感謝によって極められた信仰(詩編50:14-15)

先週、感謝リスト10個を書いて見ましたか。どうでしたか。

詩編50:14 感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。15 苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」

1. 感謝を失った人生
神様との関係にも同じ。感謝の心で生きる信仰者は、自分が幸せである。それは、他人を平安にする。神に喜ばれる。
人間関係にも、神様との関係にも感謝がない、不平不満が多い人は、対人関係、対神関係にも問題が生じる。

私達は、感謝を忘れて生きることが多い。分かってもしない。面倒くさいか、恥ずかしくてか。たまに、親が息子や娘から、手紙をもらったり、あるいは結婚式場で新婦が手紙を読み感謝の言葉を聞くと、泣けてします。なぜか、普段全く言わなかったから、そのことば、一つに泣く。それほど、感謝の言葉に`飢え渇いているかも。私たちは近くにいる人に、あまりにも当たり前と思い、感謝を忘れているかもしれない。親は、子供を産んだ罪と、思わざるを得ないような状況になるのはよくない。

感謝がないどころか、不平不満で満たされている人も多い。その結果、人生が破壊的になっていく。すごく不幸な人生を送る人たちである。心に嵐と波が強く、そこから出てくることばも、不平不満、否定的なことば、などの「死の言語」が多い。何でも揃っているのに、不満がある。しかし、人によってはあまりたりていなくても、感謝する。こういう不満で一杯の人は、それが無くなって初めて、そのことの大切さに気づくようになる。健康がなくなって、いのちがなくなって、仕事がなくなって。。。。

この前のQTで、私が書いたのがある。「いのち(生命)の思い」、「死の思い」を話したことがある(以下)。

”私たちの心の中には、疑い、赦せない、嫉妬、裁きの心、非難、中傷という、「死の思い」がある。一方、信じる、平安、恵み、赦そう、愛しよう、ゆだねようといった「命の思い」もある。毎日、「死の思い」に包まれて生活すると、悪魔の攻撃にさらされ、対人関係で苦しみ、平安のない暗い、死の人生を生きるようになる。しかし、毎日「命の思い」に包まれて生きると、人生はもっと豊かで幸せな人生になるでしょう。信仰者である私たちは、毎日「死の思い」から、「命の思い」に切り替える必要がある。”

同じく、「生命のことば」、「死のことば」がある。「生命のことば」は自分を、人を生かす。「死のことば」、自分や人を殺す。
「生命の言葉」の中で、一番は感謝である。

今のあなたの全ては決して当たり前ではなく、神の恵みで神の奇跡であることを忘れないこと。それから感謝を始めることである。

平凡は、奇跡である。私達は毎日奇跡の中で生きている。しかし、この奇跡が壊れた時に、初めて当たり前ではなく、それは神の恵みであり、奇跡だったことを知るようになる。平凡は正常の意味であり、奇跡がそのまま続くということである。新しい奇跡は求めずに、今の奇跡が続きますように祈ることである。私がこのように元気になっていることも、会社で働けることも、親がいることも、ご飯が食べることも、すべてが神の奇跡である。奇跡の恵みが一日も私たちから離れていない。それを知れば、まず今に感謝!


2.感謝信仰の意味

信仰に感謝が入らないと、それは何か、不十分である。全ての漢方薬に必ず入るのが、甘草である。これが入らないと、漢方薬がなりたたない。料理に塩が入らないと、味が付かないように。感謝の信仰がないと、信仰が成熟し、完全な信仰にはならない。信仰らしい信仰となったと言えない。感謝があって、神様も強力に働き始められる。したがって、感謝は、信仰の最高峰と言える。神を動かすスウィッチである。信仰の最後の仕上げは、感謝でする。つまり、信仰を極めるためには、感謝が必要である。感謝で染まった祈り、私の思い、ことば、これこそ、私のあるべき最高の状態である。感謝があるところに、神様への愛も、恵みも、謙遜も、献身も生まれる。

Ⅰテサロニケ5:16 いつも喜んでいなさい。17 絶えず祈りなさい。18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

普通嬉しいことには誰もが感謝できる。しかし、厳しいときにはそう簡単にはできない。試練の時、最初は戸惑うはずである。そんなときにでも、「とりあえずの感謝」から始まって行けば、最終的には「なるほどの感謝」で終わるようになる。感謝は、一番の信仰の姿である。


感謝は素直な姿で訪れることは少ない。大体は、変装をして私たちに近づいてくるのが多い。つまり、試練や艱難という変装をして訪れる時もある。仮面をかぶった試練や苦しみである。いずれかはそれらは感謝に変わる。また、試練や感謝が来るときは、必ず神様も一緒に近くに来る。だから、そのときは一番安全な時である。以下にあるように、すべては全部私に有益をもたらす方向に変わるからである。

ローマ8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

また、嘆きの悲しみも、必ず喜びの踊りに変わるからである。
詩篇30:11 あなたは私のために、嘆きを踊りに変えてくださいました。あなたは私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました。12 私のたましいがあなたをほめ歌い、黙っていることがないために。私の神、主よ。私はとこしえまでも、あなたに感謝します。


3.感謝をあらわす信仰
ローマ5:20 律法がはいって来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。

いくら罪深い人間でも感謝は溢れるようになる。罪溢れるところに、感謝や恵みが溢れるとなっている。私たちは、罪ないところに感謝溢れると思うけど、必ずしもそうでもない。

実は、恵みと感謝は同じことである。神様からの恵みが、感謝を自然と呼び起こす。そして信仰の成長をもたらす。これが一番健全な成長である。誰から強要されてではなく、神様の恵みに感激して自ら成長が始まる。

ザアカイは、イエス様に出会った恵みに感謝して、自分が迷惑をかけた人に、4倍にして返すと話している。恵みに満たされたマリヤは、彼女の一番の財産である高い香油をもってきて、イエス様の頭に注いだのである。人から見ると、バカなことである。なぜ、無駄なことをしたかと興奮する。彼女はイエス様からの恵みに感動したから自然である。恵みを知ったその時から、あなたは真の意味で成長が始まる。それまでは成長しない。

感謝は、自らに潤いをもたらし、幸せを与え、人には刺激を、神様への献身をもたらす。神には栄光をもたらす。このような感謝と恵みを知った人間はこう考えるだろう。

”私の命があるならば、そのいのちをもってもっと神に栄光をあがめよう。
健康があるかぎり、もっと神の働きにがげもう。
お金があるならば、そのお金の虜となって生きるのではなく、神に、人にも用いて栄光をあがめよう。
何かがあることは、それを意味あるように使い、用いることである。
感謝があれば、何かをあらわすようになる。ことば、行動で、献身で”

こういう感謝の日には、一緒に食事をしたり、礼拝をしたり、また人によっては感謝の献金をしたりすることもある。とにかく、感謝を知れば、神をもっと愛するだろう。もっと従いたくなるだろう。もっとその方に喜ばれたいと思うだろう。皆さんの人生が感謝で染まり、完全な信仰へ成長していけますように祈ります。

「結びの祈り」
天の父なる神様! 今までの私に与えてくださった恵み、今の環境や状況を感謝します。目に見えるものだけではなく、目に見えないことまで、様々な感謝に気づかず、不平不満で神様はもちろん、人にも傷つけたのが多くあります。感謝を忘れていた自分をお赦しください。これからは、もっと感謝に気づき、その感謝の恵みをもって、神様や人にも一層成長した姿を見せることができますように。どんどん感謝の信仰へと成長していけますように。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

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