感動の伝染(?) 감동의 전염

"時にしゅうとめナオミは彼女に言った、「娘よ、わたしはあなたの落ち着き所を求めて、あなたをしあわせにすべきではないでしょうか。ルツ記 3:1" 

ルツの感動は、次々と移っていく。ボアズに移った感動は、ルツに素晴らしい恵みをもたらした。たくさんの食べ物をもらえる恩恵であった。また、姑のナオミにも、何とかルツに安息、または幸せを作ってあげたい気持ちにさせ、きょうの話に展開した。もちろん、この話は日本とは違うので誤解しやしいが、実は当時のイスラエルでは、貧しい親族、または夫をなくした貧しい寡婦のために神様が命じた正式な制度(レビ25:25)に基づいて行われた。ナオミ家族がモアブに移住するときに売った畑を再び買い戻してあげる親族を探していた(自分たちではできないたも)。また、男が全部亡くなって後継ぎがないナオミ家族のために、ルツと結婚し、そのナオミ家を繋いでくれる親族探しという正式な制度を利用して、ルツの新しい主人を探していた。ナオミは当然親族のボアズに意見をもとめる、積極的な方法として、このような行動を取るようになった。感動が感動を生み出したのである。それにルツは、素直にしたがった。なんと素晴らしい人だっただろう。実はこのボアズは、イエス様の象徴である。貧しく、頼れる人をなくし、自分の力では何もできない人のために、十字架にて自分を犠牲にして代価を払い、罪人を救い、幸せと安息を下さるイエス様の模型である。このボアズ、イエス様を通して真の安息、幸せを受けましょう。


 감동의 감염 (?)
 "룻의 시모 나오미가 그에게 이르되 내 딸아 내가 너를 위하여 안식할 곳을 구하여 너로 복되게 하여야 하지 않겠느냐.룻기 3:1 " 

 룻의 감동적인 이야기는 차례 차례로 감동이 옮겨 간다. 보아스에게로 옮아간 감동은 룻에게 좋은 은혜를 가져왔다. 많은 먹을 것을 재공벋는 혜택이었다. 또한 시어머니 나오미에게 전달된 감동은 어떻게든 룻에게 안식 또는 행복을 만들어주고 싶은 기분으로 이어지고 오늘의 이야기가 전개된다. 물론 이 이야기는 우리와는 다르기 때문에 오해가 생길 수 있다. 당시 이스라엘에서는 가난한 친족 또는 남편을 잃은 가난한 과부를 위해 하나님 께서 만들어주신 공식적인 제도 (레위25:25)가 있었고 이에 따라 전개되는 이야기이다. 나오미 가족이 모압으로 이주 할 때 팔아버린 밭을 다시 사서 나오미에개 돠돌려 주는 친척을 찾고 있었다. 또한 남자가 전부 죽어 후사가없는 나오미 가족을 위해 룻과 결혼하여 나오미 가정에 무대를 낳아주는 공식적인 제도를 이용하여 룻의 새로운 남편을 친족중에서 찾고 있었다. 당연히 나오미는 멋진 친족 보아스에게 먼저 의견을 듣고자 적극적인 방법으로 이러한 행동을 취하게되었다. 감동이 감동을 만들어 낸 것이다. 사실 이 보아스는 예수님의 상징이다. 가난하고 의지 할 수 있는 그 어떤 것도 없어자신의 힘으로는 아무것도 할 수없는 사람을 위해 십자가에서 자신을 희생하여 죄인들에게 구원과 행복과 안식을 주시는 예수님의 모형이다. 이 보아스 예수님을 통해 진정한 안식 행복을 받을 수있다.

信仰の感動は神と人を動かす最高の力! 믿음의 감동은 하나님과 사람을 움직이는 최고의 힘!

"どうぞ、主があなたのしたことに報いられるように。どうぞ、イスラエルの神、主、すなわちあなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように」。ルツ記 2:12"

ルツは、モアブから帰ってきてからすぐ仕事に出た。そこで彼女は、偶然のように思われる神の導きによってボアズに会えた。すると、ボアズは彼女に様々な便利を図り、親切に細かい配慮をしてくれた。それには、12節にあるように、ルツがとった信仰的かつ感動的な姿のためだったと話す。感動は人を動かす最高の武器である。姑のナオミ家族のイメージとは真反対である。というのは、ナオミ家族は、信仰によって動くより目の前の利益や問題回避のために機会主義的に行動していたからである。

믿음의 감동은 하나님과 사람을 움직이는 최고의 힘!

"여호와께서 네 행한 일을 보응하시기를 원하며 이스라엘의 하나님 여호와께서 그 날개 아래 보호를 받으러 온 네게 온전한 상 주시기를 원하노라. 룻기 2:12 "

 룻은 모압에서 돌아온 후 바로 식량얻기를 위하여 밭으로 나갔다.  그녀는 거기서 우연처럼 보이는 하나님의 인도에 의해 보아스 만날 수 있었다.  그리고 보아스는 그녀에게 다양한 편리을 도모하고, 친절하게 세심한 배려를했다.  그 이유는 12 절에 있는대로 룻이 취한 신앙적인 모습 에 감동했기 때문이었다고 말한다.  감동은 언제나 사람을 움직이는 최고의 무기이다.  시어머니 나오미 가족의 이미지와는 전혀 반대이다.  나오미 가족은 믿음으로 움직이기보다 눈앞의 자기이익이나 문제 해결을 위해 기회주의적으로 행동하고 있었기 때문이다. 

原始福音から見る神の愛と信仰(創世記3:14-16, 12:1-4)

3:14神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
3:15わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
3:16女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」
17 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。


きょうからは、聖書の各巻の学びをしていきたい。
創世記は、すべての始まり(宇宙万物・人間・罪…)である。
創世記の最初の1-11章までは、主に罪と裁きというパターンが繰り返す。4つの大きな事件が記録されている。最初の大きな出来ことは、1-2章での宇宙万物の創造、3章で人間が罪を犯しそれに対する裁き、6章では人間の性的な罪とノアの洪水、11章では人間のバベル塔とそれに対する裁き。つまり、罪に対する厳しい刑罰と裁きが繰り返す。

3章のエバの不従順の罪、6章のノア時代の性的堕落、11章の高慢の罪。これが人間の大きな罪であり、罪の代表的なものである。

1-11章まで人間の罪とそれに対する裁きだが、同じパターンである。しかし、それでも人間の罪の問題は解決にならなかった。罪と罰では救いにならない。それで、12章から今度は4人の人物の話に変わる。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ。事件中心から人の話に変わる。この4人に約束が与えられ、約束によって人間を救う神の計画が始まる。この4人の話は、人間救いの約束がどのように流れていくかを教えてくれる。したがって、聖書の話はこのアブラハムから始まる約束と信仰による救いの話とも言える。それが聖書全体の主題である。

1.原始福音:創世記3:15
3:15わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。

罪を犯してから、神は罪から人間を救うために対策を講じた。それがこの創世記3:15節である。まずは、悪魔と土地への呪い、人間に対する刑罰がそれである。これはあくまでも罪から人間を救うためのことである。その内容を分析すると以下のようになる。

創世記3:15わたしは、おまえ(悪魔)と女(マリア)との間に、また、おまえの子孫(悪魔に支配されるすべての存在)と女の子孫(イエス様)との間に、敵意を置く。彼(イエス様)は、おまえの頭(悪魔)を踏み砕き、おまえ(悪魔)は、彼のかかとにかみつく。

イエス様が女の子孫というのは、イエス様は処女マリヤによって生まれるという意味である。男は関与していないので、女の子孫と書く。普通は男の子孫と書くはずである。イエス様と悪魔(お前)は十字架をおいて戦争をした。十字架を通して悪魔はイエスを殺しキリストの救いを破壊する(かかとに噛みつく)ともくろんだ。しかし、イエス様は逆に悪魔の頭を踏み砕くことで、悪魔が2度と蘇らないように完全勝利した。

実際、この計画(創世記3:15)に従って、約2000年後イエス様が来て十字架を背負い、人間の救いの道が完成し、その後約束通り最後にはヨハネ黙示録20章で、悪魔などのすべてが裁きの場、地獄に完全に閉じ込められ、21-22章に人間の完全な救いである新しい天国が開かれる。それで、人間救いは終わる。呪われた自然やエデンの園、人間も回復し、救いは完成する。壊すのは簡単だったが、立て直すのは厳しい代価が必要である。この原始福音にそって聖書や歴史が動いたとも言える。

創世記3:15は、新約のヨハネ3:16(生ける福音)とつながっている。ヨハネ3:16は、十字架の出来事の後に与えられた効力が生まれた生ける福音、真の福音である。

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

このアダムとエバの事件から考えられるのは

●神様は私たちの罪という行いだけを考えるならば、さばきと刑罰の連続にしかならない。それで、神様は12章からアブラハムの約束、つまり信仰によって救われる道を下さった。

●なんと感謝んことなのか。私たちに呪いをもたらした悪魔との戦いで命を捨てたイエス様によって、救いの道が開かれた。

●神は私たちを事件や行い(罪)中心ではなく、やり直せる可能性に希望をおく約束と信仰をもって私たちを導く。行為中心では生きていられない。

創世記3:14-16は、罪を犯してからの悪魔や人間に対する神様のやり方である。まず、悪魔には呪いが、人間には罰が与えられる。ここから考えると、人間には大体神様によるいくつかの人間救いの対策が見えてくる。

●一般に神の救いの計画には、罪の呪い、罪の刑罰、予言、約束の4つがある。
・呪い:人間救いのための悪魔への措置。十字架の戦いで敗北させる。やり直しができない、一番厳しい措置である。
・刑罰:罪を犯した人間への一時措置で、やり直しができる。
・予言:人間の間違いに対する行為にすぐ罰を下るのではなく、忍耐をもって悔い改めを待つ意味。
・約束:人間の救いや祝福のための神の人間に対する約束。これにはその約束を受け取る信仰が必要。これが聖書の全体の主題。

●悪魔と罪について考えてみよう。悪魔はずっと誘惑し、罪に進むように、そして神との関係が遠くなるか、切れることを願う。最終的には、救いから漏れることを狙う。

■悪魔は私たちの弱さを攻撃する。しかし、主のみ名によって祈れば退く。悪魔の奴隷として生きてはならない。

●罪とのもがきは起き上がりたいサインで、その時神様も手を伸ばしてくれる。神様は罪を喜ばないが、そういうもがきは喜ぶ。いつか起き上がれる。

●神は罪を犯したアダムとエバ(人間)に罪の刑罰を与えたが、呪ってはない。つまり、やり直せる機会を下さった。救われることのできる信仰という具体的な方法も下さった。

■希望を失ってはならない。罪を犯しても、繰り返して犯しても、悪魔の攻撃を受けても、約束の福音を信じることで回復する。そして天国に入る。

●この神は人間が罪を犯し、一番最大のピンチにいる時に、近づいてきた。そして救いの計画を宣言された。

●私たちが罪を犯し、苦しみ、隠れているときにも、神様は私たちにずっと近づいてきて、私を呼んでいる。その話を聞いて、罪を告白し、悔い改める必要がある。

■エバのように、私は隠れている。素直に神に答えてください。今私は罪を犯しましたと、それで逃げて苦しんでますと話してください。隠れても隠すことができない。その方に、自分の罪を告白する。

●創世記4:7 罪が門の前にある
創世記4:7あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」

●私たちの周りには罪がいっぱい待ち伏せしている。あちらこちら。町にも、新聞、インターネットにも。罪の奴隷、悪魔の奴隷、また罪を犯すだろうからといって、諦めてはならない。それはよくない。何度でも起き上がる。

●もがきをすると筋肉がついて、いつかは起きれる。しかしそれをしない人は、永遠に起き上がれない。もがきは霊的筋肉訓練。罪を告白して、悔い改めよう。毎日洗おう。体洗うことを恥ずかしく思うのか。しかし悪魔がそう思わせる。あなたがもがきをする時は、あなたは死んでいない。それは生きている証拠である。イエス様の勝利を信じること、もう一つは起き上がる練習(告白と悔い改め)をやまない。いつかは、起き上がるようになるから。

結びの祈り
天の父なる神様! きょうは原始福音について学びました。私たちの罪にそのまま返すのではなく、愛に満ちた神様は、いくつかの措置を行いました。自分の独り子、イエスを犠牲にしてまで悪魔を閉じ込め、私たちには罰を与えたものの、罪への永遠の呪いではなく約束による信仰を通して救われる道を設けてくださいました。ありがとうございます。悪魔は今も私たちを誘惑し罪へ陥れるために数々の攻撃をしてきますが、私たちはイエス様による勝利への宣言をしっかり行い、また悔い改めの心をもって神の前に出ることができますようにお導きください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

偶然のように見える必然があるだけ! 우연처럼 보이는 필연이있을뿐!

"ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾ったが、彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた。ルツ記 2:3"

モアブから帰ってきたルツは、食べ物もなく早速仕事に出るようにした。それは、社会の弱者のために行われる、刈り取りの時に落ちる穂を拾うことである。その仕事のために畑に出たルツは、偶然のようにボアズ(後に夫となる)の畑に行くようになった。そこで出会ったボアズから励ましと仕事の許可をもらった。このボアズという男は、自分の畑で働く人に神の祝福を祈る素晴らしい人であり、働く人たちからも祝福を祈ってもらえる信仰と人望のある人である。その彼の畑についたのは、偶然なのか、それとも神の導きなのか。もちろん、それは偶然のように思われる必然、つまり神の導きである。私達クリスチャンの人生に起こる様々なことはすべて、神の導きと認知の上で起こる。私達の髪の毛のことまで知っている神には当たり前のことである。この信仰がないと、人生にさまよい、苦しみ、信仰がいつもふらふらする。祈れば、必ずルツのように神様からの機会、答えが訪れる。それは、偶然のように思われるかもしれないが、神の導きの必然である。失望せずに信仰と祈りにしたがって歩めば、その時は来る。ボアズの畑のような神の恵みに出会う時が。

 우연처럼 보이는 필연이있을뿐!

"룻은 가서 깍는 사람들 뒤에 따라 밭에서 이삭을 주워했지만, 그녀는 뜻밖에도 엘리멜렉의 가문 인 보아스의 밭 부분에왔다.  룻기 2 : 3"

 모압에서 돌아온 룻은 바로 넉읊것을 위하여 일하러 가기로 했다.  그것은 사회적 약자를 위해 행해지는 수확시의 떨어지는 이삭을 줍는 것이다.  그 일을 위해 밭에 나온 룻은 우연히(우연이 아니지만) 보아스(나중에 남편이 됨)의 밭에 오게 되었다.  거기서 만난 보아스로부터 격려와 이삭줍기 허가를 받았다.  이 보아스라는 사람은 자기 밭에서 일하는 사람에게 하나님의 축복을 기도하는 멋진 사람이다.  이런 보아스의 밭에 오게 된 것은 우연인가, 아니면 하나님의 인도인가.  물론 그것은 우연처럼 보이는 필연, 즉 하나님의 인도이다.  우리 그리스도인의 삶에 일어나는 여러가지 것은 모두 하나님의 인도와 인지하에서 일어난다.  이 믿음이 없으면 인생은 방황하고 어려워지며 늘 흔들리는 삶을 살게된다.  하나님은 우리 머리카락 하나까지 전부 알고 헤아리시는 분이시다. 기도하면 반드시 룻처럼 하나님의 기회와 응답이 찾아온다.  그것은 우연 같이 생각 될지 모르지만, 하나님의 인도의 필연적이다.  실망하지 않고 믿음과 기도를 따라 살면 그 응답과 하나님의 인도의 때는 온다.  보아스의 밭과 같은 하나님의 은혜를 만날 때가 말이다.

世で一番胸が温まる感動のドラマの女主人公! 세상에서 가장 가슴이 따뜻해지는 감동의 드라마의 여주인공!

ナオミに言った、「いいえ、わたしたちは一緒にあなたの民のところへ帰ります」。
ルツ記 1:10

彼女は、当時においては一番の弱者であった。イスラエルが一番嫌うモアブの民族、それも夫が亡くなった若い寡婦、また嫁いた夫の家の男は3人全員が何かの呪いを受けたように、全員死んでしまった。完璧な母子家庭(?)である。またイスラエルから飢饉を逃れるために来たこの家は、イスラエル人であってもそれほど信仰も尊敬ももらえなかったはずである。なのに、ルツは今自分も全く知らないイスラエルについていくことを決めた。彼女のこの決断は、信仰的な決断とも言える。ここから感動のドラマは始まる。皆が助けてあげたくなる女であった。のちに、この決断は想像できない、素晴らしい展開に発展する。一番の弱者の一人が巻き起こすこの話には、これからいくつもの逆転のドラマが生まれる。

今日、完璧な環境や条件だけを待って、動き出せない、または少しの問題や足りないところがあると、不平不満したり、前に進むことを恐れる人が多いのではないか。しかし、この若い、しかも弱そうな女の決断はけっして乱暴な衝動ではなかった。信仰的な全身全霊を尽くした決断であった。彼女のことを考えると、いつも心が温まり、力をもらう。私達が進むべきことはなんだろうか。

세상에서 가장 가슴이 따뜻해지는 감동의 드라마의 여주인공!

 "나오미에게 말 하였다. "아니, 우리는 함께 당신의 백성에게로 돌아갑니다 룻기 1:10"

 그녀는 당시로서는 최저의 약자이었다.  그녀는 이스라엘이 가장 싫어하는 모압 민족이요, 그것도 남편이 사망한 젊은 과부, 또 지금의 의붓 엄마의 집은 그 어떤 저주라도 받았는지 남자란 남자는 다 죽어 버린 완벽한 저주의 가정이었다.  그리고 이 나오미의 집은 이스라엘인이지만 믿음도 존경도받지 못하는 사람들이었을 것이다.  그런데 룻은 전혀 모르는 이스라엘로 따라 가기로 결심했다. 그녀의 이 결정은 신앙적 결단이었다.  감동의 드라마는 여기서 시작된다.  모두가 도와주고 싶어지는 여자였다.  나중에 이 결정은 상상할 수없는 놀라운 결과로 이어진다.  가장 약한 한 여인의 이야기에는 앞으로 계속 반전의 역사가 일어난다.  

 오늘 완벽한 환경이나 조건만을 기다리고, 그래야만 움직이기 시작하는 시대,  약간의 문제나 부족한 곳이 있으면 불평하거나 앞으로 나아가지 못하고 두려워하는 사람들이 많지 않은가.  그러나 이 젊은 게다가 연약한 여인의 결단은 결코 충동이 아니었다.  신앙적으로 전심 전력을 다한 결단이었다.  그녀를 생각하면 항상 마음이 따뜻해지고 힘을 받는다. 오늘 우리가 나아가야 할 것은 무엇인가. 

真理には耳を傾ける人が少なく寂しい道!? 진리에 귀기울이는 사람이 적어 외로운 길!?

"なぜなら、人々が真理のことばを耳ざわりだと敬遠し、自分につごうの良い話をする教師を求めて歩き回る時代が来るからです。テモテへの手紙Ⅱ 4:3"

昔も今も人々は、真理に耳を傾けはしない。代わりに、自分が好きな話や快楽的な話には、お金を払ってでも群がる。そこに殆どの人が長蛇の列を作って集まる。決して寂しくなく、楽しい。その上、末梢神経を刺激してくれて中毒になってしまう。それに比べると、真理の話はかなり違う。末梢神経を大事にし、楽しい話になれている人には、最初はなかなか難しい。その面白さを知るには、少しの我慢が必要である。刺激よりは、内面からの大きな悟りと喜びの響きがくる。

聖書にも、マタイ7:13.14に、狭い問から入りなさいと話す。しかしその門に入る人は少ない。むしろ広い門に、夜も昼に人だかりで賑わう。

"狭い門を通らなければ、天の国に入ることはできません。人を滅びに導く道は広く、多くの人がその楽な道を進み、広い門から入って行きます。 しかし、いのちに至る門は小さく、その道は狭いので、ほんのわずかな人しか見つけることができません。マタイの福音書 7:13‭-‬14 "

広い門には真の命、永遠の命がなく、滅びの道であると話す。最後は、死への絶壁にぶつかり、避けることは不可能である。入るときは、道も広く皆で楽しく歩きやすかったのと対照的である。反対に、狭い、命の門の入口近くは、人が少なく魅力的な道ではなかったが、どんどん広くなり、最終的には永遠の命、天国が現われる。この広い道から狭い道への移動は難しいが、しなくては永遠に後悔する。きょうも多くの人々は、広い門近くに群がっては、その門に入るためお金やたくさんの義性を払って入場券を買っている。反対の真理の門には、無料でも人は入らない。悲しくて切ない風景だが、それも真理の姿かも! あなたは今どの問からはいろうとしていますか。

진리에 귀기울이는 사람이 적어 외로운 길!?

"사람들이 바른 교훈을 듣지 않고 오히려 자기 욕심을 따를 것이며 자기들의 귀를 즐겁게 하는 교사들의 말을 들으려고 그들에게 모여들 때가 올 것입니다. 디모데후서 4:3 "

 예나 지금이나 사람들은 진리에 귀를 기울이지 않는다.  대신 자신이 좋아하는 이야기나 쾌락적인 이야기에는 돈을 디줄하고서라도 무리를 지어 다가간다.  결코 외롭지 않고 즐겁다.  게다가, 말초 신경을 자극 해주어 중독되기 일쑤다.  그에 비하면 진리의 이야기는 상당히 다르다.  말초 신경의 짜릿함을 늘 고대하는 사람들에게는 썩 재미있지는 않을 것이다.  그 재미를 알기 위해서는 약간의 인내가 필요하다.  자극보다는 내면에서 큰 깨달음과 기쁨의 울림이 오기까지는.

 성경도 마태 7 : 13.14에 좁은 문에서 들어가라고 말한다.  그러나 그 문으로 들어가는 사람은 적다.  대신에 넓은 문은 밤낮 인산 인해로 붐빈다.

“좁은 문으로 들어가거라. 멸망에 이르는 문은 크고 길도 넓어 그리로 들어가는 사람이 많고  생명에 이르는 문은 작고 길도 좁아 찾는 사람이 적다.마태복음 7:13‭-‬14"
 
넓은 문은 참된 생명, 영원한 생명이 없는 멸망의 길이다.  마지막은 죽음의 절벽에 부딪쳐 피하는 것이 불가능하다.  들어갈 때는 길도 넓고 모두 즐겁게 갈었던 것과는 대조적이다.  반대로 좁은 생명의 문 입구 근처에는 사람이 적얻고 좋은 길이 아니었지만, 점점 넓어지고 결국은 영생 천국이 나타난다.  넓은 길에서 좁은 길로 이동은 어렵지만 하지 않으면 영원히 후회할 것이다.  오늘도 많은 사람들은 넓은 문 근처에 몰려 그 문에 들어가기 위해 돈과 많은 희생을 지불해가며 입장권을 사고있다.  반대로 진리의 문은 무료임에도 사람들이 들어 가지 않는다.  슬프고 안타까운 풍경이지만, 그것이 진리의 모습이다. 지금 당신은 어느 문에서 서성이고 있는가. 

「心からの愛を捧げる信仰」マルコ14:3〜9(By 堀川)

イエス様に高価な香油を捧げる女性から学ぶ信仰のあり方。

この場面には3つの意味がある。

①イエスを救い主とする意味
油を注ぐということは、イエスを主、王の王とする意味あいがある。
※当時イスラエルでは王様になるときに油を注ぐ儀式があった。

②贖い主とする意味
遺体に香油を塗るということをしていた当時は、イエスが贖いの十字架にかかる準備をしていた。つまり香油を注ぐという意味はイエスを贖い主とする信仰告白である。

③主に全てを捧げる意味
300デナリ、つまり300万円くらいの高価な香油を捧げるという行為はまさに自分の全てを捧げる意味がある。

私たちはなかなか全てを捧げる信仰を持つのは難しいが、
出来る事に心を込めて信仰生活を送ることが捧げることになっていくと思います。

世の終わりの時代に信仰の2つの大きな敵 말세에 믿음의 두가지 큰 적

"その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、
テモテヘの第二の手紙 3:2"

世の終わりの時代の特徴として一番最初出る2つが、自分を愛する利己主義であり、二番目がお金を愛する拝金主義である。二千年前のパウロの恐ろしい予言である。つまり、自分の快楽のためにお金に没頭する時代である。ここから、他人をかえりみる愛の共同体が壊れ、またお金が神となる偶像崇拝により、数々の悪や副作用が現れ、信仰が脅かされる時代を迎える。信仰に生きることが難しい時代になる。

しかし、真の信仰はこういうのに打勝たなければならない。教会がこのような傾向のなかでも萎縮されることなく信仰を守るために、もっと力を発揮する必要がある。私達も、拝金主義、個人利己主義という偶像崇拝に転落してはならない。これこそ、信仰の一番の敵だからである。信仰に生きるのが益々難しい時代である。下手すると、信仰から脱落するしかない時代である。


말세에서의 믿음의 두가지 큰 적

 "사람들은 자기를 사랑하며 돈을 사랑하며 자긍하며 교만하며 훼방하며 부모를 거역하며 감사 치 아니하며 거룩하지 아니하며
 디모데 후서 3 : 2"

 말세 시대의 특징으로 가장 먼저 나오는 두 가지가 자신을 사랑하는 이기주의와,  돈을 사랑하는 배금주의이다.  이천 년 전 바울의 무서운 예언이다.  즉, 자신의 쾌락을 위해 돈에 몰두하는 시대이다.  여기에서는 다른 사람을 되돌아 보는 사랑의 공동체가 깨지고 또한 돈이 하나님이 되는 우상 숭배에 의해 수많은 악이나 부작용이 나타나 신앙을 위협하는 시대를 맞이한다.  믿음으로 사는 것이 어려운 시대가된다.

 그러나 진정한 믿음은 이런것에 승리하지 않으면 안된다.  교회가 이런 추세 속에서도 위축되지 않고 신앙을 지키기 위해 더 힘을 발휘할 필요가있다.  우리도 배금주의와 개인 이기주의라는 우상 숭배로 전락해서는 안된다.  이것이 바로 믿음의 가장 큰 적이기 때문이다.  믿음으로 사는 것이 더욱 어려운 시대가 되었다. 자칫하면 신앙에서 떨어질 수 밖에 없는 시대이다.  

神様の国になくてはならない人の特徴(하나님 나라의에 없어서는 안될 사람의 특징)

"そして、あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、ゆだねなさい。" テモテヘの第二の手紙 2:2 

◎他人に教えることができる、忠実な人

私達はまず自分が神様の前で忠実な人として成長することが必要である。

しかし、それで自分の信仰が充分ではなく半分の信仰に過ぎない。次は、その信仰を他の忠実な人、しかも他人に教えることができる人を見つけ、その人に働きを委ねることで、やっと自分の信仰の役割は完成する。

こうすることで、次の世代が起され、神の国が広がり、使命が繋がっていく。

このような使命を果たすために、求められる人が、他人に教えることができる、忠実な人である。

それを英語では、Teachable&faithful person、である。
神様は、昔も今もこれからもこういう人を探している。

하나님 나라에서 없어서는 안될 사람의 특징

"또 네가 많은 증인 앞에서 내게들은 바를 충성 된 사람들에게 부탁하라 저희가 또 다른 사람들을 가르 칠수 있으리라. " 디모데 후서 2 : 2

 ◎ 타인에게 가르 칠 수있는 충성된 사람

 우리는 먼저 자신이 하나님 앞에서 충실한 사람으로 성장하는 것이 필요하다.

 하지만 그것만으로 자신의 믿음이나 역할을 다하는 것은 아니다.  아것으로는 오삽퍼센트의 신앙이다. 

자기가 성장했다면 그 다음은 그 믿음을 다른 충성되면서 다른 사람을 가르 칠 수 있는 사람을 찾아 그에게 하나님의 일을 가르쳐 맡기는 것으로, 드디어 우리의 신앙의 역할은 완성된다.

 이렇게함으로써 다음 세대 일어나게 되고, 하나님의 나라가 확장되어져 간다.

 이러한 사명을 완수하기 위해 요구되는 사람의 특징이 다른 사람을 가르 칠 수있는 사람이면서 충성된 사람이다.

 그것을 영어로는 Teachable & faithful person 이라고 한다. 하나님은 옛날에도 지금도 앞으로도  이런 사람을 찾고 계신다. 

弱物の代表格のテモテがそこまで愛され、用いられた理由! 약한 자의 대표격인 디모데가 아름답게 쓰임받게 된 이유!

"というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。テモテヘの第二の手紙 1:7 "

彼は偉大な使徒パウロにとって一番愛される弟子であった。偉大な働きをするパウロと比べると、彼は決して働きができる人でもない。彼はまた出身地もイスラエルではなく、当時のアジア、今のトルコ地域であり、彼はまたユダヤ人の母とギリシャ人の父を持ったハーフの人であり、ユダヤ人の観点からは軽蔑される対象である。おそらく父は、信仰もなかった可能性がある。その上、彼は小心な人であり、さらに体も弱く苦しんでいた。つまり、彼は総合的に弱くパウロと一緒に働きをするほどの人ではなかった。臆病者であった。それで、きょうの1:7で、パウロは彼に勵ましを与えている。神様は絶対に恐れを与えず、反対に力と愛を与えると励ます。つまり、絶えず神様から、力と愛をもらえれば良いとの話である。でも神様は弱い彼を用い、パウロも彼を誰よりも愛していた。彼は純粋かつ真実を持ってパウロを親のように心を合わせていたからである。それがパウロには、一番だった。働きが凄い人より、心を共にしてくれる彼に誰よりも愛情があった。これが最高の励みである。

私達も、力があり、何かができれば、愛される、用いられるという考えは間違いであり、人間中心の考え方である。それよりは、神様に、指導者に心を合わせていくことが、むしろもっと愛され、用いられる秘訣ではないか。


약한 자의 대표격인 디모데가 아름답게 쓰임받게 된 이유!

"하나님이 우리에게 주신 것은 두려워하는 마음이 아니요 오직 능력과 사랑과 근신하는 마음이니
디모데후서 1:7 "
 그는 위대한 사도 바울에게 가장 사랑받는 제자였다.  위대한 일을 하는 바울과 비교하면, 그는 결코 하나님의 일을 잘 하는 사람이 아니다.  그는 또한 고향이 이스라엘이 아니라 당시 아시아, 지금의 터키 지역이며, 또한 유대인 어머니와 그리스인 아버지를 가진 하프 이어서 유대인의 관점에서는 결코 좋은   가문이라고 말할 수 없다.  아마 아버지는 신앙도 없었을 가능성이 있다.  게다가 그는 소심한 사람이며, 또한 몸도 약하여 고통 받고 있었다.  즉, 그는 종합적으로 어느모로 보나 약하여 바울과 함께 일을 할만한 사람이 아니었다.  겁쟁이였던 것이다.  그래서 오늘의 1 : 7에서 바울은 그를 격려하고  있다.  하나님은 절대 두려움을 주지 않고 반대로 오히려 힘과 사랑을 주시는 분이니 각정말라고 격려한다.  즉, 끊임없이 능력과 사랑을 하나님께 구하라는 부탁이다. 하지만 하나님은 약한 그를 쓰시고 바울도 그를 누구보다 사랑

信仰を支えるものとは(テトス2:11-15)

テトス2
11というのは、すべての人を救う神の恵みが現われ、
12私たちに、不敬虔とこの世の欲とを捨て、この時代にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、
13祝福された望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるキリスト・イエスの栄光ある現われを待ち望むようにと教えさとしたからです。
14キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。
15あなたは、これらのことを十分な権威をもって話し、勧め、また、責めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。



●恵みの語源: カリス(ギリシャ語)、GRACE、好意、親切、恩恵、感謝、プレゼント。

●意味:もらえる資格が足りないにもかかわらず、神からただで与えられることへの感謝や喜び。
    本来の私の姿や状況に比べて、神様が与えることが大きい、その両方の差によって感じる感動や感謝、喜びの心。
    ここから恩返しの心が生まれる。

・物心つく:恵みを知る。親への感謝がわかる。

・パウロは、ひどい罪びとである自分に神様からの限りない愛や恩恵に感動されて、神の働きに専念した。罪が多いところに、恵みがあふれると告白する(ローマ5:20)
律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。

●恵みは信仰の健康度の基準:神様の恵みを感じているかどうか。恵みをどれほど感じているか。
・料理における塩などの調味料の役割に似ている。恵みがないと信仰生活の味がわからない。おいしくも楽しくもない
・恵みのないまま、信仰生活をするのは、重労働であり、続けることが難しい。

※信仰生活とは、どれほど恵みに満たされているのかに尽きる。

1.恵みがもたらすこととは

①恵みは救いから生まれる(11節)
エペソ2:8あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。9行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

・キリストの十字架の犠牲によって私の罪が赦され、救いにあずかるようになった。このことが恵みの原点である。これがしっかりしているかどうかである。

②恵みは成長の総合栄養素(11節)GRACE>>GROW
1コリント15:10 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

・心は恵みによって強くすること
ヘブル13:9 さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を得ませんでした。

③恵みは神が喜ばないことを捨てることができるようにする力の元(12節)

④敬虔に、クリスチャンらしく生きる力の元(12節)

⓹神様の国への希望をもたらす(13節)

⓺よいわざや働きへの熱心さをもたらす(14節)


2テモテ2:1そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。
2多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。3キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。


●律法か恵みか:義務はつらい。恵みは楽しい。恵みが導く生活


2.恵みに満たされるためには

①知る
1ペテロ3:18 私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。

②みことばへの悟り
QT分かち合い。LINE

③体験する(みことばへの従順・祈りの答え・愛による体験)



結びの祈り
天の父なる神様、きょうは神の恵みについて学びました。恵みが信仰生活の一番重要な要素であることを知りました。しかし、私にとっては、恵みがわからず信仰生活に喜びや感謝がないままのときも多いのではないかと思います。主よ、キリストの十字架の愛による救いからの恵みに目覚めることができますように。その恵みに強い人となりますように。また恵みを慕い求める心をお与えてください。その恵みを毎日少しでもくみ上げながら信仰生活をしていけますように。もっと恵みに満たされて、もっと大きく神様にも用いられますように。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

金が主人となると人生は狂うが、金が奴隷となれば、その人生は輝く! 돈이 주인이되면 인생은 변질되지만, 돈이 노예가되면 인생은 빛난다!

"金銭を愛することは、すべての悪の根である。ある人々は欲ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出て、多くの苦痛をもって自分自身を刺しとおした。テモテヘの第一の手紙 6:10"

現代の人々にとって金は神様の代替品である。神様しか与えられない数々のことを、金が与えると勘違いするからである。ところで、この金は仕事からくるので、金と仕事はつながる。しかし、聖書は神にも金にも仕えることはできないと話す。

金が神となれは、金のためならはなんでも犠牲にする。信仰も神も金を作るための道具となる。なので、信仰が立つ場も成長できる場もない。金とつながらないと動かない人である。

しかし、神が金を支配する人には、金は素直に変貌し輝き始める。様々な立派な働きが出来る。また神は時に金をもたらすようになる。しかし、金が神や信仰をもたらすことはない。

したがって、現代を生きる私達は、神、金、仕事、この3つのバランスとを優先順位において気をつけなければならない。

돈이 주인이되면 인생은 변질되지만, 돈이 노예가되면 인생은 빛난다!

"돈을 사랑함이 일만 악의 뿌리가 되나니 이것을 사모하는 자들이 미혹을 받아 믿음에서 떠나 많은 근심으로써 자기를 찔렀도다
디모데전서 6:10"

 현대의 사람들에게 돈은 하나님의 대체품이다.  하나님만이 줄 수 있는 수많은 것을 돈이 줄 있다고 착각하기 때문이다.  그런데 이 돈은 일에서 오는 것이기 때문에, 결국 돈은 일과 연결되어진다.  그러나 성경은 하나님과 돈을 동시에 섬길 수 없다고 말한다.

 돈이 하나님이 된 사람은 돈을 위해서라면 뭐든지 희생한다.  믿음도 하나님도 돈을 만들기위한 도구가 된다.  그래서 믿음이 설자리도 성장할 수 있는 길도 없다.  돈과 연결되지 않으면 움직이지 않기 때문이다.

 그러나 신앙으로 돈을 지배하는 사람에게 돈은 빛나기 시작할 것이다.  그리고 하나님은 때로 돈을 몰고 오기도 한다.  그러나 돈은 하나님과 믿음을 가져올 수는 없다.

 현대를 살아가는 우리는 하나님, 돈, 일이 세 가지 균형과 우선 순위에 주의해야한다.

完全犯罪に期待してはならない! 완전 범죄를 기대하지 말라!

"ある人々の罪は明白でたちまち裁かれますが、ほかの人々の罪は後になって明らかになります。 同じように、良い行いも明白です。そうでない場合でも、隠れたままのことはありません。テモテへの手紙一 5:24‭-‬25"

罪であれ、よい行ないであれ、必ず暴かれるし、必ず代価がある。遅くは、死後裁きの座にてである。しかし、それは最高の不幸である。その罪をどうしようもないからである。人々は、罪やよい行ないが明らかにならないから、罪に大胆になったり、よい行ないに励まなくなる。しかし、どちらも必ず明らかになるものである。罪には必ず裁きと刑罰があることを理解する時に、人間は罪を恐れ、悔い改め、救いに向かって進むようになる。罪に甘くてはならない。よい行ないに失望してもならない。きょうも罪の深刻さ、よい行ないによる輝きを考えて生活したい。

완전 범죄를 기대하지 말라!

"어떤 사람들의 죄는 밝히 드러나 먼저 심판에 나아가고 어떤 사람들의 죄는 그 뒤를 좇나니 이와 같이 선행도 밝히 드러나고 그렇지 아니한 것도 숨길 수 없느니라
디모데전서 5:24‭-‬25 "

 죄든 착한 행실이든 반드시 드러나게 될 것이며, 반드시 그기에는 대가가 있다.  어떤 죄는 사후 심판대에서 드러나기도 한다.  하지만 그것은 최고의 불행이다.  그때는 그 죄를 어찌 할 수가 없기 때문이다.  사람들은 죄와 좋은 행위가 밝혀지지 않기 때문에, 죄에 대담하거나 무감각하고, 좋은 행동의 동력을 잃어버린다.  그러나 어느 쪽도 반드시 밝혀 질 것이다.  죄에는 반드시 심판과 형벌이 있음을 이해할 때, 인간은 죄를 두려워하고 회개하며 구원을 향해 나아가게된다.  죄를 즐겨서는 안된다.  그리고 착한 행실을 함에 실망해서도 안된다.  오늘도 죄의 심각성, 좋은 행위에 의한 대가를 생각하면서 살아 가야한다.

毎日、体と霊の運動を忘れないように,! 매일 몸과 영의 운동을 잊지말라 !

体の運動は生きていく上においてなくてはならない、大事なことである。何日間、体の運動がないと、体は硬くなるか、病気になり動かなくなる。霊の運動もクリスチャンとして生きていく上において、なくてはならない。大事なことである。にもかかわらず、多くのクリスチャンは、霊の運動を大事にしない。それで、霊が硬くなり、病気になるか、力が入らない状態となってしまう。

もちろん、運動にとどまらず、訓練をすると、体は想像を超えるほど、変わっていく。日頃の運動こそ最高のことである。霊的運動や訓練の結果は、今も死後の天国でもなくならず輝くと約束されてある。つまり、永遠にその価値が認められ、残るのである。霊が硬くならないように、毎日霊を動かし、時には訓練をしましょう。そうすると、私達の霊はいつも最高の状態を保つようになるだろう。


매일 몸과 영의 운동을 잊지말라 

몸의 운동이나 훈련은 살아가는 데있어서 없어서는 안되는, 소중한 것이다.  며칠 몸의 운동이 넘추개되면  몸은 딱딱해져 움직이지 못하게된다.  영적 운동도 기독교인으로 살아가는 데있어서 없어서는 안되는 소중한 것이다.  많은 그리스도인들은 영적 운동이나 훈련을 하지 않는다.  그래서 영혼이 딱딱해지고 병이 들거나  힘을 쓰지 못하는  상태가 되어 버린다.

 물론 운동에 그치지 않고 훈련을하면 몸은 상상을 초월 할 정도로 변해 간다.  평소의 운동 이야말로 최고의 것이다.  영적 운동과 훈련의 결과는 지금도 사후 천국에서도 없어지지 않고 빛넌다고 약속되어 있다.  즉, 영원히 그 가치가 남는다는  것이다.  영혼이 굳어지지 않도록 매일 영혼을 움직이고 때로는 훈련을 행사 한다.  그러면 우리의 영혼은 항상 촤상의 상태를 유지하게 될 것이다.
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惑わす悪霊による信仰の変質(미혹의 악령에 의한 믿음의 변질)

悪霊はいつも信仰者の信仰を壊すのが、絶体絶命の仕事である。そのため、信仰者を誘惑し罪へ導くか、惑わして真理から変質して腐敗させたりする。ここで、惑わすという辞典的意味は、[① 正常な判断力を失わせて、人を不安におとしいれたり、混乱させたりする。]こととなっている。

信仰生活の中で一番一番致命的で不幸な一つが、こういう間違った悪魔の迷惑によって信仰が変質してしまうことである。こういう信仰変質から自分を守るためにも、みことばや祈りをしなければならない。5節には、みことばと祈りによってきよくされると、書かれている。つまり、みことばと祈りによって信仰が守られるようになるからである。これらを疎かにするときに、迷惑の霊は入り込み、信仰を壊してしまうのである。悪魔の誘惑と迷惑を注意すべきである。

미혹의 악령에 의한 신앙의 변질

 귀신은 항상 신앙인의 믿음을 파괴하는 것이 절체절명의 일이다.  따라서 유혹하여 죄를 범하게 하시고 하고  미혹하여 진리에서 떠나 변질시키기도 한다.  여기에 서 미혹이라는 사전 적 의미는 [① 정상적인 판단력을 잃게하여 사람을 불안에 떨게하거나 혼란 시키거나한다.  ] 는 으니이다.

 신앙 생활에서 가장 가장 치명적이고 불행한 것중의 하나가 이런 잘못된 마귀의 미혹에 의해 신앙이 변질되어 버리는 것이다.  이런 믿음 변질로부터 자신을 보호하기 위해서는 말씀과 기도가 무엇보다 중요하다. 디모데전서4장 5 절에는  말씀과 기도로 거룩하게 된다고 말하고 있다 . 말씀과 기도로 우리는 신앙의 변질로부터 보호되기 때문이다.  이를 소홀히하면 악한 영이 침투하여 그나마 있던 작은 믿음 마저도 부수어 버리는 것이다. 마귀의 유혹과 미혹에 주의해야 한다. 
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悪魔の信仰崩しの戦略(創世記3:1-7)

まず、みなさん動画を観ましたか。
何を感じましたか。どのように思いましたか。
もちろん、ここに出てくる内容がそのままではありません。あくまでも聖書の内容を中心に作ったアニメです。
参考にしてくれればと思います。ことばを聞くだけよりも、視覚的なことがあれば、もっとインパクトがあり、長く残ります。

悪魔は、絶えずクリスチャンを惑わし、信仰を崩そうとしている。きょう、アニメで見たように、多くの人は悪魔の誘惑と自分の欲の煽りのセットによって間違った選択をして、信仰からどんどん遠ざかっている。
とくに、悪魔の強い働きの一つが、何だと思いますか。
神様のみことばへの信頼と確信を崩していくことです。

創世記3:2女は蛇に言った。「私たちは、園にある木の実を食べてよいのです。3しかし、園の中央にある木の実について、神は、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ。』と仰せになりました。」

エデンの園で悪魔が人間(エバ)の信仰を崩す糸口は、神のみことばの内容を歪めることから始めた。
神様は善悪の木の実を食べたら必ず死ぬと、命令したのに、悪魔とエバはそれを歪めた。
悪魔は巧みにみことばを変えて人を惑わす。
神様は、善悪の木の実以外はすべて食べてもよいと話したのに、悪魔はどんな木からも取って食べてはならないと話したか、と質問する。

韓国の聖書には、善悪の木の実を取って食べたら必ず死ぬと話したことに対し、エバは、「取って食べたら死ぬかもしれない」と答えた。つまり、「か」ということばを入れたのである。死ぬならな、死ぬことなのに、死ぬ「か」もと話したのである。悪魔は、一文字でアダムとエバを罪へ導き、人類の歴史をひっくり返たのである。もちろん、エバが罪を犯すようになったのは、彼女の欲のためでもある。そしてその欲によって彼女は、神様のみことばを自分なりに解釈し、変えてしまった。

よく、多くのクリスチャンは考える。
「そこまでではない」、「そんなことないはず」と聖書のことばに反論する。
そこからすべては始まり、信仰は崩れるようになる。
みことばにひびを入れれば、サタンには最高の成功である。
みことばに、聖書に、神様に信頼できないという疑問を抱くのは、悪魔の戦略である。

今私たちの生活のいろんなところでこういう現象が起こっている。

●イエス様は私たちに命じていた。よいこもも厳しいこともしっかり教えるように。
マタイ28:19それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、20また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」

どころが、牧師はどうだろうか。
みことばをそのまま、伝えるべきなのに、自分なりに変えて伝えることが多い。
きつい言葉は言わない。祝福の説教ばかりする。いわゆるご利益に沿った説教だけを好む。
地獄の話、罪の話、さばきの話はあまりしない。それを言うと、人が来ないかもと思う。
それで、ご利益の話、天国の話、赦しの話ばかりする。
地獄のない天国は意味がないのに。。。
とにかく、人の顔をうかがって、みことばを歪めるのはよくない。
後になってその責任は大きい。
自分の都合に合わせて話してはならない。

黙示録22:19 また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。

●バラムは神からの声を歪めた。民数記22,23(モアブの王、バラクの願い)
イスラエル民族がエジフトから出て、カナンに入る寸前のモアブの近所にいた時に、そのイスラエルの勢いにおびえたモアブの王、バラクは、予言者であるバラムにイスラエルを呪ってほしいと、頼んできた。それに対して、神様は当然バラムにその頼みに応じてはならないと、はっきり話した。にもかかわらず、彼は賄賂を求め、最後まであきらめず、モアブと付き合いをする。まるで、自分は神様に従う人であるかのようにふるまった。

私たちの情欲や罪が、神様のみことばを、うまくゆがめる。合理化する。自己正当化を図る。それで、信仰はどんどん甘いほうになる。人間は必ず厳しいことよりは、甘いほうを取りたがる。たとえば、天国はもちろん、地獄も、その前の罪への裁きもあると書いてあるのに、私たちはそれをそのまま受け入れない。わるいことはないというふうに思い込みたい。そういう期待に頼りたいと願うのである。


●先人たちは自分の子供たちにも祝福と呪いを祈り宣布した。
・ノア
創世記9:25 言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」

ノアは、自分の子供ハムに呪いのことばを残す。

・ヤコブ
創世記49:5シメオンとレビとは兄弟、彼らの剣は暴虐の道具。6わがたましいよ。彼らの仲間に加わるな。わが心よ。彼らのつどいに連なるな。彼らは怒りにまかせて人を殺し、ほしいままに牛の足の筋を切ったから。7のろわれよ。彼らの激しい怒りと、彼らのはなはだしい憤りとは。私は彼らをヤコブの中で分け、イスラエルの中に散らそう。

ヤコブは、自分の不たちの子供(シメオンとレビ)に、死ぬ寸前呪いを祈りをする。

ノアやヤコブは、子供たちにもみことばを曲げなかった。
私たちも、子供たちにバランスの取れた教育、祝福とそのではない厳しさを示した。
神様への愛はもちろん、大事であるが、神様への恐れも必ず必要である。
そうでないと、人間は勝手に生きるようになるからである。

●イスラエル民族へのカナン定着時の教育(祝福と呪いの教育)
申命記11:29 あなたが、はいって行って、所有しようとしている地に、あなたの神、主があなたを導き入れたなら、あなたはゲリジム山には祝福を、エバル山にはのろいを置かなければならない。

カナンに入る前に、神様は新しい地に入った時の教育のために、ゲリジム山とエバル山の前で祝福と呪いのことを聞いて、自ら誓う教育をした。そして、実際彼らがカナンに入った時に、その式を行う。十戒とそれ以外のことを朗読し、聞いてアーメンとしながら、いちいち祝福と呪いを学ばせた。

祝福だけを知って、呪いがなんと怖いかがわからないので、人間は勝手に生き、神を裏切り、神を猫や犬程度にも思わない。

私たちは、神様のみことばに、素直に信じること。
みことばに、天国と地獄があること、罪の裁きはもちろん、罪の赦しもありそれがイエス様によって可能だということもわかるべきである。
神様のみことばに従って生きていけば、最高の道に導かれる。
祈らなければ、悪魔に自分の魂も、心も、信仰も全部奪われる。

神のいない人生は、空しい。
不従順と罪に走り続けば、必ず悪魔に100%敗北するようになる。
正しい選択とみことばへの素直な信仰を守り続けましょう。

結びの祈り

天の父なる神様! 悪魔は今も多くの信者をだまし、誘惑し、彼らの信仰と祝福、素晴らしい人生を奪っています。サタンに勝利できるはずの私たちが、悪魔の奴隷として転落して、空しい人生を送ることはないように願います。悪魔は、みことばへの素直な100%の信仰にひびを入れ、いい加減な信仰に転落するように働いています。また、私たちは祝福ばかりに甘えて厳しい不信仰の結末は受け入れようとしない癖があります。祝福と厳しい代価や呪いまでもしっかり理解し今の信仰生活に生かしていけますように。みことばを素直に受け入れ、従える力、また恐れをもって救われた者にふさわしく生活できるように助けてください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン