異邦人の求めることと生き方(マタイ6:24-34)

●今日のお金の位置:神様同等の力や威力を持っている
間違いなくお金は生きていく上において必要なものであり、なくてはならないものである。お金さえあれば、信仰といのち以外はほとんど解決できるほどその力は大きい。したがって、多くの人はお金のために人生をささげるようになる。お金のためならいのちも考えずになんでもする人が多い。

●お金が奴隷なのか、お金が主人となっているか?
お金が主人ではなく奴隷になっているときは、一番よい働きができるが、お金が主人となるときは、お金は狂った暴君となる。

●お金とサタンの戦略:現代社会は拝金主義というか、お金に仕える金宗教が世界や日本を圧倒している。みんな将来への不安を感じ、お金を何とかしなければならないという焦りにとらわれている。悪魔はお金さえあれば、何でもできると話す。お金が最高だと教える。そして悪魔はそこに入り込んで多くの信者を倒す。

●神ではなくお金・仕事に仕える:お金に仕えるとは、別の意味ではお金につながる仕事に仕えるということである。仕えるとは、主従関係がはっきりしているという意味である。つまり仕事をするのではなく仕事中毒、お金中毒という形に発展することが危険である。仕事ならばお金のことならば何でも赦されるみたいな雰囲気、考え方が危険である。

・お金に仕えた結果:信仰が破壊、健康破壊、家庭破壊、幸せが破壊。それで、こういう破壊されたのを最後は修復するために、また稼いだお金を全部使い切る。それで、得たものなく失ったことばかりの後悔で人生を終える。

Ⅰテモテ6:10金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

●聖書の中にもお金に対する話が多いが、警告が多い。
それはやはりお金によって信仰がつぶれた人が多いからである。というのは、きょうのマタイ福音6:24にもあるように、神とお金の両方に仕えることができないと話している。

マタイ福音6:24だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。

必ず神か金のどちらかにしかできず、もう一方には愚かにするしかないということである。つまり金に仕えすぎると、神や信仰からは離れるしかないという構造となっている。実際多くの人が信仰から離れる理由が大体こに問題である。金に仕えすぎて神や永遠のいのちまでを失うという悲劇がいろんなところで生まれる。

●異邦人の求め方や生き方:異邦人とは、本当はイスラエル人以外の方を指すが、ここでは神様を信じない方の総称である。衣食住を第一に求める生き方、またお金に仕える生き方。つまりお金にしたがっていろんな行動をするし、お金のために何かをする。
①信仰に生きるクリスチャン:富より神に仕える ②信仰のない異邦人:神より富に仕える ③愚かで信仰の薄い人:両方に仕えるが、結局は信仰から離れる。

マタイ6:31そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。32こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。

●信じる者に対する神の約束
ピリピ4:19また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。

ローマ8:32私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。

・鳥や花の例話:マタイ6:26、30
野の花やゆり、空の鳥も神様が守り、導いてくださっているのに、まして神様の愛され、もっと尊いあなた方は当然神様によって守られるのではないか。つまり、異邦人ではないならば、衣食住への確信を持って、それよりもっと大事なこと、神の国と義、使命、伝導、働きのことを心配すべきではないかという叱りである。野の草や鳥にも満たない生き方で大丈夫なのかというか、鳥や草があなた方を見て笑うのではという話である。


●信じる者の求め方と生き方:主の祈りにあるように、み国がきますように。また日ごとの糧を与えてくださいと祈るべきである。ただ、祈りはしても、衣食住を人生の一番の位置、つまり神より上において生きるようなことはしない。

●神の約束を信じ神の国と議、または使命を第一に求める:衣食住ではなく神の国と議を求める。すろと、衣食住のことは神が責任を取ると約束されている。祈りはしてください。しかし、そのことで信仰をだめにするような生き方はやめてください。私たちは、衣食住が目的ではないし、そのために生きることでは充分ではない。それが使命でもない。もっと私たちがしなければならない使命があるはずである。それを最後まで求める必要がある。

マタイ6:33だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
エペソ2:10私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。


●聖書的お金への価値観の確立:①私達はお金の主人となる必要がある。②お金は何かの手段であるのでそれを用いてもっと神の国に用いられること。③お金は使うために稼ぐ。漠然とお金をくださいではなく、そのお金をもって何をするかが大事であり、それを求めていく必要がある。そうすれば必要なお金も与えてくださる。備蓄のためではなく使うために稼ぐ。よく使うと神様から与えられる。たとえば、自分の生活だけではなく、献金、寄付、他の人に仕えることにも用いる。また、お金の中心の選択をしない。無駄をなくし善なるところに使う練習をつけるべきである。

箴言11:24ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。25おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。


Ⅱコリント9:10蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。

上でばらまくとは、むやみにお金を使う意味より、自分の生活以外にも神や人のために使うという意味である。そうすると、むしろ豊かになる。過度にケチしてもむしろ乏しくなるばかりである。

2コリント9:10では、お金を使い方を種蒔きに例えている。蒔けば、2つを与えられる。1つは、種、つまり実を生産できる環境や機会を与えてくださる。もう1つは、今すぐの食べるパンを与えてくださる。完ぺきな祝福ではないか。

<結びの祈り>
天の父なる神様! きょうは異邦人の求め方やその生き方について学びました。信仰をもって生きる者として異邦人とは違う求め方や生き方をすることになるはずですが、残念ながらそういうことができず、異邦人と同じ考え方や生き方、求め方をしたことを大いに反省し、悔い改めます。どうか、これからは信じる者として、衣食住のために生きるのではなく、もっと神の国とその儀、または使命を求めて生きることができますように。お金の奴隷ではなくお金の主人として生きることで、信仰においても生活においても祝福され、人生を立派に全うすることができますように。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

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