不対面時代の霊性(Ⅱコリント4:8-10)

動画視聴:https://youtu.be/mgG1j4jYcqQ
Ⅱコリント4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。

1.オンライン礼拝の注意点
●生活礼拝と公的礼拝:生活礼拝とは個人的な礼拝でいつでもどこでも形式なしで持てる私的礼拝である。
●公的礼拝とは、信仰者が一緒に集まって共にする礼拝のことである。私的な礼拝とは違って、それぞれの奉仕、生活礼拝でできないような内容をもって、みんなが信仰を共有し、つながりを確認したり、他のクリスチャンと交わったりしながら、自分の信仰を振り返ったりすることである。信仰者は、頭であるキリストを中心とする体の一部であるので、一人だけでは機能しにくい。かならずつながりを持つことが求められる。

●礼拝における大事な要素は聖さ(区別)である。空間・時間・心という三つの区別が必要である。旧約時代には、空間もかなり大事であったが、新約時代においては空間という概念は(信者の集まり)という意味が強い。時間も、心も区別して集まるのがも大事である。最近自宅でオンライン礼拝をすることもあるが、できるだけ11時に時間を区別して、みんな心を合わせて、教会にくるときの姿勢や服装を取って礼拝することが望ましい。もちろん、たくさんユーチューブに説教やコンテンツがあるが、それはそれで必要な時に利用するのはよい。ただ、それが礼拝に代わると思うのはよくない。上記のような要素をもっての礼拝とは違う。

2.この時期を恵みに変える心構えが必要
●激変時代の信仰の両極端

 創世記の例)ノアの大洪水後の傷、バベル塔後の激変

こういう激変が起こると、多分信仰によって勝利する人も多いが、かなりの信仰者が傷を受けたり、大変な状況、ひいては信仰がダメになることも予想される。私たちは、やられる側ではなく、もっと信仰が成長する機会とする必要がある。

●社会的距離に対する霊的な意味
ペテロルカ22:54彼らはイエスを捕え、引いて行って、大祭司の家に連れて来た。ペテロは、遠く離れてついて行った。

ルツ1:14 彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。

ルカ9:23 イエスは、みなの者に言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。


社会的距離を取るというのが、霊的な距離を置くことに間違われると、よくない。しかし、多くの場合、この社会的距離が霊的な距離を作りやすいので、非常に気を付ける必要がある。

昔の迫害時代と結果的に人が集まらないことでは、同じである。というのは、社会的距離が霊的な距離や死をもたらすと思うのが多かった。実際それはある程度有効である。つまり、社会的距離が霊的な距離になるように放置すると、そこはよくない結果をもたらす。イエス様は、しっかりついてきなさい(ルカ9:23)と言われたのに対し、ペテロは遠く離れてついていった(ルカ22:54)。近くなると、自分も迫害を受けるかもしれないということだった。結果、彼はキリストを知らないと、3度も否認するようになった。多くの場合、近くではなく、適当な距離、かすかに見えるくらいのところで、イエス様について行こうとする場合が多い。しかし、それは世の魔力や悪魔にやられることになる。社会的距離が、くれぐれも霊的な距離を作らないようにする努力をする必要がある。ルツも、ナオミにしっかりくっ付いて行ったと書かれている。この場合、物理的な距離が霊的な距離として現れたのである。


●与えられた環境で信仰が成長する
ピリピ4:13私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

環境は我らを育ててくれる大事な要素なので、それを捨てるというのは、十分考える必要がある。本当に神の御心なのか。そうでないと、自分の信仰の成長を、台無しにすることにもなるからである。こんな厳しいパンデミックの状況も、信仰的にとらえれば、それは大きな成長の機会でもある。ぜひ信仰がだめになるような形ではなく、信仰が強くなるようにしようではないか。

3.不対面時代の霊性管理
1)本質を取り戻す:みことばと祈りをもって神に集中する時間

霊的病棟には、満室で病室が足りない。とくに、植物人間、食事投与、呼吸器つけの思い患者が多い。祈りの呼吸をしないで、他人の呼吸、つまり祈りで延命したり、自力で食事、つまりみことばを食べられなく、人から投与されて延命するような信仰は、霊的には植物状態である。このパンデミックの間に、自力で呼吸を死、食べられるような力を回復することが必要かも。

⓵みことばに守られる
使徒20:32 いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。

詩篇19:7 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。

●QT、 読み、暗記、筆写等をすべてでも、そのうちどれでもまじめにすることは大事なことである。みことばが、人を育てるからである。健康にするからである。パウロは、エペソの長老たちと最後の別れのときに、私の代わりにこのみことばがあなた方を、助け、育てると話した。

②祈りから力を得る
エレミヤ33:1 エレミヤがまだ監視の庭に閉じ込められていたとき、再びエレミヤに次のような主のことばがあった。2「地を造られた主、それを形造って確立させた主、その名は主である方がこう仰せられる。3わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。

●エレミヤのように、穴に閉じ込められた時でも、祈りはできる。四方八方からふさがっても、上の神への祈りはいつでも開かれている。今年は、祈りの強化をしよう。たくさん祈りリストを持つのもよいが、本当に切なる祈りをもって祈ろうではないか。しばらくして、忘れてしまうような祈りでは、切なる祈りができない。今年は、本当に答えられないと困ると思われるのを中心に、祈りリストを作り、集中的に焦点を絞って祈っていくのがよいのではないかと思う。

2)可能な方法での交わりを心がける
ヘブル10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。

●小グループや個人同士のZOOM,ラインなどでの交わり。

3)準備(磨く・開発する)する時間
ガラテヤ6:7思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。

こういう時期には、本格的に何かを始めるのは難しい場合もある。しかし、こういう時に自分を磨いたり、開発したりする、種まきをするのはよいと思う。後になって、それらが大きな力となってくるからである。蒔いてもなく刈り取ることを願うのは、神を侮ることになるからである。種を蒔いて、時間をかけて育てて、そして刈り取るという朝や努力が求められる。今は種まきの時間として非常によいと思う。

<結びのことば>
私たちは、数世紀の間に起こり得る世界的なパンデミック、激変時期を過ごしています。多分、この傷は大きく残るでしょう。信仰においても激変が起こり、両極端の結果が起こると思います。そういう状況の中でも、霊的被害者ではなく、勝利者、学ぶ者として、生きることができるようになりたいです。とくにこう時期には、信仰の本質、神様との関係を強化する時間とする必要があります。短いみ言葉、短い祈りであっても、心から切なる思いをもって臨むことがあればよいかと思います。また、この時期には未来への準備のために、自分を磨く時間とする知恵も与えてくださるように祈ります。

<結びの祈り>
神様! 今私たちは創世記の激変事件に匹敵するくらいの厳しさに直面しています。そしてこれは信仰者にも大きな変化と傷を残すと思います。私たちは、その犠牲者となることではなく、勝利者として生きることができますように。必要な知恵と力、また個人の信仰への意識もしっかり保つことができるようにお導きください。内面がもっと強くなり、真の成長を成し遂げる時間ともすることができますように。肉体的にも、霊的にも守られますように。それぞれ、この時期を有意義に過ごすことができるように助けてください。イエス様のみ名によってお祈りします。アーメン

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