先の者と後の者の逆転(Ⅲ):福音の負債を持っている者(マルコ10:17-31)

画像


きょうの話しは何をすれば永遠のいのちを得ることができますかという金持ちの青年のイエス様への質問から始まった。彼は永遠のいのちを得たと思い込んでイエス様に自信満々に話したが、イエス様の以外の話しに退いてしまう話しである。あれこれ行い、律法を守れば救われると自信を持っていたけど、イエス様は意外なことを要求された。それは財産を売って貧しい者に与えなさい、それから私についてきなさいという話しでした。

彼は行いで救われると考えていた。自分のように律法を守り、よい行いをすれば救われるだろうと思っていただろう。しかしイエス様はそれではできないということを教えるために彼に厳しい要求をされた。しかし彼はそれをすることができなかった。つまり、お金という鎖につながっていてイエス様の要求に正しい反応を示すことができなかった。これが行いへの限界である。お金や名誉といったものは人間の心を支配し、神の恵みも救いも永遠のいのちに行くのを妨害するものである。

金持ちが救われるのが難しく、ラクダが針の穴を通るより難しいとイエス様は言った。もちろん、ここでいう金持ちとは金に縛られている人への話であり、拡大すれば自分の欲に強く支配されている人のことである。そういう人はイエス様の福音に触れることもまたその福音のための意味のある生き方をすることもできない。つまり、彼は福音のために自分の犠牲や献身をすることはできない。あなたの福音を本当に意味のあるものにするためには、つまり生きたものにするためには、福音のためにあなたが何らかの信仰的犠牲や献身が求められる。

それでは、福音に対する私たちの正しい態度とはどういうことなのか、考えてみよう。

1.あなたのために福音をありのまま受け入れることである。そこに何の理由もつけず、何の行いや条件もつけず、ありのままの福音を聞いてそれによって救われるということである。これが福音を自分のものにするための第1歩である。あなたがどんなに素晴らしい行いをしてもそれで救われることはできない。だからこそあなたはイエス様の十字架をそのまま受け入れて救われるしかない。

2.それと、もう一つ福音が強く生き、広がり、多くの実を結ぶためには、きょうの29節のように、それぞれに犠牲や献身が必要である。この若い青年は、イエス様の福音への誘いに、信仰をもって受け入れることも、またその後福音のために何らかの犠牲をもすることができなかった。

きょう29節で、イエス様は福音の為に必要とされることを私たちに命じておられる。この節にあるように主と福音のために自分のことを大胆に捨てる人は、この世での祝福はもちろん、死後の天においても多くの祝福のなかで生きることができるという約束である。しかし、このお金持ちの青年はどういう反応を示ししたか? 彼はイエス様のこのような話にとてもつらい反応を示し、悲しい表情で帰ってしまい、その後聖書には登場しない。多分、彼は一生悩みと葛藤の中で生きたかもしれない。後悔との苦しみの中で生きた可能性がある。あるいは、その後お金がなぜか様々な理由で消え去り、もっとも貧しい人に転落したかもしれない。あるいは、そのお金の欲で完全に支配され、結果自分の人生が狂ったかもしれない。もちろん、もっと金持ちになったかもしれない。しかし彼の魂は非常に貧しくなったに違いないだろう。

Ⅰテモテ6:10 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。

イエス様のこのような要求に対し、弟子たちはどうだったのか? 彼らはこの青年とは違ってイエス様に呼ばれたとき、すべてを捨ててイエス様について来た。漁師をしているものは、網や船、両親をおいてイエス様について行ったのである。

<マルコ1:16-20>
1:16 ガリラヤ湖のほとりを通られると、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師であった。
1:17 イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」
1:18 すると、すぐに、彼らは網を捨て置いて従った。
1:19 また少し行かれると、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネをご覧になった。彼らも舟の中で網を繕っていた。
1:20 すぐに、イエスがお呼びになった。すると彼らは父ゼベダイを雇い人たちといっしょに舟に残して、イエスについて行った。

また、税関に座っていたマタイはイエス様の声を聞いて、その座を捨ててイエス様について行き、弟子となった。
<マルコ2:14>
2:14 イエスは、道を通りながら、アルパヨの子レビが収税所にすわっているのをご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって従った。

ペテロは一説によれば結婚していたにもかかわらず、一人でイエス様について行ったと言われている。彼らは男らしくイエス様の誘いにまっすぐに行動したのである。神様はこういう人を用いる。

皆さんは福音のために何ができるのか? 確かにここでは捨てなさいと命じている。福音の為に捨てることは決してなくなることではなく、きえることでもない。それは最高のものを得る 秘訣である。それは投棄ではなく、一番賢い投資である。

イエス様は福音の完成者であるが、その方は十字架で自分を捨て、福音のためにいのちを捨てた。アブラハムは、イエス様がくる前に、自分の独り子イサクを捧げる事を通して神様が独り子イエス様を十字架に捧げ、捨てることを前もって教えてくれた。

パウロは、イエス様の福音のためになにをしただろうか?
使徒20:24 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜わった、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。

Ⅱテモテ4:6
4:6 わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。わたしが世を去るべき時はきた。

彼は福音のために自分のいのちを捧げ、最後は殉教した。今ここにいる皆さんの福音のルートもさかのぼるときっとパウロにたどり着くだろう。パウロはなぜそこまで熱心に自分をささげ、福音のためにすべてを捨てる事ができたか? 彼は福音に負債を負っていると感じたからである。皆さんはそう感じたことあるのか?

ローマ1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。夫妻は非常に苦しいことである。もちろん、ここでは強制ではありませんが、愛の負債を持っていた。だから、何とか返したいという願いがあっただろう。

そう感じていないなら、福音のために少しの犠牲もすることができないだろう。皆さん、パウロから皆さんまで福音が伝わるのに大体2千年だと考えよう。パウロから皆さんに福音が来るまで一体何人くらいの人が関わっただろうか。つまり、あなたに福音を届けるために何人くらいの人が用いられたかということである。多分百人か2百人くらいいただろうか。

その人たちからあなたに福音を届けるためにそれぞれの方はどんな苦労、努力、犠牲、投獄、殉教、迫害、または汗、死の苦痛などをしただろうか? 多分数え切れないストーリーがあっただろう。そういう数々の苦労や犠牲の重ねであなたは今のあなたまでに福音が伝わり、あなたが救われるようになった。なんと大きな負債だろう。その福音をあなたは自分の代だけで終わってしまうのか?あなたもその福音があなたの代で終わらないようにと、その福音のために犠牲であれ、苦労であれ、何かを捨てることであれ、福音に付け加える必要がある。つまり、マルコ10:29にあるようなことである。

マルコ14章にはある女の話が出てくる。彼女はイエス様の福音のためにどんなことをしたのか? 彼女はマルコ10:29にあるように、自分にとって一番大事で高価な油をイエス様の頭に注いだ。高価なもの、それを頭に注ぎ、捨てたということは周りの人々からの非難の対象であった。一番まずイエス様を裏切ったユダがこの女に怒った。なぜ高価なものを捨てたのか? 本当に虚しいことをしたと怒った。しかしイエス様は彼女に高い評価をした。この女のことをどこででも記念しなさいということだった。みんなが彼女のように福音のために何かをして欲しいということだろう。

あなたにとって重要なことは何だろう。その価値がなくなり、消えてしまううちにあなたはそれをもって神に栄光を崇めるべきである。もし彼女が自分の油をイエス様にもってこなかったならば、多分それはただの油で、一時のことでしばらくして消えてしまっただろう。しかしそれを神様に、イエス様に捧げたからこそそれは永遠に記念すべきこととして今も伝わり続けている。

あなたは今福音のためになにができるのか? まず福音の負債をもっていることをしっかり理解してほしい。それがないと、あなたは何にも動かないだろう。間違いなくあなたも私も福音の負債を負っている。そしてあなたは伝えてもらった福音を次の人に伝える理由がある。その負債をどのようにして返すのか?

まずは、伝えることへの使命をあなたはもつべきである。福音はただではなかなか伝わらない。それには、何らかのことを付け加えて他の人に渡さなければならない。

それは何であろうか? 皆さんまでに伝わって来たこの福音にあなたは何の衣を着せて、それを他の人に伝えているのか? どんな苦労、犠牲、汗、苦痛、献身、迫害、ささげものをその福音に着せて人にバトンタッチすべきではないだろうか?

もちろん、あなたは宣教師として何処かに出て行って福音を伝えることもできるだろう。あるいは、牧師や伝道者として仕えることもできるだろう。いや仕事をしながら、一所懸命に福音を伝え、救われた人を育てることもできるだろう。あるいは、福音のために平信者として周りの人にこつこつ福音を伝え、彼らを教えていくこともあるだろう。今、福音のために、家や両親のこと、お金のことよりイエス様を優先するが必要であるかもしれない。今福音のために自分の大事なこと、お金などを献金をすること、または主のために献身をすることもあるかもしれない。あるいは、あなたの周りの人に口を開いて教会に誘うことかもしれない。とにかく、福音のため、イエス様の為にあなたがすることには少しの無駄もない。きっと実を結ぶだろう。

"先の者と後の者の逆転(Ⅲ):福音の負債を持っている者(マルコ10:17-31)"へのコメントを書く

お名前:
ホームページアドレス:
コメント: