「「子を産まなかったうまずめよ、歌え。産みの苦しみをしなかった者よ、声を放って歌いよばわれ。夫のない者の子は、とついだ者の子よりも多い」と主は言われる。 「あなたの天幕の場所を広くし、あなたのすまいの幕を張りひろげ、惜しむことなく、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ。 あなたは右に左にひろがり、あなたの子孫はもろもろの国を獲、荒れすたれた町々をも住民で満たすからだ。」イザヤ書54:1-3
1.背景
この内容は、バビロンに捕虜となっていたユダ民族が帰って来て再び繁栄することへの預言である。迫害されていたユダ民族をまるでやもめになった女にたとえている。当時のやもめは、確かに厳しい人生を送らなければならなかった。差別や虫、経済的な苦しみなどとてもその制約は多かった。そのようにイスラエル民族もそういう扱いを受けていたとのことである。そういう彼らにも神様の希望があることをここで話す。荒廃していた街、破壊されていた家族、子供が育ちにくい街が繁栄し、子供が増え、霊的に復興し、ユダが信仰によって元気に生きることができるようになるという予言である。日本のように荒れ果て、信仰的に繁栄しにくいところでも希望かまあり、新たな復興ができるということである。
2.なぜ霊的な成長や復興は必要なのか。
人間にとって希望がないということは本当に死である。人間が生きることは希望があるからであり将来があるからである。多くの人は希望がないから動かない。希望がないから力が出ない。すべてはこの希望にかかっている。ナチスのときの監獄の中でもしっかり希望をもっていた人は生き残った。希望がない人は何もしない。動かない。それはどんどん死を促すことになる。イスラエル民族にとっても希望がなかった。国がなくなり捕虜となり、家族は離散しているし、食べ物も、住むところもない状態であった。誰が希望を持つことができようか。そういうときにこの約束が与えられた。彼らには一筋の希望である。まずは、神の約束から希望が始まる。自分たちにもできるんだという希望、神様が自分にも目をむけてくださるんだという希望や確信などが必要であった。私も用いられるんだという希望などが人間には必要である。神ある人間とそうでない人間の違いは何だろうと、自分にも果たして神がおられるかという疑問がこういう約束によって打破できるのである。
○エレミヤ29:11
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
このみことばはバビロンの捕虜となっているイスラエル民族にあてた手紙である。本当に希望を失って絶望にいた彼らに対する内容である。私たちもこういうときがあるのではないか。そういうときに神様かの希望を見出す必要がある。確かに自分を考えると、環境を考えると絶望しかない。しかしそこから目をそらし、上を見て神を見ないと希望を見いだせない。
以下のみことばを見よう。
○エレミヤ29:11 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ。―それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ
このみことばも同じくバビロンに捕虜となっていたユダ民族にあてたエレミヤの予言、約束である。神様は弱いもの、小さいイスラエルを用いてくださるという約束である。以下でも神様はイスラエルに対し、似たような約束をくださった。やはり聖書から希望を見出すことは大事である。
○イザヤ60:22最も小さい者も氏族となり、最も弱い者も強国となる。時が来れば、わたし、主が、すみやかにそれをする。
このように神様からの約束というか聖書からの約束があると、人間は動揺しないで生きることができるのである。以下のみ言葉もそれを話している。
○ヘブル10:23 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。
霊的な成長や繁栄、復興の出発はやはり心からである。希望からである。そこから心が変わり、動きたい気持ちとなり、そこから復興も人生のやり直しもできる。
教会も環境が悪いからできないとか、あるいはなかなか人の心が固いからなどの理由で霊的に繁栄は難しいということだけては、いつまでいっても変化はない。こんなに難しいと思われる人々、繁栄できない、希望が消えたと思われる人々、そういう状況でも再び光が入ってくるということこそ、信仰であり、奇跡であり、神がおられるという確信ではないか。環境が悪く、人の心が硬くても、きっと道はあるし、霊的な繁栄と復興はできる。それがきょうの約束である。
3.霊的な繁栄と復興のためにはどうすべきか。
環境や周りの人の心が硬いという話や思いだけでは何も変わらない。他人や環境のせいにしないで自分が変わり、準備することで復興をもたらすことができる。変化や復興の出発は、自分からである。つまり、準備をしっかりすることである。その準備は、まずは希望の約束を持たない限り始まらない。それができてから動いていく必要がある。聖書から神から祈りから希望や約束を見出すことである。そのために、祈ろう。そのためにみことばにもっと沈むのが必要である。
その後の準備は大きく2つである。それを神様は彼らに話している。ひとつは、外部の環境、住む場所、生きるための、霊的な復興のための場所をしっかり作り上げることである。家の整備、教会の整備やプログラム、受け入れる体制、システムのことをしっかり準備しなさいという意味である。
確かに、JOYCHURCHでも教会の設備やさまざまな部活の資料、道具から、プログラム、システムを作ることを通して、受け入れの体制を作り上げてきたのである。まだ完ぺきではないが、これからも努力していきたい。
もうひとつは、私たちの心の準備、親切さが必要である。私たち教会員の準備された心がどうしても必要である。
ふさわしい器の準備に対してイザヤ54:2〜3では以下のように話している。人々が集まりやすい、救われやすい、過ごしやすい、そういう教会作りをする必要がある。そのためにここでは三つの単語で話している。
①広くする
キャパを広げることを意味する。器が狭いならば、そこには何もいれることができない。人間の心は基本的に狭くなっている。頑固、偏見、先入観、嫉妬、妬み、許せない心などのことで心の器が狭くなる。神様からの信仰の思いとビジョンをもって心を広げることである。もちろん、教会としてはもっと広く整備された、準備された教会、その上に受け入れる体制もできている教会が求められる。いつまでも狭いまま、広がらないのはあまりよくない。しかしそれは器が狭くなっているからである。これから教会ももっと広げること、一人一人の親切さ、受け入れる心の体制が必要である。
⓶長くする
綱は、繋がりや関係を意味する。もっと関係をしっかりすることが必要である。友人であれ家族であれ、放置すれば関係にも錆がついたり、弱くなったりして切れてしまうのである。教会員同士はもちろん、ノンクリスチャンの方ともよい関係を保っていく必要がある。そこから神様につながるからである。
⓷くいを強固にする
私たちの心がおれないためには、イエス様にしっかり杭をうってつなげる必要がある。自分だけでは弱いので神様にしっかりつながることである。杭がしっかりすれば家は崩れないで安全であるが、そうでないと家は簡単に崩れてしまう。教会でもこのように杭のように支えていく柱のような役割をする働き手が必要である。そういう人たちの協力で幕はしっかりして立つことができるからである。
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