真の平安に生きる(ルカ12:4-7、16-23)

4そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。 5恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。 6五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。 7それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。 16それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。 17そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』 18そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。 19そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』 20しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』 21自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」 22それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと…

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最後の5分

1849年12月、ロシア セミョニョプ広場に位置する 死刑場死刑台の上に   反体制の疑いで捕えられてきた 28歲の青年が立っていました。   執行官が叫びました。 「死刑前、最後の5分を与える。 "   わずか5分の死刑囚は絶望しました。 「私の人生が5分後に終わりだなんて、 私はこの5分の間に何ができるのだろうか?」   彼は最初、家族と 同僚を考えて祈りました。 「愛する私の家族と 友人が先に死んでいく 私を許し私のために  あまりに多くの涙を流さないように。 そしてそこまで悲しまないように」   執行官は、2分経過を発表しました。   「後悔の時間もたりないな! 私は、なぜあんなに無駄な時間を生きたのか? 刹那の時間であっても欲しいな!"   ついに執行官は 最後の1分を知らせました。    死刑囚は恐怖に震えながら 周りを見てみました。 「鋭い激しい風も今感じることができないんだな、   私の裸足に伝わる 土地の冷気も感じ得ない、 見ることも、触ることもできないんだな、 すべてが惜しく残念だ!」   死刑囚は 世の大切さに 涙を流しました。    「さあ、執行が始まるでしょう。」   人の足音が聞こえ 射撃のために隊列を整える音が…

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人生のバランス感覚

きょうの聖句には、 「四方から患難を受けても窮しない。 途方にくれても行き詰まらない。 迫害に会っても見捨てられない。 倒されても滅びない。」 となっている。 神が共にする人の超越的強さの 秘密はなんだろうか。 人間が絶望するのは、 一人しかないからである。 しかし、信仰によって キリストを受け入れ その全知全能の主が 共にするようになる時に 人間は希望、勇気、確信を 持つようになる。 何よりも最高の友が共にして くれることになる。 そしてどんな時にも 屈することのない 力によって強められる。 人間は人や物、金や名誉に よって覆われ 寂しくないと思うが、 少しずつそういうのは、 人間から離れていき、 いつかすべて剥がされる時がくる。 そして最終的には 自分しか残らなくなる。 最高の絶望は死や死後にくる。 その時に、キリストという友が いるかいないかは、想像を超えた 力をもたらす。 永遠に共にしてくださる友、 イエスキリスト! そこから希望と力、 永遠になくならない喜びがあり 救いがあり、真の強さの秘密がある。

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疲れ、虚しさ、苦しみの主な原因

きょうの聖句はソロモンという 人が若い時の欲によって 苦しんだ経験からの失敗談である。 この聖句にあるように 人間は見ること、聞くことが 実は眠ってある欲を刺激し そこから比較、嫉妬を起こし 心はますます荒れていく。 もちろん、こういうことを 通して人間は発展することは あるが、みずからは命を 削ることになる。 欲をなくすことはできないが、 欲に煽られて生きる人生は 平安もなく葛藤と疲れと、 苦しみ、虚しさを大量に作り出す。 人間にとって何が価値あるのか なんのためち生きるかという 人生の生きる目標、 価値に対する理解は こういう疲れから救ってくれる。 人や流行に煽られて 生きるのではなく 永遠に価値あるものを目指して 生きることである。 聖書は、何が永遠で 何が価値あるかを教えてくれる。 虚しさと疲れをもたらすことの ためではなく、 平安と真の喜びを与える ほうに心を寄せる、 そんな知恵を求めたい。

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心に蒔かれた種がもたらす成長と変化(マタイ13:31-34)

31イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、 32どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」 33イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」 <本論> 1.小さい種が蒔かれて大きく成長する(外的な成長) ・この種がイエス様との出会いを造る。 ・人がよい人に出会えば心強い。 ・人がイエス様に出会えば永遠が幸せである。 ・出会いは共有を意味するし、自分の弱さや無さが補われるため。 ・この出会いがどれほど強いかによって人生は変わる。 ・自分だけではなく他の存在の巣となる望ましい成長。 ●教育と出会いの違い:教育はあるものを伸ばす。イエス様との出会いは、まったくないものが生まれる。 ●欧米の思想とキリスト教:欧米は全部その思想の下に聖書がある。アメリカは400年もなっていない短い歴史の国であるが、世界を動かしている。その根底には、清教徒の信仰があった。それは愛であり、健全であり、他人を受け入れる心であり、それはきっとリーダー的な内面の大きさを作る思想である。 2.みことばの種は、パン種のように人を膨らませる(内面的な成長) 1)混ぜる:しっかり出会える(人格的な出会い) 2)膨らむ:内面的な成長 …

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天国と地獄、向き合いたくない真実

天国と地獄、向き合いたくない真実 きょうは、聖書からの死後について 学んでみたいです。 仏教に関しては よくわかっていますので、 ここでは聖書を中心に考えてみます。 わたしたちは、 死後に対してはわからなうと話します。 見えないので知らないと答えます。 自分はわからないので伝統、 特に仏教の教えに従うしかありません。 死んだらみんな仏になり 天国に行くというので安心しています。 しかし、それはあまりにも都合のよい話で、 死に対し真剣に考えないようにしています。 それでよければ、最高ですが、 ちょっと疑いたい気持ちが ないのでもないのです。 わたしたちは、天国と地獄の存在を 上手に使い分けています。 悪い人がどんでもない罪を犯して 自分で命を絶ってしまうと、 あまりにも自分勝手だと思います。 絶対に地獄があって あの人は罰を受けて欲しいなと思います。 しかし、自分のことになりますと、 絶対地獄はないと考えたいのです。 このように人間の死後に対する考えは、 とても恣意的で都合のよい事かも知れません。 災難の勧告があっても大丈夫だろうと 思いたくなります。 つまり、人間は将来の不吉なことには、 目をつぶりたい、またはよいように思いたい という願望が強く働くのです。 その思いから天国は当然あるはずで、 地獄はないことを願うのです。 現実の厳しさに目をそらしたい、 そんな願望ではないでしょうか。 事実よりも願望に…

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世で1番悲しい人

この青年は、自分から進んでイエス様にちかつき、 何をすればよいのかと聞いたのである。 その話を聞いてイエス様は、このように提案した。 あなたの財産を売り払って来なさいという話だった。 自信満々に話しかけたのに、 イエス様の話には応じることができず、 悲しみながら立ち去ったとなっている。 彼は財産、貪欲が信仰の1番の妨げとなっていた。 そのため、この素晴らしいイエス様の招きを拒んだ。 多分、多くの人に残念な青年として知られてしまった。 人によっては、それぞれイエス様にちかつくのに 妨げになることがある。 多くの人は、この青年のようにお金、 名誉、隠れた罪の楽しみ、自分の自由な生き方などかある。 世は、わたしたちにとって魅力的な餌を投げてくるからである。 多分、今悩むこの問題さえ主にゆだね、 イエス様の招きに応じるならば、 きっと自分を通して神は大きな技をなさるはずである。 この世で、一番残念な人は、 キリストの提案を無視して生きることである。 世のものは、もうすぐなくなるが、 天のことは、永遠であるからだ。 皆さんに、 今イエス様が 売り払うように、 いや今の個人の問題を主に委ねるように 問いかけているのはなんだろうか。 自分の信仰の妨げになっているのはなんだろうか。 瞬間のために永遠の素晴らしさを諦めますか。 それとも、一回だけの主の声に従いますか。 それにより、わたしたちは変わる。 永遠の悲しみ…

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忍耐力

試練と忍耐力 聖書で1番大事だと言われる 品性は愛てまある。 これは人との関係に大事である。 人は一時魅力的な人のところに 寄せてくるかもしれないが、 最後まで残るのは愛のある人である。 今度、他人との関係ではないが、 自分自身との関係において 最高の力を発揮するのが忍耐力である。 自らを鍛え自らを最高の価値に導き、 素晴らしい果実を実らせる力があるからである。 忍耐力のない人は、いつも最高の結果、 味、果実を味わうのができない。 すぐ諦めたり、すぐ辞めたり、 すぐ逃げたり、すぐきれたり、 すぐ決め付け判断したり、 すぐ自信をなくしたりする。 自分自身へのイメージも悪くなる。 世の中成功であれ、信仰の祝福であれ、 忍耐の向こうで得られる熟した果実である。 子供は忍耐ができない。 熟して食べたら美味しいのに 苦い、美味しくない状態で食べてしまう。 そんな幼稚な人生では永遠に高い価値、 美味しい人生、真の成功、 成熟を手にすることができず、 いつも中途半端な人生、味で終わってしまう。 大体、忍耐するだけで、 多くの問題はよい方向に成熟していく。 きょうからも忍耐力を身につけ、 自分をまず磨いていこうではないか。 魅力とか、すごいなにかを持って 人との関係をなんとかする前に、 自分を磨くことが先かも!

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金持ちの彼、なぜ愚か?

金持ちの彼、なぜ愚か? 財産をたくさん蓄えておいて 飲み食いして楽しもうではないか。 この考え方を持っていた人が きょう登場している金持ちの話である。 これがこの世の一般的なことなので これをいい悪いと言う必要はない。 ならばなぜキリストは この人の生き方が愚かだと話すのか。 彼は大事なことを 勘違いをしていたからである。 一つは、自分は死なないだろうとする、 というか、死に対して全く考えず なんらかの準備もしなかったことである。 死への思いや準備が全くなかった。 今晩でもその死は私を訪れるかも 知れないのに。 次は、自分の欲を満たし 楽しむために蓄えただけだと言う 生き方にある。 彼の財産は自分の欲満たしというか 欲を消すためのものに過ぎず その財産を他のもっと高い 価値を作ることに用いず、 自分の所で止まってしまったことである。 つまり一時的な財産がもっと永遠に 残る、さらなる価値を作ることがなく 自分の欲、お腹で止まってしまったと いうことであった。 え! そんな永遠に残る価値あるのか。 そんな生き方、投資はあるのか。 儲け方も大事であるが、 使い方こそ、もっと大事である。 飲み食い、自分の必要を 満たすことは当然必要であるが、 さらに人や永遠の神のために 用いられることを忘れてはならない。 これこそ、永遠に残る価値である。 今日、死に向き合いたくないと言う思い ま…

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キリスト教の死に対する真実

キリスト教の死に対する考え方 人間が一番怖がり どうしようもないと思うのが死である。 いろんな宗教でも死について教えている。 日本では死や死後のことについては 仏教の影響が圧倒的に強い。 まるでそれが真実と考えている。 基本的には、死んだら皆仏になり 極楽に行けるのである。 人によっては都合のよいことかも知れない。 一方、聖書は人間の死に対して どのように教えているか考えてみたい。 キリスト者にとって体の死は 眠っていることにたとえている。(ヨハネ11:11) 人間が寝る時でも反応は示さないが、 でもいのちがあるので死んだと言わない。 キリスト者の体は死んでも 永遠のいのちを持つ霊は生きているからである。 実際この聖句でラザロの体はお墓に 入れられ腐っていたが、 イエス様はその彼に向かって 眠っていると話し、さましにいこうと 言われた。 先の睡眠の例えのように 彼の体は死んだが、 実は彼の霊は永遠のいのちがあり、 さらに神様、イエス様につながっていて 霊は生きて活動、反応するので、 彼は完全に死んだのではない。 その証拠として、彼の体は死んだが 霊は生きていてずっとイエス様と交わり、キリストの声も聞いて反応していたのである。 だから体が死んだ彼が、 [出て来なさい]という、 イエス様の声に反応してよみがえり、 歩いて出てきたのである。 キリストを信じる者はこのように 体が死んでも霊は…

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ダビデの神への愛のしるし

愛が美しい理由は、エゴ的な生き方から開放され、自分の大事なことを惜しまずに恵むようになるからである。罪人であり、自己中心的な人が愛の故に寛大になったり、そこまで大事にしていた宝のようなものを条件なく差し出すようになるからである。神様も人間を愛した故にご自分の宝であるキリストを人間の罪のために差し出したのである。 ダビデは、神を心から愛していたので王室の宝を捧げ、それも足りず今度は自分の私物の金銀を喜んで捧げた。それだけではなく彼は自分の時間、努力、財産、心を犠牲にして注いだのである。だれから言われないのに自ら進んでおこなったのである。 神を愛する心は見せるためのパフォーマンスにあるのではなく、むしろ見えないところで自分の大事なことをどのくらい犠牲にしてまで神に仕えるかにあるかもしれない。

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人間の矛盾的な姿!

ルカの福音15章は放蕩息子で 知られている若者が登場する。 彼はお父さんのことにも 信仰のことにも関心がなく ひたすら快楽、情欲に夢中になっていた。 そういう彼が家を離れ、 遊女にお金を使い切って、 想像できなかった苦しみに逢い、 やっと今まで大切さを感じていなかった お父さんに帰ってくることになり、 お父さんは彼を懲らしめるどころか、 彼に新しい服を着せ宴会をら開く。 こんな場面を描いたのが、 有名な画家ラムブラントである。 そこにはお父さん(神様)の愛に満ちた顔、 帰ってきた放蕩息子の謙遜で砕かれた姿、 長男を含む周りの冷やかな顔が 対照的である。 人間は自分の罪や過去は優しく、 神にも人にもゆるされたいが、 他人の過去になると話が違う。 この絵にあるように 冷やかでかなり厳しい。 懲らしめないと、許せない。 それが普通の人間の心である。 しかし、神様、ここのお父さんは そういう人間のすべての論理を 遥かに超えている。 恥ずかしい過去も罪も、残像も 愛で塗り直し、受け入れてくれる。 いつも、待ってくれるお父さんの神、 いつでも帰れば宴会を持って歓迎して くれる神を持ち知っているのは、 最高の人生かも知れない。 他人の過去には冷やかであっても、 自分の罪や過去になると限りなく 慈愛深くなる二重的な姿が悲しい!

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半分を残したステーキ

ある大企業の会長が有名なレストランでお客様を招待し食事をするようになった。六人の一行は同じステーキを注文した。 食事がほとんど終わる頃会長が会社の部下にジェフを呼ぶように話した。 「このステーキを調理したシェフを連れてくること。マネージャーではなくシェフでなければならね。」 部下は会長がステーキを半分だけ食べていないのを見て、その後に起こることを心配しながらシェフに会長の言葉を伝えた。 会長の前に来たシェフはかなり緊張した。自分を呼び出した方がどういう人なのかを知っていたからであった。 「ステーキに何かの問題が?」 震える声でシェフが尋ねた。 「いいえ。あなたは本当に素晴らしいシェフよ。今日ステーキは味が非常に良かった。」 このように言い出した会長は話を続けた。 "ちょうど私の年齢が八十になり、食欲が以前と同じではない。なので今日は半分しか食べられなかった。私はあなたを見ようとしたのは心配になったからだ。 半分しか食べていないステーキがキッチンに入ると、あなたが心配するかもしれないと思ったからだ。 私がステーキを残したことがあなたの料理の腕前が悪いからではないことを言っておきたかっただけです。" 「経営の神様」として知られる松下電器(現在のPanasonic)の創業者、松下幸之助の話である。 大きな存在だから下の人をいい加減にするのではなく親切な配慮ができることは素晴らしい。 神様もイエス様も、あまりにも大きすぎる…

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悪に悪で返すより愛の爆弾を投げる!

人間は悪をもらうと何倍をも 返したいという感情が生まれる。 復讐は倍増するので法がある。 [目には目歯には歯]という法も その一つである。 同じくらいやり返すようにということで 復讐の増幅を抑えるようにとした。 しかし新約のイエス様は、 きょうのことばに変えて教えた。 悪に悪を持って返すのは、 血まみれの増悪と報復戦争が続くだけ 力で復讐し制圧はしても憎しみは終わらない。 しかし悪を愛で返す時に 感動と涙が生まれ、敵の心も溶ける。 そこに勝ちも負けもない。 みんな勝ちである。 そして人間は人間らしくなる。 イエス様は これを実践していた方である。 自分を迫害し、逮捕する人にも、 ムチを打つ人にも、自分を十字架に かける人にも、悪を持って返さず 赦しを祈り、神の愛を伝えた。 今周りの敵に復讐の願いを 求めているならば、 きょうの聖句のように、 水いっぱい、暖かい一言を かけることによる 愛の爆弾はどうだろうか。 愛で殺すのではなく心から溶かす❗

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怒り調節障害!

イエス様の弟子、 ヤコブとヨハネが ある村に入った時に 村の人々は自分たちを 受け入れてくれないということに 怒りを感じ、神の力を借りて この村を焼いてしまいたいと話した。 怒りを抑えることができなかった。それも他の力、例えば神の力、権力、地位、 道具を用いてやっつけようと思った。 特に現代社会にはこういう人が列を作っている。 自分の思いの通りにならないと、 怒りを感じ相手を破壊しようという 怒りの調節障害を持っている人が多い。 ひょっとすれば、自分も そうかもしれないという怖さを 持つのも大事ではないでしょうか。 子持ちの親子、こじれる対人関係、周りや社会に対する鬱憤など、 すべてを周りの人や環境のせいにすることなど、 小さい怒り調節障害が出やすいのです。 とくに最近は蒸し暑いのでもっと注意が必要かもです。きょうも、怒りをしっかり押さえて過ごしましょう。 爆発後の代価は大きい!

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人生の黄金律!

2番目のルカ6:31はよく黄金律と呼んでいます。つまり、イエス様が教えその通りに生きらるた、人生を生きる中一番最高のルールです。対人関係のための大事な原則と考えてよいでしょう。自分にしてほしいのを、人にもそのまましてあげれること、それが自分にできる最高の生き方なのです。人間は自己中心に考え行動しますが、それをそのまま他人に向けてすることです。夫婦関係、親子関係、友人関係、仕事仲間関係など、すべてにおいて一番求められる生き方ではないでしょうか。実際、イエス様はこの黄金律を体を持って生きられたのです。それが前の27節、敵をも愛するという形になって現れたのです。それを克明にあらわすのが、十字架だったのです。敵のように自分に向けて興味も関心も示さなく、いや自分にむけてムチを取り、十字架にかける人々にむけて、キリストは神に彼らを赦してくださいと祈り、最後はわたしたち罪人のために、一番大事ないのちを捨ててくれました。ご自分に興味も関心も、相手もしない人々のために命を捨てるなんて無駄ではないかと思われることを、昔も今も続けています。わたしたちがご自分にどのような態度をとるかに関係なくです。そういう最高の愛に満ちた方に出会うのは、それだけで心が温まり、幸せな気分になる。きょうだけでも、この黄金律を少しでも実践すること、どうでしょう。わたしにしてほしいのを、人にしてあげること!❗

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あなたは周りの人や友が一番の大変な時にどういう態度をとりますか。

きょうの内容はイエス様が十字架にかけられ死ぬ前、捕まる時のイエス様の2人の弟子の態度の話である。最初のユダという人は、まずお金をもらって自分の先生のイエスを捕まえるように協力した。後の人、ペテロは自分も捕まることを恐れ、自分の先生との関係を否定した。 自分の益のため、自分の身の安寧のため、友や先生を捨て関係を否定した。これが普通の人間の関係であり、限界かもしれない。友が一番大変な時に力になれる人なのか、逆に逃げる人なのか。しかし、イエス様は十字架の死をもってわたしたちの罪を背負い、守ってくださった。永遠にそうすると約束した真の友!

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聖句暗記の優れた力(ヨシュア1:8)

最近、ニュースには”紀州のドンファン”こと、野崎さんの話が毎日放送されている。14歳から鉄くず広いから始まって財を得た彼は、3000人の美人にお金を貢いだと話す。多分、自分の劣等感をこういうお金を儲けそれで美人との付き合いをすることで自分の存在を認めてもらいたいと考えただろう。承認されるためにお金を、美人を考えたのである。しかし、これで人生が終わってよいのか、なかなか理解しにくい。ほとんどの人がこういうふうに思っている可能性が高い。お金がないから仕方ないと思うだけで、お金があればどうなるか分からない。 1.導入 ・ワーナー・メーカーの話 アメリカ、百貨店の王ともいわれる彼は、自分の人生において一番すごがった投資は12歳の時であったと話す。それはおやぁらもらったお小遣い2ドル50セントで聖書を買ったことであると言った。 ・ナビゲーターのドーソントルトマン 有名なクリスチャン大学生宣教団体であるナビゲーターの創始者、ドーソンは日曜学校時代非常に注意散漫な人であった。日曜学校の先生が彼に暗記を勧め、それで褒められるようになり彼はのちに有名な宣教団体を作るようになった。 •みことばの手(Word Hand):聞き、読み、学ぶ、暗記、黙想、従う 聞くだけは曖昧、人生変わるは読み、豊かさ黙想、揺るがない生き方は暗記と従順。 人生を変えるのはあいまいに知っている多くの聖書のことばではない。しっかり理解し暗記して心に刺さってくるいくつかの聖句によって人生は十分変えられる。投…

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苦しみはなぜ?

「キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。 彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、」ヘブル人への手紙 5:7-8 4月1日のイースターに向け、今はそれまでの約40日のイエス様の苦しみの期間として、四旬節、またはレントと言います。なぜイエス様はそこまで苦しみを受けたのか、いや私たちクリスチャンはなぜ苦しみを受けなければならないのか、考えてみましょう。 1番目、苦しみは私たちの罪の体や心を浄化し、信仰を美味しく美しくします。苦しみは信仰においては、塩のようなものです。塩は量は少ないですが、その役割は絶対的です。腐敗を防ぎ、美味しくするのです。 確かに誰もが苦しみを願わないかもしれないが、誰も苦しみなしには信仰を確立させることができないからです。苦しみの入ってない信仰は、まるでイーストのないパン、塩味のしない料理であり、中途半端な信仰になります。私たちの信仰の中に苦しみが骨のように入り、筋のように張ることで真の美しく硬い信仰が生まれるのです。なぜ苦難なしに信仰が成り立たないのか、理解できなかったり、認めたくなかったりする気持ちがありますが、大事なことは、多くの祝福の所々にそこそこの苦難が混ざって人間は美しくなるということです。祝福が外面的な成長のように見えることに対し、苦しみは内面的な成長をもっと強めるようになるからでしょう。 …

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毎日死を覚悟するとは

Ⅰコリント15:30また、なぜ私たちもいつも危険にさらされているのでしょうか。31兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。 マタイ26:40それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。41誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」 マタイ福音書のイエス様のこのみことばは、どういう意味だと思いますか。わたしと一緒に1時間も覚める事が出来ないのか。 十字架を背負って死んでいくイエス様のために少しも祈りができない弟子たちに残したことばです。今日の多くの人たちの姿ではないでしょうか。 最初のみ言葉、Ⅰコリントでパウロは、毎日死ぬと話しています。彼は毎日信仰のために死を覚悟して生きているとのことです。霊のために肉を殺すことをする人のことです。 霊が生きるために彼は毎日肉を殺し、肉の(欲)死を覚悟しているという意味です。この二つは互いに相反するので霊も元気に生きて肉の欲も満足されるのは難しいのです。 ローマ7:21そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。22すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、23私…

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成長への秘訣(Ⅰテモテ4:6-16)

生物は全部成長する。しかし、ある程度成長すると、もう止まってしまう。しかし、聖書は人間の霊性は限りなく成長すると話す。私たちの肉体は衰退するかもしれないが、霊はいつまでも成長できるのです。 今年は私たちも、個人はもちろん教会も成長することが必要であと思います。ある人は去年に比べて目で見てわかるほど成長した人もいます。しかし、場合によっては、成長のどころか後退したのではないかと思われる人もいます。あるいは、停滞する人もいます。 ほかの人に比べてどのこのではなく、自分の昨日より今日が、去年よりは今年が少しは成長したと思われるならばそれは素晴らしい。たとえ、全部の領域ではないけど、一部でもいいから、何かで成長したと言えることでしょう。 しかし、一つ知らなければならないのは、霊的な信仰の成長は、時間が経てば自然と成長するのではないということです。人間や動物、植物はある程度までは人間の意志と関係なく成長します。勝手に成長するのです。だから信仰も同じかなと思うでしょうが、信仰は決してそうではないということです。放置すると、急激な堕落や後退が起こるのです。悪魔やサタンがそれを狙ってもっと攻撃をしてくるからです。したがって、霊的な成長は人によって全く違います。神様の助けなどがはもちろんですが、自分の意志と願い、努力なしにはできないことが決まっているからです。年によってでもなく、人格や学歴によるのでもなく、自分の熱意と心があるかどうかです。もちろん、その上に環境が加わることによってさらに成長は加速…

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(恵みの)流れのほとりに植えられた自分を目指して

'このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。 ' 詩篇 1:3 2018年が明けました。おめでとうございます。今年は皆さんはどんな一年を考えていますか。 何を目指すかはそれぞれ違うと思いますが、ただ何をするとしても一番大事なことは神様の前で自分がまず潤うことが絶対必要なことではないでしょうか。 よく、言われます。何をするより、どのような人になるかが大事だという言葉です。 英語では、To be is more important than to do. 多くの人は何をする(to do)かばかりに気を取られ、to be(神様の前でどのような人はになるか)には興味がない人もいます。しかし、まずはto beであり、その後自然とto doはついてくるのであると思います。もちろん、to doをおろそかにしてよいということではありません。常にto beの姿勢を忘れてはならないということです。 今年最初のQTは、詩篇1章でした。そこに、to beの秘訣を書かれています。神様の恵みが流れる、その「流れのほとりに植えられた木」のような生き方です。そのためには、みことばの黙想こそ最強ですが、祈りや神への愛などをもってその方から遠ざからないことです。「植えられた」というのは、付いたり離れたりすることではなく、しっかり神の恵みの流れのほとりに植えられ、固定された木のように生きることです。 今年はぜひ皆さん、この「…

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”本当の自由”(ジョン・ストット)

きょうは、ジョン・ストットのいう”本当の自由”について考えてみたい。ジョン・ストットは、まず自由を2つに分けている。消極的な自由と積極的な自由がそれである。消極的な自由とは、”・・・からの自由”であり、積極的な自由は”・・・のための自由”である。この2つが揃った時に人間は真の自由を得たことになる。 1.消極的な自由(・・・からの自由) 1)罪からの自由:悪や責任不移行による問題などからも自由になる必要がある。しかしこういう罪から一番人間を自由にする完全なものは赦しである。実はそのためにイエス・キリストが十字架にかかって私たちの罪のために死なれ、完全な赦しを与えてくださった。そして私たちに自由を与えてくださった。 2)次は自我からの自由:人間はイエス様が言われたこと、神を愛し、人を愛するようにと言われたが、残念なことに人間はこの順番を変えてしまい、神や人より自分をもっと愛するという自己中心的な自我の奴隷となっている。自我と自由とは共存できない。しかし、私たちの中におられる聖霊は、そういう自我の塊である人間を少しずつ解体し、完全ではないが自己中心から神中心、他人愛へと導き自我解体を通して自由を与えてくださる。 3)恐れからの自由:今日人間は数々の恐れによって自由を失っている。死や病、仕事や人間関係、お金や老後、核兵器、将来など、ある意味根拠のない恐れから離れることができていない。しかし、イエス様、神様は全知全能の方である。恐れと自由は両立はできない。私たちは神様とイエス様によって消…

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出エジフト事件の再解析

旧約聖書はただ理解しくいと考えています。そして今の私たちの信仰生活にどんな意味があるかと疑問視する傾向もあります。たしかに、旧約聖書は難しいこともあれば、それが今の私たちの背咽喉生活に一体どんな意味があるのか、あまりピントが来ないこともあり、あまり楽しんで読まないことが多いようです。 そういう面では、確かに旧約聖書はおもに後にくるイエス様に対する話であり、また後に実現することに対する模型、または後のことがもっと明確にあんるようにと、色々な角度から灯りを照らすような役割をしています。したがって、旧約聖書がよく分かれば新約聖書の色々な内容がもっとしっかり、もっと明快に、もっとヒストリのある事実として理解できるようになります。 出エジフト事件を通して今の私たちへの意味を考えてみましょう。 まず、この事件は私たち信仰者の道のりを教えることだと考えることができます。 たとえば、エジフトは当時イスラエル民族を支配して神に国、カナンに入れないようにするこの世、あるいは悪魔の勢力であり、その王バロはサタンを象徴します。そして、モーセはそういうイスラエルを解放した、すなわち救い主イエス様の象徴です。 そして、紅海は信者のバプテスマ、つまり、自分が救われ、神の民になったと言うことを多くの人に知らせることです。この紅海の奇跡を通して全世界の人が神の存在、その民イスラエルの存在を明確に認識するようになったのです。そして荒野の40年間は救われた人の訓練です。最後のカナンは究極的な神の国、天国を指すとも考えて…

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結婚の原点

最初のアダムとエバの結婚における神様の指針や原理はどういうことなのか勉強しえみましょう。 創世記2章18節から25節までを中心に考えてみましょう。 1.離れ(独立)(SEVERANCE):創世記2:24 まず、夫婦になるための結婚は2人が親から肉体的に、精神的に、経済的に離れることから始まる。しっかり離れないと独立ができなくなる。もちろん、これは親にも本人にも大変なことだが、必ずしっかり独立できるようにしなければならない。そうでないと、家庭は外部や親からの干渉で2人の結婚生活に問題を起こす可能性がある。 2.一体(UNITY):創世記2:24 まったく違う2人が、1つになるのは簡単ではない。生活も性格も、文化も風習も全部違う2人がひとつになるのは時間がかかるし、互いの理解がなければできない。肉体的に1つになるのは簡単かもしれないが、実際心も、霊的にも1つになるためにはやはり互いの理解と協力が必要である。   3.親密(INTIMACY):創世記2:25 2人が裸になっても恥ずかしくなかったというのは、2人の間に親密な関係と許しと受け入れると言う関係ができていたからであろう。家庭はそれぞれの汚いことがたくさんでてくるところだからこそ、互いが受け入れるという許しと愛がなければ、多分生きていけない。どんなことでも夫婦は互いの弱さや汚さを受け入れて親密になる必要がある。 4.尊ぶ愛(LOVE):創世記2:23 アダムはエバに向かって彼女は私の骨の中の骨、肉の中の肉と話した…

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ほこり付いた宝石

イザヤ43:4 43:1 だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、主はこう仰せられる。イスラエルよ。あなたを形造った方、主はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。 43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。 43:3 わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。 43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だからわたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。 43:5 恐れるな。わたしがあなたとともにいるからだ。わたしは東から、あなたの子孫を来させ、西から、あなたを集める。 43:6 わたしは、北に向かって『引き渡せ。』と言い、南に向かって『引き止めるな。』と言う。わたしの子らを遠くから来させ、わたしの娘らを地の果てから来させよ。 43:7 わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。 <本文> このみことばは、イスラエル人、それもこれから全世界に散らかされて数々の苦しみを何千も受けながら生きる人々に向けての予言である。あなたかたが今は神のみことばに従わな…

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どうしたら天国に行けるの、その1?

子供がある教会の日曜日学校で先生が子供たちに質問しました。皆さん! どうしたら天国に行けますか? すると、子供たちは色々と答えました。献金をすれば天国に行けます。まじめに日曜日教会に来るなら、天国に行けます。ところで、ある子供がこのように答えました。先生!、死んだら行けます。この話を聞いた先生はしばらく考えるようになってしまったのです。確かに体が死なないかぎり天国に行けませんが、しかしここにはそれ以上のことが考えられたからでした。そうです。私たちが天国に行くためには、2つのことについて死ななければなならいということです。1つは、救いや天国に行く方法などに対する自分なりの考えや主張から死ななければなりません。私はこうすれば救われるとか、色々と主張を持っていますが、それに対しては私たちはあくまでも選ばれるというか、選択される立場であって、自分で自分を入れたり、入れなかったりすることではないので、それを選択できる方の考えに従う必要があります。聖書は明確に話しています。よいことをしたからでもなく、教会に通っているからでもなく、ただ1つ救い主であるキリストにつながっているかどうかであるということです。 そしてもう1つは、罪に対して死なない限り私たちは天国にいけません。これに対しては次回に書くようにします。

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無神論

無神論者と話す機会が多くあります。無神論の定義をはっきりしないと論じることが難しいときもありますが、一般には神の存在を認めないことといえます。しかし、無神論もある意味では、神を信じることはしませんが、何らかのことを信じて生きるという意味では、純粋な無神論とは言い難いかもしれません。しかし多くの無神論者と話しながらわかったことがいくつかあります。まず、彼らは聖書を読んだことも、聞いたこともあまりないということにびっくりします。詳細に聖書を調べたり、考えたりすることはあまりないということです。またあるとしても非常に偏見的な立場に立っています。聖書は真理であり、それは誰にも理解できることであり、まともに考えてみるとそこには誰もが納得するしかない力があるのです。そういう意味では無神論は、無学論者(少なくとも聖書については)に近いともいえます。また彼らは、なぜこの世にこんなに不幸や善人が苦しむようなことが起こりますかと言います。確かに割りと善人に近い人にも不幸があります。でもそれが神様の責任であるかのように思います。いくらクリスチャンであっても死ぬし、病気にかかることもあります。それは自然の摂理でもあります。もちろん、神様が特別に働く場合は、そういう状況に変化がある場合もあります。つまり奇跡が起こることもあるということです。もう1つ彼らは信じない理由があって無神論者になったわけではなく、成長の過程のあるとき、キリスト教やクリスチャンに対するマイナス的なイメージを持つようになり、そこからキリスト教やクリスチャ…

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リンカーンの祈り

エイブロヘムリンカーンは祈る大統領でした。南北戦争で北軍の戦況が不利になると1863年4月30日木曜日を「断食祈祷の日」として宣布して全国民の参加を訴えました。ある日、人気俳優ジェイムズモドックがリンカーンの招請でホワイトハウスに泊まったとき、夜明けになったとき、リンカーンの祈りの声に眠りから起こされたことがありました。リンカーンは兵士らを慰めるためにたびたび戦地を尋ねたがいつも切に祈りました。彼が祈る時間なら司令部幕舍の入口に‘白い手ぬぐい’がかけられていました。リンカーンは戦争が終わった後こう告白しました。“北軍の勝利は祈りの勝利でした。私たちに有能な名将がなかったことがむしろ幸いでした。だから私たちは祈りで神様にもっと頼ることができたからです。”。祈る人は勝利します。

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しん(SIN)型インフルエンザと赦しのワクチン

この10年の間、北朝鮮から脱北してくる人が数え切れないといわれています。約10~30万人が、中国、ロシア、蒙古、東南アジアなどにさまよい、そこでことばでいえない虐待を受けて生きているんです。人身売買、性的奴隷、労働搾取など等を受けながらも何もいえないまま、いのちをつないでいる状況です。いったい自由はなんだろうか? 本当に人間は自由を求めていのちをかけて生きる存在なんです。今世界のいろんなところでそういう戦いは続いています。それほど、人間にとって自由というのは、いのちそのものです。アメリカの朝鮮戦争記念館には、「Freedom is not free」という文句が書いてあります。自由は簡単に手に入るものではありません。もし、今皆さんに少しでも自由があるならば、それは誰かが何らかの犠牲を払ったことに違いありません。 今、皆さんは民主主義社会で生きているから、自由人だと考えるでしょう。でも、あなたは本当に自由人ですか。 体が自由で自分がしたいことは何でもできるから自由人ですか? もしそう思うならば、それは大きな勘違いです。 残念なことに、聖書はあなたを奴隷だと話しています。あなたは表面上は自由かもしれないが、それは極一部の自由であります。あなたは自由の社会に生きているから、自由人だと思ってはならないのです。社会は自由かもしれないが、あなたは不自由な存在、ずばりいえばあなたは奴隷なのです。確かに、神様は人間は、外形は自由であっても内面は奴隷だと話しています。そして真理である、イエス様は…

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