私から家族へ広がる信仰(信仰は買って守る)ヘブル16:31-34

使徒16:31 ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。

あなたが信じれば救われ、家族も救われるという約束である。
これは約束でもあり、同時に私たちの責任でもある。個人ががしっかりしないと、それはできない。私に任された一番大事なことである。

私が信じれば、自然と家族が救われるという話ではない。
昔は親の影響が強かったですが、今は親の影響より他の影響が強い。

素晴らしい信仰の持ち主であるヒゼキヤ、ヨシヤ王の息子たち、エリ祭司の子供たちの悪さと不信仰。これを見ても信仰が自然と継承されたり広がるわけではない。

よく、背中を見て学ぶというが、信仰は必ずしもそうではない。
信仰の継承も、持続も自然ではない。

申命記6:7 これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。

したがって、いい加減な信仰では家族の救いは難しい。自分の信仰が危ないのにそれができるはずがない。

家族救いのために
●祈り(モーセの祈り) ●愛と模範

出エジフト32:32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら―。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。」


モーセは自分の救いを消してもよいから椅子れる民族を救ってくださいと祈った。そういう切なる心と祈りがあれば問題はないと思う。

アダムとエバを見ても、親の信仰が壊れると、夫婦の喧嘩が始まり、息子カインは殺人者に堕落した。
教会でも小さい子供が多くいるので、祈りが必要である。

とにかく、こういう家族の救いまでを考えるならば、自分の信仰がしっかりすることが大事である。実際、この世には信仰を持てば、いやまじめに信仰中心に生きていこうとすれば、犠牲にすべきことがかなり多い。なかなか信仰に立って生きることが難しい状況。である。葛藤というか、衝突することが多い。システムが全部信仰者とは合わないようになっている。日曜日の過ごし方、学校のシステムの問題など、それで小さい時は問題なかったけど、学校に入ると、信仰から離れる。

また時代が良すぎる。悪魔は数々の誘惑の餌を蒔いている。誘惑が多すぎる。お金、仕事、中毒、お酒やポルノなどなどである。

マタイ19:24 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」


お金が救いに大きな障害であるならば、今はそのお金の力に匹敵するようなことが多すぎる。
一つひとつ大事に、信仰にたって選択していかないと、信仰は少しずつ壊れていく。
雪だるまのように、私たちの信仰を溶かし無くすものが多い。
雪だるまを転がして雪をくっつけていくように、私たちも信仰をくっつけていくようにすることである。

それで、信仰は買うこと、そして守ることだと私は言う。買うというのは、代価を払わないといけないという意味である。私がしたいこと、全部して、この世の要求、人の要求、それらを全部受け入れては、信仰は成り立たない。小さいかもしれないが、代価を払って信仰を買い、それで信仰を守っていく必要がある。

私の欲、自分勝手にしたい心、欲や誘惑、友たちや家族への要求、私の怠けに全部同調してからはできない。この世と信仰、両方に同じく仕えることはできない。世のことが中心となると、信仰の服は奪い取られ、脱がされてしまい、信仰の裸となるしかない。

学校に入って弱くなり、結婚して弱くなり、子供が生まれて弱くなり、仕事初めて弱くなり、そうなると、信仰が付いてくることがなく、ある信仰さえも取られる。

ヤコブ4:4 貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。

だから、私たち信仰者はこういう面において、いろいろと考えていくべきである。家庭のこと、
結婚(ラハブとルツ)、仕事、引っ越しなど、一つ一つ私たちは信仰に合わせて選択する必要がある。お金がどのくらいかではない。どのくらい便利なのかではない。例えば、仕事や引っ越しなどは、根本的な環境を取り壊してしまうようなことにもなるので、これらが一番よくない。信仰を入れる容器のようなことをなくしてしまうのは最悪の選択である。結婚もその一つである。

マタイ1:5 サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが生まれ、オベデにエッサイが生まれ、

上のサルモンとボアズという男性2人は、異邦人の女性と結婚してイエス様の先祖となった方です。結婚も何から何まで信仰によってすることが大切である。もちろん、二人とも信仰者とは言いにくいですが、少なくてもノンクリスチャンであってもわたしを、私の信仰を好きにしてくれるならば、よいでしょう。それがなく、不信仰についてしまうようなことは、最悪のことになってしまいます。

結局、これらの問題や葛藤において、私たちが考えなければならないのは、主を第一にしているのか、それとも他のことをイエス様より上に置くかの一言になるだろう。これがしっかりしないと、いつも葛藤ばかりで、二つの中で悩み、苦しむかもしれない。以下にあるみことば、これを心に刻んんで信仰生活をするように祈りたい。

マタイ6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

私への実践
①家族へ広がる信仰のためにまず祈りを絶やさない。
②雪だるまのように私の信仰を溶かすもののために祈りましょう。
③私の優先順位のどこに問題があるのかを考え新たな態度を持ちましょう。

結びの祈り

天の神様! きょうは家族へ広がる信仰というところで、いろいろと考えてみました。何とか、家族の救いのために、まずモーセのような切なる心をもって対処し祈ることができますように。また、自分の信仰を溶かそうとする多くのことがあります。どうか、主を第一に求める信仰、神を他よりもっと愛する心を与えてください。信仰は買って守るという姿勢を保って、これからを生きることができますように。主よ、私の信仰を守ってください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

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