広い門と広い道、狭い門と道(ルカ13:22-35)

1段落:救いへの確認
22 イエスは町や村を通りながら教え、エルサレムへの旅を続けておられた。
23すると、ある人が言った。「主よ、救われる人は少ないのですか。」イエスは人々に言われた。
24「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。


●今、イエス様は、エルサレムに行き、十字架で死ぬために、行く途中である。イエス様自分がエルサレムに行くと捕まって死ぬということを知っていた。ででも、その道を避けるのではなく、それに向かっていくのである。そして、そのまま心配そうに歩いていくのではなく、一人でも救うために、町々を訪問し、最後まで一人でも救うために、神のことばを伝えている最中に、きょうの話が出ている。

つまり、ご自身が狭い道を歩みながら、この話をしている。

その時、あるイスラエル人がきて、イエス様に質問した。

どうすれば、救われますかという質問ではなく、「私以外に救われる人は、少ないでしょうね」という高慢な質問である。自分は、当然救われたと思った話である。しかし、イエス様の話を見ると、彼の自慢は余儀なく潰された。あなたは救われていないんだという話である。

イエス様は、救われる人が少ないかという話は無視して、「あなたこそ、狭い門に入りなさい」と答える。

まずは、「あなたが救われたかどうかが、大事だろう」と言いたかった。あなたは、今からの私の話をしっかりしないと、だめだよという話である。

私達もそう。自分は当然救われただろうという思いこんでいることが多い。つまり、救いの狭い門ではなく、救われたかのように見えても、実は救われていない、グレーゾンの広い門にいる人が多い。

●救われたと錯覚するような広い門にいるとは
あのユダヤ人が考える救いの道は、広い門である。彼らは選民意識が強くて、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫、つまり血統によって自然と救われるという勘違い。また自分たちが決めた律法のようなものをまじめに守ろうとする、つまり何かの行為を通して救われるという錯覚である。

・実はキリスト教以外は全部行いによって救われると教えている。これも広い門である。もちろん、人間はそうは言え、行いでは決して入れる人はいないはずなのに。

・この世の宗教と救い
宗教を大きく、二つに分けることもある。つまり、キリスト教は関係の宗教、他は行為の宗教という話である。関係とは、心の信頼、信仰を、神様、キリストに寄せることで救われるという宗教である。これがキリスト教である。聖書の神は、行いよりまずは心、愛、信頼を喜び、それによって人間に救いを与える。

例えば、あなたが愛する人が、あなたに真心をあなたに寄せるのを求めるのか、それとも単純によいことをする存在であってほしいのか。一人の人間が、人であれ、神であれ、その方に寄せれる最高のことは、信頼の心、つまり信仰である。キリスト教では、何かをしたからではなく、十字架のキリストの愛を信頼し、そのしるしとして、その方を自分の心に受け入れることによって、神の子供という関係が生まれ、救いが与えられる。しかし、他の宗教は関係の宗教ではないので、自分の徳を積むこと、よい行ないをすることを通して救われるようになっている。

・なので、キリスト教ではその神との個人的な信仰告白、つまりキリストを救い主として心の中に受け入れることから始まる。もちろん、それが救いにつながる。しかし、他の宗教は、行為の宗教なので、そういう個人的な信仰告白による救いではない。もちろん、まったくないとは言わないでしょうけれども。

・マタイ25:35-37 - キリスト教において行いはどういう意味があるの
35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。


上記のみことばは、天国で神が、救われた人々を褒めている。あなたがたが、私に水を、食べ物をくれたというが、彼らはそういう記憶がないという。もちろん、他人にそういうことをしてもそれはイエス様にしたことにカウントするとう意味である。彼らの記憶にはないが、神やイエス様ははっきり覚えてくださる。つまり、こういうよい行ないを、彼らはわざと救われるためにしたのではなく、自然としたのである。救われたから、感謝でしただけ、だからあまり覚えていない。これがクリスチャンにおけるよい行ないの意味である。救われるための条件としての行いではなく、感謝の行いでする自然なことである。彼らがこれで救われようとしたならば、きっと彼らはそれを覚えていて、「そうでしょう」というはずだった。

●彼らは今までの救いに対する考えは、まずは律法を守る(①)、二番目は血統(②)である。でもこれは間違い。

この間違いを、一つ一つ正すのが、きょうの内容である。

・3段落:救いへの間違い(②の問題への答え;血統によって救われない)
28 あなたがたは、アブラハムやイサクやヤコブ、またすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分たちは外に放り出されているのを知って、そこで泣いて歯ぎしりするのです。
29 人々が東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。
30 いいですか、後にいる者が先になり、先にいる者が後になるのです。」


・4段落:狭い門による救い(おもに32節;行いではなくキリストの十字架により救われる)
32 イエスは彼らに言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『見なさい。わたしは今日と明日、悪霊どもを追い出し、癒やしを行い、三日目に働きを完了する。

・それでは真の救いの道、狭い門(救いの道)とは
上の32節に書かれている。人間の罪を背負って十字架で死んで三日目のよみがえることで、人間の罪への償い、贖いができる。このキリストの十字架によって人間が救われるようになるという意味である。

・この狭い道は、あまり目立たない。みすぼらしい。見つけるのも難しいかも。あまり人が通っていないので、道があるかないかも分からないのが、日本におけるキリスト教である。あまりほとんどの人に魅力を感じさせない。

●狭い門に続く狭い道
狭い門に入って救われたならば、キリストが歩んだ狭い道を歩いてほしい。
私が救われた(狭い門を通った)という、証拠は、私が神様の御言葉に従い、生きるかである。つまり、狭い道、キリストが歩んだ道を歩いているのか。狭い道に入ったのに、いつの間にか、広い道を歩くこととは違う。私がしたいまま、生きるのではない。この世の欲、成功、快楽、金に執着して、そのためならば、罪や悪までにも、自由自在に行き来するようなことではない。もちろん、私たちがこれらを拒否することではない。信仰の中で、正当に与えられたならば、感謝をもってもらう。そしてそれを有意義に用いたり使うことである。

●アンドレジイド、「狭き門」
アンドレジイド、「狭き門」
アリサ、ジェーロムの話。結婚求めるジェロームに、アリサはこの世の幸せではなく、求めるべきはきよさであり、永遠の幸せであると言い、結婚を断る。アリサのセリフ:”この道は二人では入れないほと狭い道である。”

彼女は、最後にこうひうセリフを言う。

”この道は二人では入れないほと狭い道である。”

そうかも。快楽、欲望、罪などを、この世の荷物をいっぱい背負っては、この門は狭くて通れない。
団体で、家族でも入れない。お母さんもついてこれない。愛する人も一緒に入ることはできない。自分しか入れない。一人ひとり、各自入れる。そこは、ある意味裸になって入るようなところ。

●24節に、狭い門に入りたいと願っても入れない。なぜ?
妨害者が多いからである。悪魔も、私の欲も、周りの妨げも。ここでは、31節に見ると、ローマのヘロデ王が、イエス様を殺そうとしていた。

・この答えは、5段落(31節):救いへの妨げ

31 ちょうどそのとき、パリサイ人たちが何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここから立ち去りなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」

34 エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。
32 イエスは彼らに言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『見なさい。わたしは今日と明日、悪霊どもを追い出し、癒やしを行い、三日目に働きを完了する。


●ヘロデは、ヒナを食べる狐と話す。私たちの周りには、やさしいひなを食べようとする多くの狐がいる。それが、場合によっては、政府権力機関、あるいはある個人、友人、家族、親戚かもしれない。とにかく、イエス様をそういうひなを集めようと努力するが、ユダヤ人はそれを拒む。イエス様の切なる心である。

●イエス様の使命への悲壮な覚悟
人間の救いのために、自分が背負うべき十字架を背負うために、その場所であるエルサレムに向かって着々と進んでいく、それこそ自分が話した狭い道を自ら歩んでいく姿。そのの大胆さ、勇気は聖なる使命である。私たちも、自分に与えられた、天からの聖なる使命、御心、ビジョンに向かって、苦しみの中でも動じることなく、一歩一歩歩んでいこうではないか。


2段落:救いのチャンスを逃した結果
25 家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってから、あなたがたが外に立って戸をたたき始め、『ご主人様、開けてください』と言っても、主人は、『おまえたちがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。
26 すると、あなたがたはこう言い始めるでしょう。『私たちは、あなたの面前で食べたり飲んだりいたしました。また、あなたは私たちの大通りでお教えくださいました。』
27 しかし、主人はあなたがたに言います。『おまえたちがどこの者か、私は知らない。不義を行う者たち、みな私から離れて行け。』


●救われないことの苦しみ
救いの門はあなたを忍耐して待っているが、永遠に開かれているわけではない。その門が閉まる時が来る。あなたが心の戸を閉めてしまうか、ある時になって、神からその戸が締められるか、悪魔が妨害して占めるかはわからない。

●救われない後悔が、描かれている。
彼らの後悔の絶好調。はぎしり、昔の因縁を並べる。

一緒に食べたのではないですか、私の周りにいたのではないですか。私に教えたりまでしたのではにですか。とにかく、何か小さい因縁でも並べては、救いに入れないかという、苦しみの挙句、数々の後悔の話、弁明、わらでもつかもうとする話が出てくる。

教会に来たから、交わりしたから、いっしょにご飯を食べたりしたから、一緒に遊んだりしたからではないか。

3段落:救いへの間違い(血統では救われず、血統のない異邦人が救われると説明)
28 あなたがたは、アブラハムやイサクやヤコブ、またすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分たちは外に放り出されているのを知って、そこで泣いて歯ぎしりするのです。
29 人々が東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。
30 いいですか、後にいる者が先になり、先にいる者が後になるのです。」


4段落(律法や行いで救われないことを説明)
31 ちょうどそのとき、パリサイ人たちが何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここから立ち去りなさい。ヘロデがあなたを殺そうとしています。」
32 イエスは彼らに言われた。「行って、あの狐にこう言いなさい。『見なさい。わたしは今日と明日、悪霊どもを追い出し、癒やしを行い、三日目に働きを完了する。
33 しかし、わたしは今日も明日も、その次の日も進んで行かなければならない。預言者がエルサレム以外のところで死ぬことはあり得ないのだ。』



5段落:救いへの妨げ(24節への答え)
34 エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。
35 見よ、おまえたちの家は見捨てられる。わたしはおまえたちに言う。おまえたちが『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』
と言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」


イエス様は、ご自分に与えられた十字架の道、つまり罪深い人間の罪を身代わりに背負って十字架で死ぬことで人間に罪の赦し、救いの道を設けるという、使命に対する悲壮な覚悟が見える。

その方は、自ら狭い道を歩む模範を見せながら、きょうの私たちのも、それを進めている。

自分の救いは当たり前だと思っているかもしれないが、もしそれは大丈夫なのか。もし広い門という救いに近いような状態ではないか。

また、狭い門をくぐり救われたならば、今度は狭い道を歩むことを通して自分が救われた人であることを、生き方をもって証明することが必要である。ただし、これは禁欲主義ではない。禁欲ではこの道は歩めない。救われた感謝、感動、祈り、みことばの力、聖霊の助けでできるのである。

「狭い門」という本の主人公、アリサのように、狭い門に入り、狭い道を歩む自分なりの生き方をどのようにこの世で生きるかが必要ではないか。


<結びの祈り>
天の父なる神様、きょうはイエス様による十字架の救いの道という狭い門について学びました。このキリストを救い主として受け入れることにより、神の子供となるという事実をしっかり確認したいと思います。また、それからイエス様自らが歩まれた狭い道を、私たちもこの世で歩むことができますように。ときに、私たちは弱くて、誘惑に負け、広い道に行き乱れることがあるとは思いますが、しかし神の助けと導きにしたがい、修正を繰り返すことができますように。そのためには、神の力を求める祈り、また聖書のみことばが大事です。その祈りとみことばから離れないで、毎日を生きることができるようにしてください。これからも弱い私たちを憐れんでください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント