ファイナルアンサー(マルコ5:25-34)

この女は何歳なのかはわからないが、12年間も血が止まらない病気で苦しんでいた。当時はこういう血の病気は汚れた病気とされ、人からも遠ざけられていた。レビ記15章にはこういう人と接触すると、その人も汚れるとされる。またものもそれに触れると、汚れるとする時代であった。なので、人と接触してはいけない、本当にかわしそうな人だった。

レビ15:2「イスラエル人に告げて言え。だれでも、隠しどころに漏出がある場合、その漏出物は汚れている。4漏出を病む人の寝る床は、すべて汚れる。またその者がすわる物もみな汚れる。


彼女は自分の病気を治すために、よいとされる薬、よいとされる医者、ありとあらゆる方法を探して措置をしたはずである。しかし、それでも治らなかった。治るどころか、むしろ悪化していた。そのうえ、お金もなくなり、さらにその間の苦労で絶望も重なり、すべてを失い、死の寸前だったかもしれない。彼女はイエス様がくるという話を聞いて、本当は多くの人がいるところに行ってはならないにも関わらず、イエス様のところに出ていき、あえてイエス様の衣に触れた。衣に触れるだけでも治るという彼女の信仰があっての話であった。この信仰は、かなりの恐れを覚悟したうえでの決断だった。多分、多くの人も間違いなく、その場においてイエス様の衣に触れたはずである。でも治らなかった。この女だけが治った。

その結果、29節に見ると、血の元がすぐかわき、病気が治ったとする。これこそが根本的な治療である。人間は様々な問題で解決策を造るが、実はこういう根本的な解決にはならないことが多い。神様からの解決こそが真の解決である。多くの場合、人間の解決は外側だけを縫合するだけで、内部は完全に腐り、どうしようもない状態にまでいってしまう。しかし、イエス様の衣に触れることですべてが変わった。

レビ6:18アロンの子らのうち、男子だけがそれを食べることができる。これは、主への火によるささげ物のうちから、あなたがたが代々受け取る永遠の分け前である。それに触れるものはみな、聖なるものとなる。」

人間は何を触るかが大事である。私たちはイエス様に触ることで真の解決ができ、清くなれる。今のイエス様の衣は、みことばであり、時には祈りもその一つである。牧師や、クリスチャンに触ることもそうである。

伝説によると、この女性の名前はベロイカと呼ばれる。ユセビオスの教会史には、この女性がピラトの法廷で、イエスを最後まで擁護したとされる。イエスはカルバリに行くとき、汗と血でまみれたイエス様の顔をハンカチで拭いてくれたそうである。ピラトの法廷で、イエスを弁護するとき、どこからこのような力が出てきただろうか。弟子たちもみな恐れ震えていた逃げたのに。ところが、この女は、イエスに触れたことから、このような力が出てきたはずである。

人が、イエス様にまともに触れると、変化が起こる。病気が治ったり、心が力を得たり、これからどのようにすればよいのかを教えてくれたり、問題が解決されたりする。

ファイナルアンサー、いや唯一の答え、完全な解決は、イエス様だと知りながらも、多くの人はすぐ神様に来ないで自分で数々の方法を使う。すべてを行ってそれでもできない時に、初めてイエス様にでも行ってみようかと思う。もちろん、ファイナルアンサーとしてイエス様が見つかったのは良かったけど、しかし残念である。最初からイエス様に来るほうがよかった。時間や努力、エネルギーを全部使きって病む得ずイエス様に来るときは遅い場合が多い。見事に砕かれてやっとイエス様にくる。最初から教えてあげても、受け入れない。これが普通の人間かもしれない。

人間的な方法では、根本的な解決策にならない。この女のように、血の元が治る根本的な治療にはならない。

ヨハネ福音5章には、ベデスダという池での話がでる。そこには、天使がおりてきて水を動かす。その時に一番早く池に入る人が治るとされ、多くの病人がそこに集まって、水が動くのを見つめていた。多分、一分も休めずその時を待ち、またそれを見たとしても一番早く入らないと意味がない。そこに、38年もの病人がいた。彼は歩けなかった重病にかかっていた人だった。彼は、イエス様に話していた。誰も私を助けてくれないので、私はいつもだめになりますと。つまり、病気が重くなると、みんな他人のせい、家族のせいと、周りを巻き込む。しかし、そういう38年も病気だった彼もイエス様に触れることで癒された。

ヨハネ4章にはサマリヤの女の話が出てくる。彼女は自分の夫を5人も変え、今は6番目の男と同棲している。その彼女は、いつも平安がなく、満足もなく、罪の意識で苦しんでいた。多分、彼女はこんな人間はだめだと、毎日のように自分を責めながらも解決の方法がわからなかった。そんな彼女が井戸でイエス様に触れ、そこから新しい人に変わったのである。

私たちの問題の解決のカギは、イエス様にある。つまり、イエス様の衣に触れることである。そうすると、すべてが清くなる。そこから新しい解答が与えられる。

結論として

①人間は何を触るかが大事である。それによって汚れることも、汚れから癒されるようにもなり、恵みと力を得るようになる。
罪や悪に触れれば自分も汚れるようになる。しかし、イエス様に触れれば、解放され、清くなる。触れてはならないことをしっかり捨てることから今年を始めよう。

また私たちはイエス様以外のことにあまり頼りすぎても、むしろ苦しみをもっと増やしてしまうことがある。妻や夫、金、仕事も永遠の解決にはならない。人を頼りすぎてはならない。

詩編146:3 君主たちにたよってはならない。救いのない人間の子に。


ヤコブ1:17良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。


いくら妻を愛するとしても、夫は永遠に子供の後、永遠の2位にすぎないと不平不満する人がいた。その通りである。夫も妻もあまり期待できない。イエス様以外はいずれかは私たちを裏切る。人間は限界があるから助けたくてもできず、裏切るしかない。あまり裏切られたとして悲しまないように。

②ファイナルアンサー(最終の答え)ではなく、ファーストアンサー(最初からの答え)としてイエス様に出ていく訓練をする必要がある。

イエス様に触れること、そのみことばや祈りという衣に、信仰をもって触れる毎日であることを祈りたい、イエス様とつながることで、もっと力を得、問題の解決(解決にはならなくても耐える力を得る)を得る日々を過ごしていきたい。毎日の豊かなイエス様との交わり(BASIC)を大事にする一年としたい。信仰をもって生きていけばシンプルになる。そこから消えない最高の祝福が来る。

最後の祈り
天の神様、きょうは今年初の礼拝でした。去年のすべてに感謝します。今年は私たち一人一人がイエス様の衣に触れることによって、力と恵みと問題解決の奇跡を経験することができますように。遠回りでイエス様にくるのではなく、初めからイエス様に来ること、またそのイエス様にのみ完全な癒しと解決があることを信じて、歩むことができますように。そのために毎日イエス様を見つめ、交われる時間を保ち、問題の中でも確信と平安のある信仰生活を、行うことができますようにお助けください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン