信仰の本質と葛藤の解消(マルコ8:31- 37)

1..ペテロの話から見た信仰の本質
・ペテロに対する厳しい叱責、「サタン」という。
・私たちも何か助言をするときに、人間的な観点で話して終わる場合がある。真実を言えないまま。それはよくない。神の人としての助言ではない。
・イエス様がペテロに「サタン」と言ったが、普通はこういう話を聞くと、メンタルが崩壊する。でも彼はそれをしっかち吸収した。それほど、イエス様とは強い信頼関係ができていたという意味である。関係が薄い人は、よい話しかできないからである。

・弟子たちの今までの信仰が少しずつ明らかになり、彼らの信仰の本質が明らかになった。つまり、彼らの信仰がどれほと間違っていて、大きく本質からずれていたかが分かるようになった。イエスについて行くならば、きっとすごい結果が出るだろうと思っていた。キリストは立派な政治的な救い主となってくれるだろうと思った。なのに、急にキリストが十字架を背負って死んでしまうなんて、ありえない? 混乱するようになった。

わたしたちも同じである。クリスチャンとなると、いいことばかり起こると考えていた。試練も苦しみもなく、人生はよい方向に転んでいくだろうと思っていた。なのに、実際にはそうでなかった。そうなると、混乱する。え! 信仰って何だろう。つまり、信仰の本質が分からなくなり、混乱するようになる。

ここで大体問題が生じる。危機を迎える。信仰持てば、楽で平和で、人生はもっと順風満帆だと思ったのに、そではなかった。いろいろと、自己を捨て、十字架が負うということになると、葛藤する。世の成功や楽を求めていたのに! それが本当に正しかったのか?

2.信仰の本質ではないもの
⓵同情だけでは信仰の本質を求められない。ペテロは、イエス様が可哀そうになって、イエス様の味方となるつもりで、イエス様十字架背負ってはなりませんと、願った。それに、イエス様は容赦なく、「サタン」と言い、彼を叱った。信仰の本質が徐々に明らかになってきた。イエス様が彼を叱ったのは、自分に対する戒めでもあった。十字架を背負うということに対する決意を新たにするためでもあった。

②人本主義の思想は、本質とは天と地ほど違う(人本主義と神本主義):人中心の信仰が人本主義、神中心の信仰が神本主義である。この二つの優先順位を少し変えただけなのに何が問題なのか?

イエス様の話に対するペテロの反論は、人本主義そのものである。神が先か、自分が先かの話である。この二つは、紙の上に書くと、二つの順番を変えることがそれほど、大きい物なのかわからない。しかし、この二つは、天と地をひっくり返ることである。天が下に、地が上になるような信仰、それは非正常であり、続けられない。そういう信仰は維持できるわけがない。つまり、信仰ではないか、あるいはそんな信仰では必ずだめになる。自分で天と地をひっくり返して信仰し続けるとは、可笑しい。非常に怖さを感じる。

※悪魔は本質に近づけないようにする、なんでも歪曲し、誤解させる。
・サタンは地にお腹を付けて生きなければならないという呪いを受けた(創世記3章13-14節)。地のものだけで欲望を満たす存在が蛇であり、サタンである。私たちがもしこの地上のことだけで満足して、生きるならば、それは悪魔の立場と同じである。

※悪魔の働き(スクルーテープの手紙から引用):ベテラン悪魔が新人悪魔への教育のために送った31通の手紙。
・霊性をなくすことができないなら、それを腐敗させる。

・我ら(クリスチャン)の最高の武器である世俗に満足している心が消えないように注意してください。世俗というか、地のことで満足して生きるようにさせればよい。

・敵(キリスト)を眺めている視線を自分に向けるようにして下さい。つまり、神を考えないで、自分のことを自分に合わせて何でも決めていく。
・天を仰ぎ見ないで、世のことだけを見つめて生きることが、サタンの狙いであり、それは悪魔の仲間になることである。でも、人間は上を仰ぎ見る存在である。この地上のことだけを狙って這う存在ではなく、天の神を仰ぎ見て生きる存在である。

コロサイ3:1 こういうわけで、もしあなたがたが、キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこにはキリストが、神の右に座を占めておられます。

マタイ6:33 だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。


※悪魔は大きなことを狙わず、人間が手段と目的を変えることを願う。つまり、優先順位を少しだけ変えるように煽る。

・悪魔にとって一番いいのは、クリスチャンがキリスト教を手段にすることである。しかし、それができないならば、他のそれらしい手段とさせることである。たとえば、正義に満ちる社会、正義と愛のあふれる政治などに。

・とにかく、悪魔は巧みなことばで優先順位をちょっとだけ変え、小さいことから私たちを攻撃する。

3.信仰の本質
マルコ8:34「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。

⓵世俗に染まらず、自己主義を克服     

②いつでも神のために、自分のことを諦める、譲る姿勢。

・少しずつ罪を積み重ねようにして、最も安全な地獄行きの道を提供するすること。それ傾斜緩やかで歩くことも簡単な上に、標識も信号もない道である。

悪魔は、人間が神に触れずに、この世でそこそこ餌をもらって、あまり変なこと(?信仰)でず、そのまま地獄に直行することを願う。もし、苦しみや試練などが続くと、人間はびっくりするので、それで神を探し求めるようなことを死へ次〇ので、そんな状況にならないように、そこそこ、世の祝福を与えるかもしれない。しかし、それは悲劇である。

・私たちは自然に放置すると、神に近づくのではなく、世のほうに近づきます。神から離れていきます。日々み言葉を見て聞くこと、そしてその言葉をもって交わることです。み言葉を刻んで覚えていないと、我々は世の良いものに心奪われてしまう。この前私が話した物理の法則があります。

エントロピー増加の法則:自然はそのまま放置すると、必ず乱れてしまう。信仰は自然ではない。自然は不信仰である。信仰は意図をもって何かをしていかないと、信仰はなかなか難しい。

Ⅰコリント9:26 ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。27私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

ヘブル10:24 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。25 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。


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