもみがらのようにし、主の使いに押しのけさせてください。6彼らの道をやみとし、また、すべるようにし、主の使いに彼らを追わせてください。7まことに、彼らはゆえもなく、私にひそかに網を張り、ゆえもなく、私のたましいを陥れようと、穴を掘りました。8思わぬときに、滅びが彼を襲いますように。ひそかに張ったおのれの網が彼を捕え、滅びの中に彼が落ち込みますように。

4)断食祈り(申Deuteronomy9:18 マタイMatthew4:2):食べ物を絶って欲をなくしきれいな心で集中して祈る。
そして私は、前のように四十日四十夜、主の前にひれ伏して、パンも食べず、水も飲まなかった。あなたがたが主の目の前に悪を行ない、御怒りを引き起こした、その犯したすべての罪のためであり

5)特別祈り(エステルEster4:16):期間を定めてある問題や行うわざのために祈ることで期間が終わると祈りを終了する。
「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」

6)瀬戸際祈り(創世記Genesis32:24-28):ヤコブのように自分の目の前の重大、絶体絶命の危機の前に問題解決のために神様にしがみつき、答えられるまで祈り続けること。
24ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。25ころが、その人は、ヤコブに勝てないのを見てとって、ヤコブのもものつがいを打ったので、その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた。26するとその人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」しかし、ヤコブは答えた。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」27その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は答えた。「ヤコブです。」28その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ。」

7)早朝祈り(マルコLuke5:15-16, Mark1:35):普段の日常のこと、平凡なことのためにも祈る。

5:15しかし、イエスのうわさは、ますます広まり、多くの人の群れが、話を聞きに、また、病気を直してもらいに集まって来た。16しかし、イエスご自身は、よく荒野に退いて祈っておられた

1:35 さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。

8)矢の祈り(ダニエルDaniel9:23):長くは祈れないけど、その時その時刹那に素早く祈る。
あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれを伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、幻を悟れ。

9)共なる祈り(マタイMatthew18:20):2人以上が集まって心を合わせて祈ること。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」

10)みことば祈り(ダニエルDaniel9:2-3,1歴代Cronicles17:25):聖書のみことばに基づいて祈るともっと力強く祈ることができる。
ダニエル9:2すなわち、その治世の第一年に、私、ダニエルは、預言者エレミヤにあった主のことばによって、エルサレムの荒廃が終わるまでの年数が七十年であることを、文書によって悟った。3そこで私は、顔を神である主に向けて祈り、断食をし、荒布を着、灰をかぶって、願い求めた。

1歴代17:25わが神よ。あなたは、このしもべの耳にはっきり、しもべのために家を建てようと言われました。それゆえ、このしもべは、御前に祈りえたのです。

11)敵対祈り(マルコMark9:25-27、ヤコブJames4:7-8):悪魔に対抗し立ち向かう祈りであり、悪魔を追い払う祈りである。イエス様の権威をもって悪魔に対抗し立ち向かう。
マルコ9:25イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。「おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない。」26するとその霊は、叫び声をあげ、その子を激しくひきつけさせて、出て行った。するとその子が死人のようになったので、多くの人々は、「この子は死んでしまった。」と言った。27しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった。

ヤコブ4:7ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。8神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。

12)権威宣言祈り(癒し・問題・自然・環境の変化や解決を命じる)(ヨハネJohn5:5-9、マタイMatthew8:24-26):病気を癒すか、問題や自然、環境の変化を求め命じる祈り。

5:5そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。6イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」7病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」8イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」9すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。

8:24すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。25弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」26イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。

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この記事へのコメント

とんぼ
2017年06月09日 12:24
祈りとは、最初からすぐに上手く出来るものでは無いのかもしれませんね。
スポーツや習い事と同じで、普段から習慣的に繰り返すことによって徐々に上達していくものなのですね。。 私は「正しい祈り」にこだわり、頭で難しく考えすぎて「素直に実践する」ことを避けていました。
下手な祈りでもいいのですね。出来る限り事あるごとに祈ることによって「力のある祈り」が出来るようになると思いました。 ありがとうございます。
2017年06月09日 13:35
そうですね。祈りは形式にとらわれたりする必要はありません。神様は信仰をもって祈るかどうかが大事であって他のことはあまり考えていなくてもよいと思います。自分の心のありのままで祈ることです。もちろん、神様の御心が明らかに分かるならばそれに沿ってするほうがよいでしょうが、それは誰もが限界があるので完璧にはできません。また、神様はしっかり判断してよいものをくださいますから最初から遠慮する必要もそこまではありません。祈りは少しずつしていきながら益々上達するのでまずは、行うことですね。独り言でもよし、静かに黙祷でもよいし、大きな声を出してもよいし、問題は信仰をもって心からすることです。それと、信仰生活は一人では力が出ないこともあるので、できればこれから健全な教会を探すか、そういうクリスチャンに出会って共に交わり等をしたりするとよいかも知れません。これからの信仰生活がもっと楽しく祝福されますように祈ります。

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