何のために人生をささげ、生きるべきなのか(ヘブル11:4)

ヘブル11:4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。


1.去る水曜日の内容
①してはいけないのかどうかより、徳になるかどうかを考えなさい。(Ⅰコリント10:23 )
②自己中心的な行動ではなく、人の益になるかならないか。(Ⅰコリント24,33, 8:9)
③神の栄光となるようにする。(Ⅰコリント10:31)

2.サタンシューズのニュース
ナイキーが、サタン教ないしはサタン教崇拝の人たちの要請により、サタン崇拝用のシューズを666足造り、販売したが、多くの人の批判で全部リコールしたとの話である。

ルカ10:18 イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。
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3.きょうの説教:「アベルとカインの捧げ物に対する話」
•その前のエデンの園では、善悪の木の実を通して、神への信仰を覚えてもらうようにしていた。しかし、それは失敗で終わった。それで、アダムは、ささげることを通して2人の息子が神を覚え、神への信仰を大事にすることを願っていた。そこで、始めたのがこの神への捧げ物である。これをしながら神を覚えて行くこと、それがずっと受け継がれることを願っていた。

アダムの2人の息子、カインとアベルは、定期的に神様に自分たちの収穫したものをささげる時を持っていた。カインは農業をしたので、農業で得た物で、またアベルは羊を飼っていたので、羊をもって神様に捧げ物としてささげた。

•しかし、息子2人、カインとアベルは神様にささげたが、神様はアベルの捧げ物は喜んだが、カインの捧げ物は喜ばなかった。やはり、神様は信仰をもって捧げてほしいと願っていた。つまり、神は信仰を一番喜ばれる。農業物でもよいし、羊でもよい。種類は関係ない。中身の質である。喜びの信仰をもって心からするかどうかである。

4節でカインとアベルの捧げ物に信仰があるかないかは、神様が一番分かる。人間は形しか見ないが、神は中身の心を見ていたはずである。

•それで、カインはそれに腹立ててアベルを殺した。最初の殺人は、信仰のことだった。信仰のない者が、信仰をもっている者に対する殺人である。不信仰を指摘されたカインが、本当に信仰の良いアベルを殺してしまった。

•アベルは、本当に神様にささげるなんて最高のことだと思って、感謝と心を込めてその時のために最高の準備をしてささげた。でもカインは、本当はしたくないのに、親の話もあり、また弟もするので、自分もしないといけないと思い、喜んでできず、無理矢理にいやいやながらしたはずである。

•この事件を通して、信仰が何なのかを考えるべきである。今も私たちの周りには、また自分の中には信仰を殺そうとする不信仰のカインが元気に生きている。下手すると、自分の信仰が簡単に無くなるというか、死んでしまう時代である。カインのような不信仰者にも、また自分の中の不信仰にも気を付けるべきである。

•私たちが献金などをするときも、同じである。信仰によってささげるのか、あるいはカインのように心のない、アベルがするから仕方なくする、または人が見るからする。もちろん、こういうのもないとは思えない。ただ、ずっとこういう姿勢でするならば、それは信仰ではなくなる。

•皆さんの捧げ物のは、どちらですか。カインのような捧げ物ですか、それともアベルのような捧げ物ですか。

•子どもにも実は、小さい時からこういうことをする行為を教えるべきである。自分がちゃんとお小遣いから、少しずつ貯めて、神様にささげる訓練。額のことではなく、心、ささげる訓練を大事にする必要がある。

4.私たちは、何のために人生を投資し、捧げて生きるべきなのか。
•どうせ、私たちは何かのために人生を捧げ、投じていきるしかない存在である。必ず何かのために人生をささげる。人によっては、何もせずに人生を浪費することもある。しかし、この世に置かれた以上、私たちは自分の人生を一番価値あるように生きるべきである。それに対して、聖書はどう教えているのか、考えてみたい。この世で、自分のためだけではなく、もっと永遠なる価値ある所に投資をすることが必要である。

⑴この世において、一番価値あるものとして、神や神の国へささげること

•それこそ、永遠に価値あるものである。それは、お金だけではない、あなたの力、あなたの努力、あなたの人生を、何のためにささげるか。神様のためには、「0」の人生となっては困る。後、神様に会った時に本当にどうするつもりなのか。もちろん、誤解してはならないのは、神や神の仕事にすべて、お金などを投じるという意味ではない。最終的な目的がそうであるべきだという意味である。

•「その理由」:まずは神があなたのために、すべてを捧げてくださったからである。そしてあなたを救ってくださったからである。キリストは、十字架にて自分の最高の命を投じてくださった。そのキリストのために、何ができるかを考えるべきである。

「神があなたにしたこと」
ローマ8:32 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。


「永遠なるたくわえ」
マタイ6:19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。20  自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。


⑵人のために生きる、投じること。
マタイ25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』


•イエス様も、人の救いのために自分をささげたように、私たちも人の救いのために何かをする必要がある。もちろん、物をもってするのもあるし、あるいは神の福音を伝えるのもある。

•わたしはいつも話す。自分のものをもって、贅沢することは当たっり前かも知れないが、神様のみ前に行った時に、褒められることはないと思う。自分のことで、よい物を買い、よい物を食べ、よい物を着て、よい所で住んだから褒められることは、多分ないかもしれない。

•むしろ、永遠に残る事、それに人生をささげるべきである。

Ⅰコリント13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

•ジム・エリオット:「永遠のものを得るためには、永遠ではないことを捨てる人は愚かではない」(He is no fool who gives what he cannot keep to gain what he cannot lose!)

•空手來空手去.
[くうしゅにしてきたりくうしゅにしてさる]私たちは何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいきます。

このような人生で終わってはならない。神に帰るときは、空手で帰るしかないが、しかしその前に私たちはさまざまなことを通して、神のため、人のため、その人の救いのため、いろんなことができる。

•所有だけが一番価値あるという所有価値だけを考えるなら、それが目的であるならば、その最後はむなしさをもたらす。つまり、物の所有価値に人生の目的を置く人は、一番むなしい、むだな人生となるはずである。

•所有をもって、もっと高い価値あるものに投じることができること、つまり永遠なる価値創造のためにささげるべきである。自分の人生を、いつかなくなるものに全部費やさないで、それをもってもっと永遠に残るものにささげることこそ、最高の生き方である。自分のお金、時間、努力、汗などである。なぜかと言いますと、人間は尊い存在なので、もっと尊い何かのために生きるべきである。そうでないと、人間は満足できない存在である。

イザ32:8しかし、高貴な人は高貴なことを計画し、高貴なことを、いつもする。

<結びの祈り>
天の父なる神様、きょうも不信仰のカインと信仰者のアベルについて学び、感謝です。神様は、喜びの信仰をもって、何かすることを喜ばれることです。私たちも自分の人生を、何かに捧げて生きるはずですが、それが神に喜ばれることになることを願います。この世のなくなるものや所有に満足して、それに人生をすべてささげるのではなく、その所有をもって、もっと永遠なる価値を造るほうに、人生を捧げていきたいと願っています。自分の手で持っていくことはできなくても、生きている間に自分の人生を通して、天に蓄えることができることを願っています。それで、最後の日に、自分の人生は価値あったと告白できますように。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

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