喜びに満たされた体験信仰(ヨハネ15:5-12)

これは今年の教会のテーマである。しばらくの前に一回、この主題で話したことがある。もう一度考えてみよう。信仰者にとって一番の喜びはどういう時なんだろうか。それは、神様が私に関わり、その方のよい働きをわたしに示してくださる時である。いくら苦しみがあっても、いくら大変なことがあっても神様が私のために働いてくださるしるしが現れると、人は喜べる。また苦しみも乗り越えられる。これを私は体験信仰と呼びたい。人間は反応を見ると、すごく喜べる。そしてそれは体で覚えることで忘れることができない。神様が私の小さい行動に反応を示してくれること、それを体験し喜ぶことは堅い信仰と土台である。以下の聖句にそれが書かれている。

ネヘミヤ8:10 そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。

神様によって与えられる喜びは、大きな力となる。喜びがないクリスチャンは弱い。主を喜べば喜ぶほど、強くなる。だからイエス様を受け入れて最初は、ENJOYすることが何よりも大事である。このENJOYを必ず経験することで、後に堅く望ましい成長ができる。喜びは力なり! 喜びで信仰生活をして、喜びで自分をささげ、喜びで伝道を行い、喜びで人に仕えることができる。生まれたばかりのクリスチャンにENJOYの時間を与えず、仕事ばかりを与えるのは、だめになる近道である。よく教会では、生まれたらすぐ働きや奉仕に回す危険なことをするが、それは避けるべきである。まずは、ENJOYを! 以下の聖句にも、喜びに満たされること、体験信仰について話している。

ヨハネ15:11 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。

この喜びは、苦しみを耐えられる力、神様のために生きる力、人を愛する力、厳しい状況の中でも感謝できる力となる。したがって、信仰による喜びはなくてはならない。小さい赤ちゃんが心配ばかりで、義務ばかりで喜びがないのは問題である。義務と律法的になって無理矢理に動くのは決して自分にも人にもよいとは言えない。この喜びはある意味体験信仰である。喜びは神様の素晴らしさを体をもって感じ取ることである。この信仰の喜びの体験は、さらなる信仰的で健全な成長をもたらす。

それでは、神様は私たちのどういうことに、とくに強く反応されるのか。きょうは、3つのことを挙げて話してみたい。みことばへの従順、祈り、愛であるが、従順と祈りは神様が反応すがる、愛に人は反応するようになる。

1.従順(神様は従順に反応し答える)
この世で神様のみことばこそが真理であり、それを人生の規範として人生のあらゆる場面で実践していくことである。その時に、神様は答えてくださり、反応してくださると約束している。以下の聖句には、私自身(イエス様)を信仰者に現すと書いてある(赤の部分)。神様がその従順に反応し、何らかのしるしを示し、答えてくださるということである。

ヨハネ14:21 わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。わたしを愛する人はわたしの父に愛され、わたしもその人を愛し、わたし自身を彼に現わします。」

もちろん、私たちは従う自由も、従わない自由も、罪を犯す自由も、犯さない選択もできる。

●アブラハムは、25年待って100歳の時に得た子供に対し、神様はその子、イサクをささげるように言われた。どうしても理解できないことである。非人道的、非倫理的な命令にも彼は少しの文句もなく従順した。その時に、神は現れ、答え、刀を止めた。それから彼は神様の祝福を大きく受けるようになり、また信仰の祖先となったのである。

●ペテロ(ルカ5):ペテロはある日、夜通しをしても全く魚が取れなかった。その朝に彼に現れたイエス様は、遠く深いところに出て網をおろすように言われた。経験上は、朝は浅いところに魚が集まるので、イエス様の話は反対である。でも、いつもとは違ってペテロは、イエス様に従って深いところに出て網をおろしたどころ、いっぱいの漁ができた。非専門家であるイエス様の話は、非常識で経験とは反対である。それでも従った時に、神様は彼の従順に反応し、魚がいっぱい取れた。だけではなく、彼は自分は罪人ですと告白し信仰者となり、のちに神様のために生きる献身の土台となったのである。

●18歳ころ、遠い国バビロンに捕虜として連れていかれたダニエルは、そこで最初神様のみことばに従う時を迎えた。それはダニエル1:8に出ている。

ダニエル1:8 ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。

まずは、王宮で与えられる食事であった。それは、大体偶像にささげた供え物である。彼は若いし、心細い状態の奴隷だったのに、それでも神様に従う決断をした。小さいことでも従う決断をした。高価な食事を食べないで、代わりに野菜を食べることを決め、担当者に頼んだ。もちろん、最初はダメだったが、10日程度テストを行い、野菜だけでも肉や高価なものを食べた人以上によいことが判明したら大丈夫だと言ってくれた。結果は、顔がもっと輝き問題がなかった。神様はダニエルに答え、反応してくれた。偶像のものは食べなくてもよいようになった。偶像の供え物は食べないことが、当たり前だけどそれを受け取るためには、従う必要があった。実際は、奴隷という心細い状況で食事に文句をつけるのは難しい。でも、彼は神様が喜ばないことをしない、神様の御心に従うことを大事にした。これができたから、次にもっと大きい艱難、獅子の穴に投げ込まれたり、溶炉に投げ込まれても平気で従順できた。もちろん、神様は必ずその時その時に答え、反応してくださった。小さい従順ができたから、大きいことにも従順できる。従順から従順を学ぶ。一気にすごい従順ができるわけがない。

2.祈りの答えの喜び(神様は祈りに反応し答える)
神様は私たちの祈りに答え、反応し、大きな喜びを与えてくださる。従順に反応したように、私たちの祈りにも反応してくださる。皆さんの祈りリストをよくチェックしてみてください。多くのことに神様が答えてくださったのを知るだろう。そして感謝できるはずである。それでは、神様はいったいどのように私たちの祈りに反応というか、答えてくださるだろうか。以下の赤のところを中心に考えてみよう。

ヨハネ16:24あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。

エペソ3:20 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に

エレミヤ33:3 わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。

ピリピ4:6何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。7そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

上にみれば、神様の祈りへの反応が書かれている。順番に、喜びが満ち満ちたものとなる、思うところのすべてを越えて豊かに施す、理解を越えた大いなる事、人のすべての考えにまさる神の平安をもって答えてくださると約束している。今年は祈りにも励んでみよう。

3.愛(人は愛に反応し答える)
私たちは神様から愛をもらったならば、今度はその愛を自分だで終わらずに人々に伝えることが必要である。それが伝道であり、それが神が喜ばれることであり、イエス様がこの世で行ったことであり、パウロが頑張ったことである。もちろん、私たちにとってこれこそ永遠に残る、最高に価値あることである。人ほど愛に敏感な存在はいない。いくら小さい子供でも愛はわかる。猫や犬も愛を判別することができる。まして人間はいうことがない。つまり、皆さんの愛に人々はすぐすぐ反応を示し、答えてくれるのである。人への愛ほど、答えが速いのもない。イエス様は、神様からもらった愛を人に人どのように伝えるように話しているだろうか。

ヨハネ21:15 彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」ペテロはイエスに言った。「はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの小羊を飼いなさい。」

Ⅰコリント12:15 ですから、私はあなたがたのたましいのためには、大いに喜んで財を費やし、また私自身をさえ使い尽くしましょう。私があなたがたを愛すれば愛するほど、私はいよいよ愛されなくなるのでしょうか。

マタイ20:26あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。27あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい

ヨハネ21:15 で、愛をもって子羊を飼いなさいとなっている。幼い人をケアすることを意味する。Ⅰコリント12:15 で、パウロは人のために、喜んで財産や自分自身を費やすと話す。マタイ20:26では、リーダーは仕える人になるべきと話す。ピラミッドの頂点に指導者がくるのではない。逆ピラミッドになって指導者が一番下にくることが聖書が求めるリーダーである。人の救いや成長のために、費やす姿勢、それは時間、お金、努力などである。これらを食べて魂は成長するし、救われる。家に人を呼び、食事を一回でももてなしたり、外でご飯一杯でもおごったり、人の救いや成長のために、時間、金、エネルギーを遣おう。

結びの祈り
天の父なる神様! きょう神を喜べば喜ぶほど、信仰的な力が増すことを知りました。喜びの体験こそ、生きた信仰、堅い信仰の土台であるということです。そしてこの喜びの体験は、みことばの従順によって、祈りによって、人を愛することによって、強く現れることを知りました。どうか、今年はこういう喜びの信仰体験をたくさん、経験することができますように。一人一人、生きた証しをたくさん残せる1年となりますように。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

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