CSルイスの気持ちの良い、しかし一番危険な道(C.S 루이스의 기분 좋은 그러나 가장 위험한 길)

地獄に向かう最も安全な道は、傾斜がなく道の表面は柔らかく、 また突然のくねり、道しるべや標識がない緩やかな道である。 その道は決して絶壁ではなく、のっぺりとした下り坂である。 人々は、その道を気持ちよく歩いていく。  -.CSルイス 지옥으로 향하는 가장 안전한 길은 경사가 심하지 않고,바닥은 부드러우며, 갑작스런 굴곡, 이정표와 표지판이 없는 완만한 길이다. 그 길은 결코 벼랑이 아니고, 밋밋한 내리막길이다. 사람들은 그 길을 기분 좋게 걸어간다. -C.S루이스

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「リンカーン」大統領の信仰十戒

第一は、私は主日(日曜日)を神聖に守り、礼拝生活に努める。 第二は、私は日々神の言葉である聖書を黙想し、その言葉を実践する。 第三は、私は助けを与えてくださる天の御父に日々謙遜に祈る。 第四は、私は私の思いではなく、神の御心に従う。 第五は、私は神が恵んでくださったことを覚えて感謝する。 第六は、私は弱いが、しかし神の助けに信頼する。 第七は、私は神だけを高くし、その方のみに栄光をあがめる。 第八は、私は神においてすべての人は自由で平等である信じる。 第九は、私の兄弟を愛し、隣人を愛するようにと言われた主の命令を実践する。 第十は、私はこの地上に神の真理と正義が実現できるように祈る。

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投げられる石と投げる技術を持っているのか?

後にイスラエルの最も素晴らしい王となりましたダビデが、まだ小さい少年の時にイスラエルとペリシテ人、今のパレスチナとの戦争が起きた。敵の中には背が高く戦争上手の有名な軍人、ゴリアッテがいて完全武装をして戦いに臨んだが、少年だったダビデは、石を投げる技術しかなく、まず代表として2人が戦うようになった。しかし、相手のゴリアッテが近づく前に少年ダビデは、石を投げ相手の頭に命中させ殺し戦争の勝利を得たのである。どう考えてみても少年ダビデが負けるはずの戦いに勝利したのは、彼が創造主のキリストの神様をしっかり信じ、戦ったことしかなかった。もう一つは、彼はまだ剣や武器を使える技術がなかったが、石を上手に使う力を羊飼いをしながり身につけていた。私たちも、世との戦いにおいては、まず信仰、その次に石投げのような自分が上手にできるなんらかのことをしっかり持っいることである。そのどちらもなくては戦いは勝っても勝つことにならない可能性がある。この2つを備えることは最高の準備である。私たちみんな、誰か偉い人を真似して生きるより自分が上手にできることを最高の武器、力として生きていくようにすべきである。真の神への信仰、一番自分的な力を持って生きることを祈ります。

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四旬節始まる「灰の水曜日」...意味と由来は

イースターの日にちは毎年変わる。今年のイースターの日程は、3月6日から始まる。この日は、四旬節が始まる「灰の水曜日(Ash Wednesday)」である。そしてこの日からイースターの4月21日までに日曜日を除いての40日間を「四旬節(Lent)」と呼ぶ。 毎年繰り返すが、四旬節(四旬節)の名称自体が四十日(ラテン語でquadragesima)」という意味である。 初代教会では、イースター夜明けに洗礼が施され、洗礼予備者たちが「悔い改め」を通じて洗礼を準備していた期間が40日であった。すでに洗礼を受けた信者も自分たちが受けた洗礼を振り返って、自分自身を改めることに力を注いでいた。 灰の水曜日とイースターの日付は毎年変わる。旧暦基準だからである。 325年ニカイア公会議では、春分(3月20-21日)以降の満月が浮かんだ日の次の週をイースターの日曜日に決めた。 クリスチャンにおいて四十日間は、象徴的な数字である。四旬節は、イエス様が荒野で誘惑を受け40日の象徴的な数字である。モーセは40日断食で祈り、イエス様も復活後40日間弟子たちと一緒にされた。各教会では、四旬節を迎え、四十日早天祈祷会をよく行う。 聖徒たちは四旬節期間、人間を救うために受けたイエスの十字架の受難に焦点を当て、イエス様を集中的に黙想する。私の必要を求めるより、イエス様の道を私たちも従っていけるような祈りの態度を持たなければならない。 ◈灰の水曜日の元の意味 四旬節の初日はいつも水曜日で…

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最後の5分

1849年12月、ロシア セミョニョプ広場に位置する 死刑場死刑台の上に   反体制の疑いで捕えられてきた 28歲の青年が立っていました。   執行官が叫びました。 「死刑前、最後の5分を与える。 "   わずか5分の死刑囚は絶望しました。 「私の人生が5分後に終わりだなんて、 私はこの5分の間に何ができるのだろうか?」   彼は最初、家族と 同僚を考えて祈りました。 「愛する私の家族と 友人が先に死んでいく 私を許し私のために  あまりに多くの涙を流さないように。 そしてそこまで悲しまないように」   執行官は、2分経過を発表しました。   「後悔の時間もたりないな! 私は、なぜあんなに無駄な時間を生きたのか? 刹那の時間であっても欲しいな!"   ついに執行官は 最後の1分を知らせました。    死刑囚は恐怖に震えながら 周りを見てみました。 「鋭い激しい風も今感じることができないんだな、   私の裸足に伝わる 土地の冷気も感じ得ない、 見ることも、触ることもできないんだな、 すべてが惜しく残念だ!」   死刑囚は 世の大切さに 涙を流しました。    「さあ、執行が始まるでしょう。」   人の足音が聞こえ 射撃のために隊列を整える音が…

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ことばの温度

♡温かい一言が♡ 私たちの言葉には 温度があります。   言葉は、私たちの 口を通って伝達されるが その根は心にあるからです。   温かい一言が 人の心を動かします。 しかし、冷たい一言は そのまま固まってしまいます。   今日の私の言葉は 愛に満ちた心のストーブから出る 熱い言葉になって欲しいと思います。   暖かさのない言葉が出るときは、 沈黙を選択することを願います。 唇の沈黙 心の沈黙 目の沈黙 耳サイレント 精神の沈黙 私たちの体の中で 一番弱いようだが 一番強いのが唇からの言葉です。   最も悲しいことが口にあり、 最も嬉しいことも口にありたす。   温度の高い良い言葉 周辺に感動を伝える 一日になることを祈ります。  

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わたしのための祈り(アンダーウッドの祈りから)

♡私のための祈り♡ 「歩くことさえできれば、 より大きな祝福は望まないです。」 だれかは今、そう祈りをします。 「立つことさえできれば、 より大きな祝福は望まないです。」 だれかは今、そう祈りをします。 「聞くことさえできれば、 より大きな祝福は望まないです。」 だれかは今、そう祈りをします。 「話すことさえできれば、 より大きな祝福は望まないです。」 だれでか、今そう祈りをします。 「見ることさえできれば、 より大きな祝福は望まないです。」 だれかは今、そう祈りをします。 「生きることさえできれば、 より大きな祝福は望まないです。」 だれかは、今そう祈りをします。 驚くべきことに、このような誰かの切実な願いが、 私には全部かなっています。 驚くべきことに、誰かが 熱心に待っている奇跡が 私には日々起きています。 金持ちでなくても、 ずば抜けた容貌ではなくても、 賢明さがたりなくても、 私の人生に日々感謝します。 日々誰かの願いを経験し、 日々奇跡が起こる私の一日、 私の人生を愛します。 愛しています。 私の人生、 私の人生、 私····。 どのようにすれば、幸せになれるのか悩みません。 私は既に幸せな人生を 日々実現しています。 私の一日は奇跡です。 私は幸せな人です。 私は幸せな人です。 - …

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人生のバランス感覚

きょうの聖句には、 「四方から患難を受けても窮しない。 途方にくれても行き詰まらない。 迫害に会っても見捨てられない。 倒されても滅びない。」 となっている。 神が共にする人の超越的強さの 秘密はなんだろうか。 人間が絶望するのは、 一人しかないからである。 しかし、信仰によって キリストを受け入れ その全知全能の主が 共にするようになる時に 人間は希望、勇気、確信を 持つようになる。 何よりも最高の友が共にして くれることになる。 そしてどんな時にも 屈することのない 力によって強められる。 人間は人や物、金や名誉に よって覆われ 寂しくないと思うが、 少しずつそういうのは、 人間から離れていき、 いつかすべて剥がされる時がくる。 そして最終的には 自分しか残らなくなる。 最高の絶望は死や死後にくる。 その時に、キリストという友が いるかいないかは、想像を超えた 力をもたらす。 永遠に共にしてくださる友、 イエスキリスト! そこから希望と力、 永遠になくならない喜びがあり 救いがあり、真の強さの秘密がある。

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信仰の強さの秘密

きょうの聖句には、 「四方から患難を受けても窮しない。 途方にくれても行き詰まらない。 迫害に会っても見捨てられない。 倒されても滅びない。」 となっている。 神が共にする人の超越的強さの 秘密はなんだろうか。 人間が絶望するのは、 一人しかないからである。 しかし、信仰によって キリストを受け入れ その全知全能の主が 共にするようになる時に 人間は希望、勇気、確信を 持つようになる。 何よりも最高の友が共にして くれることになる。 そしてどんな時にも 屈することのない 力によって強められる。 人間は人や物、金や名誉に よって覆われ 寂しくないと思うが、 少しずつそういうのは、 人間から離れていき、 いつかすべて剥がされる時がくる。 そして最終的には 自分しか残らなくなる。 最高の絶望は死や死後にくる。 その時に、キリストという友が いるかいないかは、想像を超えた 力をもたらす。 永遠に共にしてくださる友、 イエスキリスト! そこから希望と力、 永遠になくならない喜びがあり 救いがあり、真の強さの秘密がある。

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世の行方

この世の行方、便利が幸せを意味しない。 多くの人は、 世は科学文明の発達により 益々暮らしが豊かになると考えています。 もちろん、それはそうかも知れない。 しかし便利が心の豊かさではありません。 いつか人間は、文明に支配され完全に 自由を失う時が来るかも知れません。 聖書は、 文明に発展とは反対に人間の心は 益々貧しくなるだろうと話しています。 つまり苦しみの時のがくると話しています。 その特徴は、金を愛することと、 自分を愛する、つまりエゴ的生き方に よると話しています。 人間の真の幸せは、外側と内面の 豊かさにより与えられるのです。 そのため、人間は、文明を発展させ、 なんとか外側の質を高めることに 集中しています。 しかし、それに対し 内面は益々放置されています。 便利はあっても愛はなく生きる目的や 意味を失い、 文明の奴隷になってしまっては 便利の孤独になるのです。 人間は、愛を求め、また自分を 認めてくれるところを求めて 走り回っています。 しかし、なかなかですね。 もっと疲れてしまいます。 聖書は、この内面の豊かさ、愛、自分へ の承認を与える最高の教えです。 科学が外側の質を高め、 聖書やその他のことを通して 内面の質を高めることにより 人間は真の幸せに至るようになるでしょう。 そういう意味では、 科学と宗教、つまり聖書は、 人間の真の幸せのためには なくてはならないものです。

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疲れ、虚しさ、苦しみの主な原因

きょうの聖句はソロモンという 人が若い時の欲によって 苦しんだ経験からの失敗談である。 この聖句にあるように 人間は見ること、聞くことが 実は眠ってある欲を刺激し そこから比較、嫉妬を起こし 心はますます荒れていく。 もちろん、こういうことを 通して人間は発展することは あるが、みずからは命を 削ることになる。 欲をなくすことはできないが、 欲に煽られて生きる人生は 平安もなく葛藤と疲れと、 苦しみ、虚しさを大量に作り出す。 人間にとって何が価値あるのか なんのためち生きるかという 人生の生きる目標、 価値に対する理解は こういう疲れから救ってくれる。 人や流行に煽られて 生きるのではなく 永遠に価値あるものを目指して 生きることである。 聖書は、何が永遠で 何が価値あるかを教えてくれる。 虚しさと疲れをもたらすことの ためではなく、 平安と真の喜びを与える ほうに心を寄せる、 そんな知恵を求めたい。

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天国と地獄、向き合いたくない真実

天国と地獄、向き合いたくない真実 きょうは、聖書からの死後について 学んでみたいです。 仏教に関しては よくわかっていますので、 ここでは聖書を中心に考えてみます。 わたしたちは、 死後に対してはわからなうと話します。 見えないので知らないと答えます。 自分はわからないので伝統、 特に仏教の教えに従うしかありません。 死んだらみんな仏になり 天国に行くというので安心しています。 しかし、それはあまりにも都合のよい話で、 死に対し真剣に考えないようにしています。 それでよければ、最高ですが、 ちょっと疑いたい気持ちが ないのでもないのです。 わたしたちは、天国と地獄の存在を 上手に使い分けています。 悪い人がどんでもない罪を犯して 自分で命を絶ってしまうと、 あまりにも自分勝手だと思います。 絶対に地獄があって あの人は罰を受けて欲しいなと思います。 しかし、自分のことになりますと、 絶対地獄はないと考えたいのです。 このように人間の死後に対する考えは、 とても恣意的で都合のよい事かも知れません。 災難の勧告があっても大丈夫だろうと 思いたくなります。 つまり、人間は将来の不吉なことには、 目をつぶりたい、またはよいように思いたい という願望が強く働くのです。 その思いから天国は当然あるはずで、 地獄はないことを願うのです。 現実の厳しさに目をそらしたい、 そんな願望ではないでしょうか。 事実よりも願望に…

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世で1番悲しい人

この青年は、自分から進んでイエス様にちかつき、 何をすればよいのかと聞いたのである。 その話を聞いてイエス様は、このように提案した。 あなたの財産を売り払って来なさいという話だった。 自信満々に話しかけたのに、 イエス様の話には応じることができず、 悲しみながら立ち去ったとなっている。 彼は財産、貪欲が信仰の1番の妨げとなっていた。 そのため、この素晴らしいイエス様の招きを拒んだ。 多分、多くの人に残念な青年として知られてしまった。 人によっては、それぞれイエス様にちかつくのに 妨げになることがある。 多くの人は、この青年のようにお金、 名誉、隠れた罪の楽しみ、自分の自由な生き方などかある。 世は、わたしたちにとって魅力的な餌を投げてくるからである。 多分、今悩むこの問題さえ主にゆだね、 イエス様の招きに応じるならば、 きっと自分を通して神は大きな技をなさるはずである。 この世で、一番残念な人は、 キリストの提案を無視して生きることである。 世のものは、もうすぐなくなるが、 天のことは、永遠であるからだ。 皆さんに、 今イエス様が 売り払うように、 いや今の個人の問題を主に委ねるように 問いかけているのはなんだろうか。 自分の信仰の妨げになっているのはなんだろうか。 瞬間のために永遠の素晴らしさを諦めますか。 それとも、一回だけの主の声に従いますか。 それにより、わたしたちは変わる。 永遠の悲しみ…

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厳しい機会を見事に生かし成長したダビデから学ぶ(1サムエル17:32-50)

少年ダビデは、イスラエルとペリシテ人との戦争の場所にお兄さんの安否を確認するために行った。彼はまだ若いので正式な兵士にはなれなかった。しかし、そこで彼は敵の代表のゴリヤテのイスラエルへの侮辱を目の当たりにして、急に勇気が湧き、自分が彼と一対一で戦いたいと申し出た。3メトル近くの巨人で最高の武器を持った彼に立ち向かった。ダビデの武器は、石ころ5つだけだった。しかし、これで彼は見事に勝利した。これから成長の要因を探してみよう。 1。ダビデは、厳しい機会を信仰で自分のものにする、生かすことができた。32節 「ダビデはサウルに言った、「だれも彼のゆえに気を落してはなりません。しもべが行ってあのペリシテびとと戦いましょう」。」 彼は神からくる機会や招きを拒まず逆に小さく厳しい機会も信仰によって生かすことができた。 小さく厳しい機会を掴むことが大切である。鈍感な人や勇気のない人はすごい機会がきても生かせない。機会は成長や成功を運ぶ入口である。この力がすごい人と凡人の違いをもたらす。 2。過去の信仰の経験からがあったので大胆に挑むことができた。36節 「しもべはすでに、ししと、くまを殺しました。この割礼なきペリシテびとも、生ける神の軍をいどんだのですから、あの獣の一頭のようになるでしょう」。」 信仰の経験は、新しい信仰の歩みをしやすくする。 3。石ころ投げの自分だけの武器があった。40節 「ダビデはそれらを脱ぎすて、手につえをとり、谷間からなめら…

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忍耐力

試練と忍耐力 聖書で1番大事だと言われる 品性は愛てまある。 これは人との関係に大事である。 人は一時魅力的な人のところに 寄せてくるかもしれないが、 最後まで残るのは愛のある人である。 今度、他人との関係ではないが、 自分自身との関係において 最高の力を発揮するのが忍耐力である。 自らを鍛え自らを最高の価値に導き、 素晴らしい果実を実らせる力があるからである。 忍耐力のない人は、いつも最高の結果、 味、果実を味わうのができない。 すぐ諦めたり、すぐ辞めたり、 すぐ逃げたり、すぐきれたり、 すぐ決め付け判断したり、 すぐ自信をなくしたりする。 自分自身へのイメージも悪くなる。 世の中成功であれ、信仰の祝福であれ、 忍耐の向こうで得られる熟した果実である。 子供は忍耐ができない。 熟して食べたら美味しいのに 苦い、美味しくない状態で食べてしまう。 そんな幼稚な人生では永遠に高い価値、 美味しい人生、真の成功、 成熟を手にすることができず、 いつも中途半端な人生、味で終わってしまう。 大体、忍耐するだけで、 多くの問題はよい方向に成熟していく。 きょうからも忍耐力を身につけ、 自分をまず磨いていこうではないか。 魅力とか、すごいなにかを持って 人との関係をなんとかする前に、 自分を磨くことが先かも!

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金持ちの彼、なぜ愚か?

金持ちの彼、なぜ愚か? 財産をたくさん蓄えておいて 飲み食いして楽しもうではないか。 この考え方を持っていた人が きょう登場している金持ちの話である。 これがこの世の一般的なことなので これをいい悪いと言う必要はない。 ならばなぜキリストは この人の生き方が愚かだと話すのか。 彼は大事なことを 勘違いをしていたからである。 一つは、自分は死なないだろうとする、 というか、死に対して全く考えず なんらかの準備もしなかったことである。 死への思いや準備が全くなかった。 今晩でもその死は私を訪れるかも 知れないのに。 次は、自分の欲を満たし 楽しむために蓄えただけだと言う 生き方にある。 彼の財産は自分の欲満たしというか 欲を消すためのものに過ぎず その財産を他のもっと高い 価値を作ることに用いず、 自分の所で止まってしまったことである。 つまり一時的な財産がもっと永遠に 残る、さらなる価値を作ることがなく 自分の欲、お腹で止まってしまったと いうことであった。 え! そんな永遠に残る価値あるのか。 そんな生き方、投資はあるのか。 儲け方も大事であるが、 使い方こそ、もっと大事である。 飲み食い、自分の必要を 満たすことは当然必要であるが、 さらに人や永遠の神のために 用いられることを忘れてはならない。 これこそ、永遠に残る価値である。 今日、死に向き合いたくないと言う思い ま…

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最初の殺人者、それだけで人を殺してしまうの?

最初の殺人者のカイン、それだけで弟を殺すの? 人間最初の殺人者としと知られている 人はカインである。 彼の殺人の動機がこの聖句に出ている。 弟アベルが自分より 神に愛されているからである。 だったこれだけで彼は 心優しく正しい弟を殺してしまった。 心からの罪、妬みを治めることが出来ず ついに殺人の罪を犯してしまったのだ。 聖書は、この殺人のように、 罪の種は心からだとする。 そして現れた罪だけではなく、 心の中にある隠れた原因こそ罪とする。 心こそ罪の出発点だからである。 行動はそれに従っただけである。 しかし一般の人には、 なぜそれが心のことも罪かと抵抗する。 自分も同じ罪人のように扱われるのを 認めたくないから。 こう言われると、 みんな罪人ではないかと反抗する。 汚染水を排出する工場を そのまま置いていくら外側の川や溝、 排出口を綺麗にしても意味がない。 汚染水を排出する原因を変えない限り治らない。 聖書が全ての人間が罪人だということに 多くの人がつまずく。 一番聞きたくない、聖書のことばとは言え、言いにくい話である。 でもカインのような妬みのような罪 誰もが持っているのでは。 この妬みの罪深さは 自分より悪い弟ではなく自分より 優れた人を傷つけるからである。 それで妬みは怖く酷い犯罪を作り出す。 悪い人をではなくよい人が対象になり 可哀想なことが多い。 こういう悪技とその原因の心の罪も…

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ダビデの神への愛のしるし

愛が美しい理由は、エゴ的な生き方から開放され、自分の大事なことを惜しまずに恵むようになるからである。罪人であり、自己中心的な人が愛の故に寛大になったり、そこまで大事にしていた宝のようなものを条件なく差し出すようになるからである。神様も人間を愛した故にご自分の宝であるキリストを人間の罪のために差し出したのである。 ダビデは、神を心から愛していたので王室の宝を捧げ、それも足りず今度は自分の私物の金銀を喜んで捧げた。それだけではなく彼は自分の時間、努力、財産、心を犠牲にして注いだのである。だれから言われないのに自ら進んでおこなったのである。 神を愛する心は見せるためのパフォーマンスにあるのではなく、むしろ見えないところで自分の大事なことをどのくらい犠牲にしてまで神に仕えるかにあるかもしれない。

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人間の矛盾的な姿!

ルカの福音15章は放蕩息子で 知られている若者が登場する。 彼はお父さんのことにも 信仰のことにも関心がなく ひたすら快楽、情欲に夢中になっていた。 そういう彼が家を離れ、 遊女にお金を使い切って、 想像できなかった苦しみに逢い、 やっと今まで大切さを感じていなかった お父さんに帰ってくることになり、 お父さんは彼を懲らしめるどころか、 彼に新しい服を着せ宴会をら開く。 こんな場面を描いたのが、 有名な画家ラムブラントである。 そこにはお父さん(神様)の愛に満ちた顔、 帰ってきた放蕩息子の謙遜で砕かれた姿、 長男を含む周りの冷やかな顔が 対照的である。 人間は自分の罪や過去は優しく、 神にも人にもゆるされたいが、 他人の過去になると話が違う。 この絵にあるように 冷やかでかなり厳しい。 懲らしめないと、許せない。 それが普通の人間の心である。 しかし、神様、ここのお父さんは そういう人間のすべての論理を 遥かに超えている。 恥ずかしい過去も罪も、残像も 愛で塗り直し、受け入れてくれる。 いつも、待ってくれるお父さんの神、 いつでも帰れば宴会を持って歓迎して くれる神を持ち知っているのは、 最高の人生かも知れない。 他人の過去には冷やかであっても、 自分の罪や過去になると限りなく 慈愛深くなる二重的な姿が悲しい!

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半分を残したステーキ

ある大企業の会長が有名なレストランでお客様を招待し食事をするようになった。六人の一行は同じステーキを注文した。 食事がほとんど終わる頃会長が会社の部下にジェフを呼ぶように話した。 「このステーキを調理したシェフを連れてくること。マネージャーではなくシェフでなければならね。」 部下は会長がステーキを半分だけ食べていないのを見て、その後に起こることを心配しながらシェフに会長の言葉を伝えた。 会長の前に来たシェフはかなり緊張した。自分を呼び出した方がどういう人なのかを知っていたからであった。 「ステーキに何かの問題が?」 震える声でシェフが尋ねた。 「いいえ。あなたは本当に素晴らしいシェフよ。今日ステーキは味が非常に良かった。」 このように言い出した会長は話を続けた。 "ちょうど私の年齢が八十になり、食欲が以前と同じではない。なので今日は半分しか食べられなかった。私はあなたを見ようとしたのは心配になったからだ。 半分しか食べていないステーキがキッチンに入ると、あなたが心配するかもしれないと思ったからだ。 私がステーキを残したことがあなたの料理の腕前が悪いからではないことを言っておきたかっただけです。" 「経営の神様」として知られる松下電器(現在のPanasonic)の創業者、松下幸之助の話である。 大きな存在だから下の人をいい加減にするのではなく親切な配慮ができることは素晴らしい。 神様もイエス様も、あまりにも大きすぎる…

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悪に悪で返すより愛の爆弾を投げる!

人間は悪をもらうと何倍をも 返したいという感情が生まれる。 復讐は倍増するので法がある。 [目には目歯には歯]という法も その一つである。 同じくらいやり返すようにということで 復讐の増幅を抑えるようにとした。 しかし新約のイエス様は、 きょうのことばに変えて教えた。 悪に悪を持って返すのは、 血まみれの増悪と報復戦争が続くだけ 力で復讐し制圧はしても憎しみは終わらない。 しかし悪を愛で返す時に 感動と涙が生まれ、敵の心も溶ける。 そこに勝ちも負けもない。 みんな勝ちである。 そして人間は人間らしくなる。 イエス様は これを実践していた方である。 自分を迫害し、逮捕する人にも、 ムチを打つ人にも、自分を十字架に かける人にも、悪を持って返さず 赦しを祈り、神の愛を伝えた。 今周りの敵に復讐の願いを 求めているならば、 きょうの聖句のように、 水いっぱい、暖かい一言を かけることによる 愛の爆弾はどうだろうか。 愛で殺すのではなく心から溶かす❗

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怒り調節障害!

イエス様の弟子、 ヤコブとヨハネが ある村に入った時に 村の人々は自分たちを 受け入れてくれないということに 怒りを感じ、神の力を借りて この村を焼いてしまいたいと話した。 怒りを抑えることができなかった。それも他の力、例えば神の力、権力、地位、 道具を用いてやっつけようと思った。 特に現代社会にはこういう人が列を作っている。 自分の思いの通りにならないと、 怒りを感じ相手を破壊しようという 怒りの調節障害を持っている人が多い。 ひょっとすれば、自分も そうかもしれないという怖さを 持つのも大事ではないでしょうか。 子持ちの親子、こじれる対人関係、周りや社会に対する鬱憤など、 すべてを周りの人や環境のせいにすることなど、 小さい怒り調節障害が出やすいのです。 とくに最近は蒸し暑いのでもっと注意が必要かもです。きょうも、怒りをしっかり押さえて過ごしましょう。 爆発後の代価は大きい!

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神の悲しみと涙を誘ったイスラエル❓❗

きょうはQT箇所ではなく聖書読みの箇所からの内容です。 B.C627年頃からイスラエル、 具体的には南イスラエルの預言者として 知られるエレミヤの話である。 彼はイスラエル民族の堕落を食い止め、神に帰らせるため涙を持って 頑張った指導者であった。 彼の活動は、南イスラエルが バビロンによってそろそろ滅びるので 準備しなさいという厳しい内容だった。 当時の神様の心がこの聖句である。 神は悲しむあまり、 痛く激しく泣いたとなっている。 イスラエルの罪、それによる厳しい代価の故の神の涙である。 その後BC605年 バビロンが南イスラエルを侵攻し、 多くの人が捕虜となる参事が起こり、 それが70年続く。 それは歴史として残っている。 神の悲しみと涙を誘った イスラエルの堕落と不信仰が、 喜びと感動を誘う信仰に変わったたろうか。

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人生の黄金律!

2番目のルカ6:31はよく黄金律と呼んでいます。つまり、イエス様が教えその通りに生きらるた、人生を生きる中一番最高のルールです。対人関係のための大事な原則と考えてよいでしょう。自分にしてほしいのを、人にもそのまましてあげれること、それが自分にできる最高の生き方なのです。人間は自己中心に考え行動しますが、それをそのまま他人に向けてすることです。夫婦関係、親子関係、友人関係、仕事仲間関係など、すべてにおいて一番求められる生き方ではないでしょうか。実際、イエス様はこの黄金律を体を持って生きられたのです。それが前の27節、敵をも愛するという形になって現れたのです。それを克明にあらわすのが、十字架だったのです。敵のように自分に向けて興味も関心も示さなく、いや自分にむけてムチを取り、十字架にかける人々にむけて、キリストは神に彼らを赦してくださいと祈り、最後はわたしたち罪人のために、一番大事ないのちを捨ててくれました。ご自分に興味も関心も、相手もしない人々のために命を捨てるなんて無駄ではないかと思われることを、昔も今も続けています。わたしたちがご自分にどのような態度をとるかに関係なくです。そういう最高の愛に満ちた方に出会うのは、それだけで心が温まり、幸せな気分になる。きょうだけでも、この黄金律を少しでも実践すること、どうでしょう。わたしにしてほしいのを、人にしてあげること!❗

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ありとあらゆる罪や悪の集合体、アハブとイセベル!

イスラエル、詳しくは北イスラエルの7代目の王であったアハブとその妻、イセベルのことである。 もともと心が弱く欲張りの子どものような彼は、あいにくとても邪悪な妻イセベルによって支配され、数々の悪を民に行った。その上、神をあなどることまでを行い、預言者から酷い死に方をすると予言されていてそのままになった。神はすべての罪を赦すが、その赦しの神を侮辱すると、赦しの道はなかったのではないか。悪はなくなるのではなく積もるもの、だから神の赦しは人間の最後の砦である。

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あなたは特別である!

というのは、創造主の神があなたの存在の形成と出発に関わったからである。その方は失敗しない方、完璧な存在ではないが何かに用いられる存在、意味のある存在として造られたのである。わたしを造った方につながると、その人生はもっと価値ある人生、幸せな人生となる!

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残虐も怖いがそれ以上怖いのは無知である!

キリスト教の一番の敵対者でクリスチャンを迫害し殺していたパウロが、一番の伝道者へ変わった。その背景にあるのがキリストへの無知だったという。世には素質が悪くないにもかかわらず無知がもたらした残虐や怖さが多い。それはもっと残念で心痛い。しかしパウロは、悔い改めキリスト教最高の伝道者となった。そういう意味では知ることも大事である。

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あなたは周りの人や友が一番の大変な時にどういう態度をとりますか。

きょうの内容はイエス様が十字架にかけられ死ぬ前、捕まる時のイエス様の2人の弟子の態度の話である。最初のユダという人は、まずお金をもらって自分の先生のイエスを捕まえるように協力した。後の人、ペテロは自分も捕まることを恐れ、自分の先生との関係を否定した。 自分の益のため、自分の身の安寧のため、友や先生を捨て関係を否定した。これが普通の人間の関係であり、限界かもしれない。友が一番大変な時に力になれる人なのか、逆に逃げる人なのか。しかし、イエス様は十字架の死をもってわたしたちの罪を背負い、守ってくださった。永遠にそうすると約束した真の友!

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ダビデの勝利の要因

後にイスラエルの最も素晴らしい王となりましたダビデが、まだ小さい少年の時にイスラエルとペリシテ人、今のパレスチナとの戦争が起きた。敵の中には背が高く戦争上手の有名な軍人、ゴリアッテがいて完全武装をして戦いに臨んだが、少年だったダビデは、石を投げる技術しかなく、まず代表として2人が戦うようになった。しかし、相手のゴリアッテが近づく前に少年ダビデは、石を投げ相手の頭に命中させ殺し戦争の勝利を得たのである。どう考えてみても少年ダビデが負けるはずの戦いに勝利したのは、彼が創造主のキリストの神様をしっかり信じ、戦ったことしかなかった。もう一つは、彼はまだ剣や武器を使える技術がなかったが、石を上手に使う力を羊飼いをしながり身につけていた。私たちも、世との戦いにおいては、まず信仰、その次に石投げのような自分が上手にできるなんらかのことをしっかり持っいることである。そのどちらもなくては戦いは勝っても勝つことにならない可能性がある。この2つを備えることは最高の準備である。私たちみんな、誰か偉い人を真似して生きるより自分が上手にできることを最高の武器、力として生きていくようにすべきである。真の神への信仰、一番自分的な力を持って生きることを祈ります。

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苦しみはなぜ?

「キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。 彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、」ヘブル人への手紙 5:7-8 4月1日のイースターに向け、今はそれまでの約40日のイエス様の苦しみの期間として、四旬節、またはレントと言います。なぜイエス様はそこまで苦しみを受けたのか、いや私たちクリスチャンはなぜ苦しみを受けなければならないのか、考えてみましょう。 1番目、苦しみは私たちの罪の体や心を浄化し、信仰を美味しく美しくします。苦しみは信仰においては、塩のようなものです。塩は量は少ないですが、その役割は絶対的です。腐敗を防ぎ、美味しくするのです。 確かに誰もが苦しみを願わないかもしれないが、誰も苦しみなしには信仰を確立させることができないからです。苦しみの入ってない信仰は、まるでイーストのないパン、塩味のしない料理であり、中途半端な信仰になります。私たちの信仰の中に苦しみが骨のように入り、筋のように張ることで真の美しく硬い信仰が生まれるのです。なぜ苦難なしに信仰が成り立たないのか、理解できなかったり、認めたくなかったりする気持ちがありますが、大事なことは、多くの祝福の所々にそこそこの苦難が混ざって人間は美しくなるということです。祝福が外面的な成長のように見えることに対し、苦しみは内面的な成長をもっと強めるようになるからでしょう。 …

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