家出の放蕩息子、家での放蕩息子(ルカ15:11-32)

「天国と救いのことについて詳細に教えている」(13章、14章、15章、16章)

•13章(狭い門に入りなさい;救いに向かって歩む人生の大切さ)

•14章(信仰への妨げ)宴会への招待と拒否;救いから遠ざかる理由)

・15-24:宴会(救い)への招待と拒否の理由
天国への宴会へ招きを通して、神は人々を天国に招いている。美味しい料理、祝福をいっぱい用意して待っている。何も持って行かなく畑を買って忙しい。牛を買ったから。結婚したばかりだから。

・25-32:信仰への妨げ
実際、信仰に入っても、今度はまたいろんな信仰への妨げが出てくる。ここでも、3つの妨げがあると書かれている。家族・自分の欲・貪欲などがそれである。

•15章(放蕩息子の例話)
・1-10:失われた羊・銀貨の話(救いのために探し続ける神の愛)
・11-32:失われた人、放蕩息子の帰還と救い

•16章前半:救いへの道(16:1-18)
・救いへの道(16:1-18):賢い管理人から救いへの道、ヒントをもらいなさい。つまり、以下にあるようにこの管理人のように、死後の神との会計、さばきに会う前に、自分を助けてくれる友を造りなさいという意味である。つまり、イエス様を通す救いのことだから、あなたのすべての財産を売ってでも、救いのための友(キリスト)を得なさいという意味。

8 この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
9 そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです。

•16章後半:天国と地獄の現状(16:19-31))
・実際の天国や地獄のリアルな現場の状況を説明することでピークとなる16:19-31)
天国に入った貧乏人のラザロと地獄に入れられた金持ちの話。

1.キーワード
・失われたものを探し続ける主人の愛(救いのための神様やイエス・キリストの切なる愛の心と行動)

・救いにおいてなくてはならない悔い改め(10・18-20節)

2.2人の放蕩息子(分かりやすい放蕩息子(次男)と分かりづらい放蕩息子(長男))
私たちすべては、家出の放蕩息子か、家での放蕩息子か。
1)次男(取税人や罪人)の話(11-24)

①父から離れていった(罪の概念)
イザヤ53:6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。

②離れていく結果は、さまざまな罪にぶつかる。

③悔い改め:放蕩息子の罪と悔い改めの意味(18-20)
父を離れた結果、厳しい環境で神思い、罪を思い、お父さん、神に帰ること(悔い改め)(来た道をそのまま引き返して神に帰ることが悔い改めである。単純にすいませんと話すだけではなく、生き方で方向を変える。Uターンすることである。
•罪の気づき(神にも、お父さんにも):信仰の物心付くことは、これである(18節)。
18 立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。

•気づきだけではなく、行動する(20節;家に帰る)
19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。

・人間のよくある罪
若者の性的な罪、よくない雑誌、ポルノ、性的な誘惑になることが多い。
もう一つは、嘘をつく。これは人間にとっては、非常に便利な手段なので、なかなか離れることが難しい。親に上司に、同僚に様々な形でうそをつき、その場を逃れるが、それはよくない。この罪が発展していくと可笑しくなる。他の罪も平気に犯すようになる。

•善悪:罪は給料の後払い似ている。知恵のない者は、目に見える悪や欲のことを満たそうとする。やっちゃう。それから、その代価は、のちにずっと、場合によっては永遠に払い続ける。

でも、善を行う代価は、遠い未来にくるかもしれない。だから、忍耐が必要である。

2)長男(バリサイ人や書記官)の問題点(25-32)
①一緒にいれば関係がよい(教会内に入れば、救われるわけではない。神との関係が自然とできるわけではない。個々が神との関係を結ばないといけない。)
②まじめにした自分は、その行いで救われると勘違いをしている
③弟を探したことがない無情さや愛の無さ(伝道や人の救いに関心のない)
④相続の意味が分からない(救いの結果に対する確信がない)
⑤真の悔い改めがなかった

3.二人の違いと行方
1)愛と恵みを経験した人(次男)

・完全に低くされた ・自分の救いは全く恵み  ・徹底的な悔い改めを通して救いの喜び
・神にも、人にも忠実になり、典型的な忠実な信仰者として生きて行ったかも。

わざと、罪を犯す必要はないが、すでに犯したならば、それは使い方によっては大きな恵みをもたらすものとなる。終わってしまった罪に対しては、それを通して謙遜に、神と共に歩めばよい。
ダビデもどんでもない、性的な罪、殺人の罪を犯したから、一生謙遜に神と共に歩めたと思う。

2)それができていない人(長男):彼も心は劇的によい方向に変化した可能性もあるが。それがなかったならば。彼の信仰生活は厳しくなったのではないかと思われる。
•苦い根 •恨み •財産 •救いの意味もわからない •生ぬるい信仰者、場合によっては救われなかったかもしれない。 •教会では、善良な人のような人に見え、長老、執事などの職を受けるが、真の意味で救われた者としての情熱も喜びもない  •神様との関係も発展しない

※多くのクリスチャンホームで生まれた人たちは、この長男のような人が多い。

<結びの祈り>
天の父なる神様、きょう放蕩息子の話を通して自分たちも同じだったということを知りました。どちらがいい悪いのではなく、大事なことは、家での放蕩息子を探し続ける神の愛に答えるかどうかのことです。どうか、自分の罪に気づいて、しっかり悔い改めをし、神の愛と救いに入ることができますように。そして、謙遜と限りない恵みを覚えて、毎日を生きることができますように。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

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