井戸で得た新しい人生(ヨハネ4:1-18)

1.背景
4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。

9 そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。―ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。―


イスラエル人によるサマリヤ人へのひどい差別があった。
不通は、ユダヤ、またはエルサレムから上の地方、ガリラヤなどに行くときは、サマリヤを通るのが近道なのに、わざと遠く回っていく。イエス様と、サマリヤ人女の間には普通は考えられない壁がある。その上に男女の違いなど、普通は接触ができない関係である。さらに、この女は、道徳的な問題があり、サマリヤ人の中でも孤立した人である。つまり、今の夫は6回目の人である。

それで、彼女は真昼の暑い、誰もいない井戸に水をくむために来た。彼女は、家と井戸しかわからない。今の日本社会であるならば、家と職場しかわからない人たちに似ている。これはある意味、私たち現代人の肖像画である。

福音を伝えるためには、こういう何らかの境界線を破らないとできない。それをしないと、福音は伝わらない。イエス様は、わざとサマリヤを通るようにし、この女に出会った。

2.最初の対話(10,13,14節):水の論争(人間にもっとも必要なのが何かを気づかせる)
10イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」

2人の話はかみ合わない。井戸の水の話をしているのに、イエス様が生ける水(10節後半)を与えると話し出したからである。この井戸の水は飲んでも死ぬとか、代わりに私が与える水を飲んだら永遠に生きるとか。彼女は言われてもわからない。これが不通の人たちの姿ではないか。

●2種類の水の意味
13イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。「体の快楽や欲のの渇き」
14しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。「霊の渇き」

13節で言う水は体の快楽や欲の解消のために行なう何らかの行為をさす。人間は体、つまり快楽や欲を満たすために、数々のことをする。それができれば満たされると考える。果たしてそうなのか。それはできない。

もう一つ、飲むべき水、渇きを解消し、真の幸せをもたらす水があるということ。
それは、14節でイエス様が与える水、永遠に渇かない、永遠のいのちへの水である。

例えば、人間はお金があっても、虚無、怒り、不安、罪責、万引き、羞恥心、不幸せを感じる。また、罪を犯してもなんとも思わないとか。こういうのは、ただのお金やこの世のものでは解決できない霊的な問題である。つまり神様との関係で解消できる問題である。

しかし、多くの人は、お金、アルコール、快楽、物(ルイビトン、ポルシェ、なぜ有名ブランドなど)をもってこういうことを覆うために努力する。しかし解決できず、もっとひどくなるばかり。

こういう井戸の水、つまり体の欲や快楽のために、いくら飲んでもいろんなことをしても終わりはない。幸せは来ない。イエス様からくる、もう一つの水を飲まないと、人間は絶対満足できない。

例えば、風邪なのに、消化剤をもって治療しようとすることである。
いくら消化剤を飲んでも風邪は直らない。人間も同じ。霊的な神様との問題を、一時的なこの世のもので解決しようとしてもできない。

この女がそうだった。夫を変え続けた理由も、変えても変えても満足できない。また変えるだろう。その問題は、神様と出会わない限り、解決できない霊的な問題である。こういう彼女の行為は、まるで井戸の水を飲んでも飲んでも渇くことに似ている。

●この生ける水は誰がくれるの?
14しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。

この生ける水はイエス様からだと14節で話す。
具体的には、イエス様を信じる時に、神様は私たちの心の中に聖霊を与えてくださり、この神の霊が、私たちに絶えない満足や喜びを沸かせてくださる。つまり、聖霊が心の中で泉のようにどんどん満足を与えてくださる。永遠のいのちへの水が湧き出る。これは、圧倒的な幸せ、喜びを与えてくれる。

だから、まずはイエス様に出会うこと、そしてその方を受け入れる時に、聖霊が与えられ、人生の喜びの水が書き続けると話す。

このイエス様に出会うために、私たちは井戸に行く、つまり教会、聖書に触れる。そうすると、きっとあなたはそこでイエスに出会える。そして生ける水、永遠のいのちをもらえる。

3.2番目の衝撃的な話(16節):夫を連れてきなさい(問題の根を明らかにする)
16イエスは彼女に言われた。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
17女は答えて言った。「私には夫はありません。」イエスは言われた。「私には夫がないというのは、もっともです。」


イエス様は、2回目に衝撃的な質問をする。16節で、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
なぜイエス様は急にこんな要求をしただろうか。今この女は自分の状況に対する理解がなかった。恥ずかしいとは思うが、それがどういうことなのか、わからなかった。しかし、イエス様は彼女の今の症状こそ、罪から出発したものであり、その欲や罪の奴隷となっていることを認知させ、それが彼女の幸せを妨げることだと気づかせるためであった。人間は罪を解決することはできないけれども、それに対する認識は必要である。イエス様がその罪を解決してくださるからである。


4.実践

1)福音は境界線を越えて会う必要があるが、あなたが会うべき人はだれですか。
2)あなたはこの生ける水が必要だと思いますか。
3)そのために、あなたは自分の罪を認めイエス様を受け入れたいと思いますか。

5.結びの祈り
創造主の神様! きょうもサマリヤの女とイエス様の対話を通していろんなことを考えさせられました。私たちは、今私に何がもっとも必要なのか、また今の自分がどんなに罪深いか、などあまりわからない状況です。どうか、自分の罪や問題を心から理解できるようにしてください。そしてイエス様を通して永遠に渇かない生ける水、聖霊を受け、真の喜びと満足を得ることができるようにしてください。またイエス様のように境界線を越えて福音を伝える信仰を与えてください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

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