信仰;偉大なことではなく偉大な関係(ヘブル11:5-6)

ヘブル11:5 信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。
6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。


1.(6節)神がそこまで喜ばれることは、( 信仰   )

①喜ばれる信仰の二つの条件:( 神がおられること  )・( 求める者に報いてくれる )

悪魔は神の存在は分かっているが、彼らには恐怖の神しか覚えていない。いずれか地獄に投げ込まれることへの厳しさと恐怖を知っている。愛の神はない。多くの人は、神の存在を薄々知っている。それも八百万の神ではなく、聖書の創造主の神である。

そして、人間は神に求め、神はその求めに答える。そういう関係にいることが大事である。もちろん、神はみことばをもって、私たちに語り掛けること。そして、私たちはそれに従って従順したりして、反応しあえることでる。それがもっとも喜ばれる信仰だということである。

②このような関係のためには、少なくとも神様の子どもとなった人でないと、できない。
実際、この世には神の存在をある程度認識し、認める人は多くいるはずです。でも、彼らが神の子どもとなったり、神とのやり取りができるとは思えない。

③神との関係の始まり(神と和解をする): 少なくともイエス様の十字架により、自分の罪が赦され、またそのキリストを救い主として受け入れる時に、私たちは神と和解され、神の子どもとなり、生きた関係ができるようになる。

2.(5節)エノクがそこまで神に喜ばれたのか
④彼は神によって最高に喜ばれるという証拠を得た人である。その喜ばれた彼の生き方について、考えてみよう。
•彼の喜ばれた信仰生活をよく説明するのが、創世記に出ている。(創世記5:21-24)
•それは何でしょう(彼の生き方の特徴):(  神と共に歩んだ  )
•神にそこまで喜ばれた証拠:( 生きたまま天に移された )

あまりにも神と親しく歩んだので、死ぬことも飛び越えて、生きたまま天国の神に直行した。多分、死による神との交わりの少しの空白を埋めるためだったかもしれない。

創世記5:21 エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。
22 エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。
23 エノクの一生は三百六十五年であった。
24 エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。


⑥皆さん、彼がしたのが何ですか。これを通して、神が一番喜ばれる信仰が何なのか、分かる。

•三百年、神とともに歩んだ(2回)
•息子、娘たちを生んだ
これがそれほど、偉大にみえますか。

⑤エノクの生涯:(  365    )歳
(  300    )年神と歩む。
ノアも120年、神と歩んだ。
彼よりもっと長生きした人もいるが、エノクは特別。
彼の仕事を観ると、子どもを生む。
それはもちろん、その子どもたちも全部信仰の継承をしたという意味である。
最高に偉大。価値を測れない。
長生きが大切ではなく、どれほど神と仲よく生きたか、その期間が大事である。

⑥聖書の偉大なひとたち
アブラハム、ヨセフ、ヤコブのように、パウロのようなこと、似ていることは少しもない。なのに、神がそこまで喜ばれた、それほど価値あったのか。

⑦私たちの勘違い:神が喜ばれることは偉大なことより、今の日常で神と共に歩む。日常の生活で喜ばれないから、一発で大きなことをして、喜ばれようとする人もいるが、それが正解ではない。

⑧親子関係、夫婦関係も同じではないか。何年に一回きて、お金や食べ物、服をたくさん買ってあげるより、日頃共にいてくれることがもっと嬉しい。

⑨でも人間は、自ら偉大になるためにもがく。自分の名を残すためにもがく。
それに対し、きょうのエノクは多くのことを語っている。真の信仰って何かを物語っている。

⑩エノクのこと、子供産んで、神と共に歩んだのが、なぜそこまで神が喜ばれるのか?

•主婦の仕事。子どもがそだって、夫か安心して働ける。目立つ仕事ではないが、それがもっと大切。

⑫毎日、毎度。神様のことを考え、その方に祈りながら、一歩一歩歩むのは、簡単ではない。それも300年もしたとは。
•日常で神様と共にするのが、いかに難しいのか、してみた人は分かる。
•マラソン競技がそこまで、尊敬され、大事なされるのとも似ている。
•殉教より、むしろ一生イエス様の弟子として、自分の十字架を背負って生きるのが、神と共に歩むのがもっと大変かも。
•体の寿命より、いかに霊的に意味ある人生を生きたか、求められる。

⑭人はそれぞれ、何か大きい、偉大なことを通して自分の名を残したいとする。もちろん、それが神が望まれることであるならば、すべきである。そしてそれを通して神の名があがめられるようにすべきである。しかし、自分の名のためにするならば、大きな不信仰になる。

1サムエル記15:12 翌朝早く、サムエルがサウルに会いに行こうとしていたとき、サムエルに告げて言う者があった。「サウルはカルメルに行って、もう、自分のために記念碑を立てました。それから、引き返して、進んで、ギルガルに下りました。」

⑮サウルは戦勝記念日を立てた。神様の命令には不従順しながら。これは一番悪い形である。
•エノクと一番反対の生き方。
•私たちは、この世に名前を残すより、天国のいのちの本に名前があることで、喜ぶべきである。

ルカ10:20 だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」

⑯すでに私たちは、有名な人となった。神様を信じただけでそうなった。またそれ以上何を求めるか。小さいことであれ、偉大なことであれ、すべて神の名のために行なわれるならば、それは最高のことである。むしろ、私たちは自分の痕跡や名を消し、そこに神の名を書き入れることが必要である。

2コリント6:9 人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、


⑰今年の教会目標:ヒマワリ、シュマワリ
日記の大切さ(10年日記アプリ紹介)

<結びのことば>
皆さんは、私たちは全部が、パウロやアブラハムやヤコブ、ヨセフのように、また多くの素晴らしいことをした、偉大なひとたちのようにはできないかもしれない。だからといって、意味がないということではない。偉大なことを行なう以上に、神に認められる、喜ばれる信仰、生き方がある。それは、平凡の中の偉大さである。神と親しく、毎度、毎舜、いつもその方と共に歩むことである。それこそが、ただ長生きするよりもっと価値あるものである。エノクのように短い人生であっても、その一日一日をいかに、神と共に歩めるかである。寿命より、霊的にいかに神と密に濃く生きたかが大事である。それで、意味のある霊的寿命こそが大切であるということを、しっかり認識して毎日生きよう。

<結びの祈り>
天の父なる神様、きょうもエノクの生き方を通して、本当に大切なことを教えて頂きました。ありがとうございます。私たちは、みんな偉大なことができる存在ではありません。しかし、神様は偉大なこより、もっと喜ばれることがあるということを、私たちに教えてくださいました。感謝です。平凡な人生の中でも、神と共に歩むということの大切さです。何をするかより、どれほど神と共に歩めるかという質が大事であります。つまり、信仰によって神と共に歩むのか、それとも毎日を、今を不信仰的に歩むるのか、のどちらかです。どうか、一日一日、一瞬一瞬を、神と共に歩むのに、力を入れていれることができますように。わたしの人生が、偉大さを超え、神に喜ばれる人生となりますように。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント