救われた者のあるべき姿(ピリピ2:12-13)

1.救いは新しく生まれることであり、コペルニカン レボルーションである。

皆さんは、イエス・キリストによって救われた者だと考えているのか、それとも救われたとは思えないのか。ならば、どういうことが障害物なのか。かなりの信じたという人の中でも、救いに対する誤解や異常がある場合が多くいる。きょうは、こういう問題をもって考えてみたい。

まず、この世の宗教には大きく分けて2つがある。仏教のように修行によって救いを受けることができるという宗教、これは人間が神に近づくために努力する追求の宗教ともいう。それに対し、キリスト教は、人間が神に近づくことは不可能だといい、逆に神が人間のほうに近づいてきたという宗教、時には啓示の宗教であり、神から無償で救いが与えられるという意味では恵みの宗教ともいう。

恵みの宗教を一番表しているのが、エペソ2:8-9である。基本的には、エペソ2:9によれば、行いによるのではなくキリストが十字架でしてくださったことを受け入れ、信じることによって救われるという約束を信じる人である。ここで、恵みとはギリシャ語で、「カリス」、「カリスマ」という。それは、値を払わずにただで与えられるプレゼントの概念である。

エペソ2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。9行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです

どころが、こういう救いという恵みはどういう人に与えられるかといえば、ヨハネ1:12で記されている通り、キリストを受け入れる人だと書かれている。

ヨハネ1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。

この恵みということがどんなに素晴らしいのか、考えてみよう。

ローマ3:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、24ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

この聖句(23節)によれば、罪深い人間の力では、神からの栄誉、つまり救いにいたることができないと書かれている。しかし、24節で大きな転換がある。24節にはそれをキリストの十字架によって、救いのプレゼントが与えられたということである。自分ではできない救いが、キリストによって可能になったということである。ここに、恵み(ギリシャ語;カリス)があり、そこに喜びと感謝がある。

このように、罪人の人間であるため、到達することのできない救いが、キリストの十字架によって一気に救いに到達できるようになったのは、天と地がひっくり返るくらいの転換である。それで、このような転換を、コペルニカン レボルーション(コペルニクス的 変革)という。コペルニクス前は、天動説(太陽が地球の周りを回転する)が主流だったが、コペルニクスは1495年、地動説(地球が太陽の周りを回転する)を主張した。これは、あまりにも画期的な転換である。今まで自己が中心にいて神がその周りにいると思った人間、つまり自分が主人であると思ったのに、それを否定し神を主人、そして自分がその周りをしっかり回転すると信じることは、まさに天と地ほどの変化である。

つまり、自分からはどんなに頑張っても救いは得られなかったのに、キリストによってその救いが可能になったということは、天と地のひっくり返る変化であるといえる。これが行いによってではなく、信仰によって得られた救いへの転換である。この救いを受けた人は、コペルニカン レボルーションをした人である。これを神学的には、CONVERSION(回心;新しく生まれる)という。これは、改心(心を入れかえる)とは違う。改心とは、実は人の教えなどを通していくらでも頑張ろうと思うことであり、それは回心ではない。回心とは、心の向きが180度変わることであり、ことばでは表現できない変化である。たとえば、変化には化学反応による化学的変化と物理的変化がある。細い板を力を加えて曲げればしばらくは変形するが、力を抜くと元に戻る。しかし、物質が化学反応を起してしまうと、まったく違う物質に変わってしまう。酸素と水素が反応すると、全然違う水になることに似ている。コペルニカン レボルーションとはこういう化学反応のような変化であり、それを回心といえる真の救いである。イエス様が人間の心に入り、人間と神が一つになったときにのみ起こる変化である。

だからそこに大きな喜びと恵み、感謝が一生あふれ出る。これが正常なクリスチャンとしてのスタート、新しい生まれであるが、ここに異常が生じた人々が多くいる。この回心は、受け入れるその時に起こる人もいれば、時間をおいて後になって生まれる場合もある。

2.回心ではなく改心にとどまった人たち

こういうすごい救いの恵みや喜びもなく、また自分の罪からの悔い改めによる罪の赦しによる解放と喜びもなく、さらに受け入れたとしても、心や生き方の変化がない人たちがいる。

キリストを受け入れる祈りを一回読むだけで、つまり罪の意味、悔い改め、真実な思いもない状態で呪文を一回唱えただけで、救われたと思い込む人、そういう人たちには多くの問題が生じる。神からの救いの意味も知らず、恵みも喜びも、感謝も知らないので、彼らは救われたとしても神様のみことばに従うことも、感謝をもって神に仕えることもできず、昔と変わらない行動をしている。お酒や堕落、昔の罪をそのまま踏襲する。昔は公でしたならば、今は隠れてすることの違いだけがある。そういう人は救われたとは言えないだろう。

彼らには、罪の悔い改めがなく、またキリストを招いたが、キリストがその人のなかで主人となっていない場合が多い。つまり、イエス様を受け入れたとはいえ、自分が主人で自分勝手に生きるということである。こういう人は、まるでパンの中で美味しいあんこだけ食べて他は捨てることに似ている。つまり、救いと祝福だけもらって、悔い改め、キリストを主人とすることはいやだからといって捨ててしまった人たちである。

3.救われた者の望ましい生き方

それでは、神様は私たち救われたと思う者について、どのように生きるべきかを教えている。

ピリピ2:12 そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いを達成してください。

ここには、恐れおののいて自分の救いを大事にするように求めている。この意味について考えてみよう。これは、自分の救いが最初は40%から徐々に救いが100%になるという意味ではない。最初100%救われた自分だけど、その救いの質がますます豊かになることである。生まれたばかりの子供も100%人間である。ただ、成長が必要だけであり、それによってもっと人間の質が豊かになる。

So then, my beloved, even as ye have always obeyed, not as in my presence only, but now much more in my absence, work out your own salvation with fear and trembling;

愛する皆さん。私がそちらにいた時、あなたがたはいつも、私の教えに従順に従ってくれました。離れている今はなおさら、しっかりしてください。深い尊敬の思いをこめて神に従い、神に喜ばれないことからは手を引きなさい。(リビングバイブル)

私が願うのは、皆さんが始めから行ってきたのを続けることです。私が皆さんと一緒にいたときに、皆さんは従順を答えてくれました。今は私が皆さんと離れていますが、それを続けてください。いやもっと奮闘してください。救われた者として力強く生き、神様の前で敬虔で敏感であるようにしてください。(メッセージ聖書)

こういう恐れおののき、主に仕えることをするようにいわれているが、その原動力は、こういう救いの恵みや感謝である。つまり、恵みの自然な答えとしての従順や敬虔は大事であるが、逆に怖くて、従うことは違う。

ヘブル2:3 私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにしたばあい、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、

素晴らしい救いをないがしろにする姿とは、つまり救いを大事にしない姿、自分勝手に自分の欲にしたがって生きるような姿である。こんな姿では、もともと救われたとは言えない。むしろ、厳しい地獄の刑罰から逃れることができないと話す。救いを得るところか、むしろ耐えられない地獄の苦しみから逃れるとは思えない。この滅びの地獄の苦しみは、世のどんな拷問よりも何百倍厳しいはずである。今は裁きと地獄は怖くないと言うかもしれないが、果たして地獄の目の前でもそう言えるだろうか。45度くらいの水に当たるだけで死にそうな顔で大けさするくせに、永遠なる苦しみを耐えられるだろうか。

マルコ9:48 そこでは、彼らを食ううじは、所きることがなく、火は消えることがありません。49すべては、火によって、塩けをつけられるのです。50塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」

神様は以下のように約束している。つまり、最初からしっかりキリストを主として受け入れ、それからも謹んで謙遜に神様にしたがって生きる人のために、神様は彼らを助けてくださると約束している。信仰生活は、私の力でするのではない。私たちの力では救いを完全に自分のものにすることも、またそれを完全に守ることもできない。そこに神様が私の弱さを助けてくださる。

ピリピ1:6 あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。

4.結び

天の救い主の神様、きょうは救われた者の正しい姿について学びました。普段の生活の中で救われた者にふさわしくない生き方が多くあったことを認め、その罪を告白します。自分の弱さや罪をお赦しください。また、キリストを私の主人として、キリストに従って生きるべきなのにそれができなかったことも悔い改めます。いつも自分の欲と願いが先となり、醜い姿を見せてきたことを悔い改めます。もっと救われた者として恐れおののいて毎日を謹んで敬虔に生きること、またキリストを主人とし、主を第一に求める人となりたいと思います。周りの方にも証しとなる人生、神に喜ばれる信仰者として歩めますようにお導きください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン







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