キリスト者の幸せと喜びの理由

人間の常識の一つは、行いがあって不法や罪が赦され、さらに救いを得るということである。しかし行ないを持って考えると、すべての人は救われるところか、むしろ裁かれ罪の罰を受ける可能性が圧倒的に高いという事実に気付かない。確かに行ないについて話すと、それは救いと災いを同時に生み出す可能性があるが、実際は救いより滅びをもたらす可能性が遥かに高くそこから真の幸せや救いの確信は得ることができない。

聖書は行ないから救われようとする人は真の救いや希望も、また赦しや幸せもなく、むしろ絶望に落ちるしかないと教えている。また聖書は、不確実な私の行ないの代わりにキリストの十字架での行ないとそれを受け入れる私の信仰によって救いと罪の赦しを得ると約束している。そこから真の喜びや感謝があるというのが、今日の聖句である。これが行ないがなく得られる赦しと救いによる幸せや恵みである。
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