あなたは救われた者ですか、それとも捨てられた者ですか(Ⅱコリント13:5-7)

1.質問 機械を長く使うために、また人間も長く元気に生きるためには点検が大切である。それで健康診断が必要である。信仰も点検が必要である。 1)あなたが信仰に立っているのか ①自分を信頼して生きるのではなく、イエス様を信頼して生きようとしていますか。(〇 △ ✖)  選択は祈りをしてからしっかり信仰に照らし合わせて行なう。 ②この世のことを神様より上において生きているのではない。(〇 △ ✖) 2)あなたの中にキリストがおられるのか。(きょうのテーマ) ①私は救われましたか。(〇 △ ✖) ②私の中にはイエス様がおられますか。(〇 △ ✖)(ヨハネ黙示録3:20) ③私はキリストを受け入れましたか。(〇 △ ✖)(ヨハネ1:12) ④私はキリストが私の罪を背負って死んでくださった事を認め、心で信じていますか。(〇 △ ✖) (ローマ10:9-10) 3)真理にしたっがって正しいことをしていますか。 ①神が喜ばれることをしようとしていますか。(〇 △ ✖) ②どんなことがあっても真理を行なおうともがいていますか。(〇 △ ✖) ③イエス様のことを第一に求めていますか。(〇 △ ✖) 2.不信仰の結末 1)さばきの座に立つ Ⅱコリント5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自そ…

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天国人として生きる人たち:マタイ20:1-13

このぶどう園は、天国の一断面を見せてくれる。いや、神様の国、いや教会に通う2種類の人々について例えをして話している。仕事を得ることができなかった彼らが、ブドウ園の主人によって拾われ、働けるようになった。しかしその人たちの中には、2種類の人々が出てきた。1種類は、ここまでして価値のない自分を条件なくブドウ園の働きに雇ってくださり、また働いた時間も少ないのに同じ賃金を払って下さった主人のために死ぬほど頑張ろうとう思う人たちである。彼らは、この主人に恩返しできるようにしたいと思う人であろう。これが正常な人たちである。しかし、もう一種類は、この主人は私より遅く来た人や私よりもっと働けない人にも、私と同じ賃金を与える不公平な人だと批判する人たちである。しかし、彼はこの主人にくっ付いていれば、私の一生は保証されると考える。主人の顔を伺いながら、いい加減に働きながら、とにかくこの人についていけるようにしようと思う人たちである。救いだけ得られれば大丈夫だ、救いをもらったのでこの世で、安心して自分の好きなことをしながら、生きて死ねば天国に入れてもらおう。神のために働かくなんてどんでもない。いい加減こそ信仰コツである。ただ教会にはまじめに行こう。 1.2種類の人 1)恵みを知らない人の例 ●ルカ12章の金持ち 16それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。 17そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』 18そして言った。『こうしよ…

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なぜ、信仰が失われ、神を忘れてしまうのか。(詩篇50:17-23)

詩篇の記者、アサブは神殿で賛美する責任者の偉い人である。 彼は、礼拝の賛美責任者みたいな人である。 毎回、彼は多くの人の神殿での儀式や礼拝のような集まりを見ていて、そこから信じるという者の問題点や堕落の様子を指摘している。 1番目、人々が神殿に供え物は持ってくるのに、心は持ってこないという、非常に厳しい指摘をしている。 2番目、神殿に来るときは、経験であるかのようにふるまうが、実際の生活ではどんでもない生き方をしている。神様のみことばには触れないし、行わない、悪を行なう。 3番目、彼らは日常の生活において神を覚えず、その方を忘れて生きている。 このような問題は、今日の私たちの生き方とも似ているのではないか。 なぜ、このような問題が起こっているのか。 1.出会いがないと、失われたまま、捨てられる。(ルカ19:10) 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」 ●失われた人、捨てられた人、見つかった人 出会いがないと、信仰は始まらない。人間関係でも同じことが言える。一回も出会っていないのに関係が深まるはずがない。この人は、永遠に捨てられてしまう可能性もある。神様に見つからなければ。 ※失う、ルカ19:10  "あぷるみ"(apollumi, 英語 lose)。 牧者がない羊は死ぬしかない存在であるように、牧者、キリストのない人間は永遠の死を迎えるしかない存在である。この牧者、イエスだは羊である私たちを救うために十字架にかかり死なれ…

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死に教えられ、復活から答えてもらう(ヨハネ11:25-26)

ヨハネ1125イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。26また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」 イースターは、どういうことでしょうか。皆さんはご存知でしょうか。 イエス様の復活を祝うことですか。しかし、そのイエス様のことを祝うことに過ぎないのでしょうか。イエス様の復活は祝って、自分たちには何の関係もないのでしょうか。 イエス・キリストは生きている間に、何回も自分が復活することを話していました。そしてその予言の通りにキリストは復活されたのです。 Ⅰコリント15:3-4 3私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、 4また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、 イエス様は、人間の罪を背負って十字架で人間の罪を償うために死なれました。それによって人間の罪が赦され、救われる道ができました。そしてそれだけで終わることなく今度はその死から復活し、真の神として認められたのです。復活はイエス様が人間ではなく神であるという証拠なのです。人間は死んだらみんな墓から出てこれないからです。 キリストが十字架で死んで終わってしまったならば、それはとてもとても物足りなかったことでしょう。凄い悔いの残ろ、釈然としないことです。そしてキリスト…

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感謝の告白か後悔の嘆きか

十字架上の七言 1: “そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。”(ルカ23:34). 2: “イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」”(ルカ23:43). 3: “26イエスは、母と、そばに立っている愛する弟子とを見て、母に「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」と言われた。27それからその弟子に「そこに、あなたの母がいます。」と言われた。その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。”(ヨハネ19:26-27). 4: “三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。”(マタイ27:46). 5: “この後、イエスは、すべてのことが完了したのを知って、聖書が成就するために、「わたしは渇く。」と言われた。”(ヨハネ19:28). 6: “イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。”(ヨハネ19:30). 7: “イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。”(ルカ23:46). <本論> きょうは、このうち、4,5、6番目のことを考えてみる。 …

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井戸で得た新しい人生(ヨハネ4:1-18)

1.背景 4 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。 9 そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。―ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。― イスラエル人によるサマリヤ人へのひどい差別があった。 不通は、ユダヤ、またはエルサレムから上の地方、ガリラヤなどに行くときは、サマリヤを通るのが近道なのに、わざと遠く回っていく。イエス様と、サマリヤ人女の間には普通は考えられない壁がある。その上に男女の違いなど、普通は接触ができない関係である。さらに、この女は、道徳的な問題があり、サマリヤ人の中でも孤立した人である。つまり、今の夫は6回目の人である。 それで、彼女は真昼の暑い、誰もいない井戸に水をくむために来た。彼女は、家と井戸しかわからない。今の日本社会であるならば、家と職場しかわからない人たちに似ている。これはある意味、私たち現代人の肖像画である。 福音を伝えるためには、こういう何らかの境界線を破らないとできない。それをしないと、福音は伝わらない。イエス様は、わざとサマリヤを通るようにし、この女に出会った。 2.最初の対話(10,13,14節):水の論争(人間にもっとも必要なのが何かを気づかせる) 10イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。…

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聖い決心(正しい人は決心し、失敗者は後悔する;ルカ9:51)

Ⅰ.使命に対する聖い決心 ●イエス様 ルカ9:51さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、 ●パウロ 使徒20:23ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。 24けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。 ●エステル エステル4:16「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」 Ⅱ.生活の各場面に対する聖い決心 ●ルツ ルツ1:16ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。 17あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」 ●ハンナ Ⅰサムエル1:11そして誓願を立てて言った。「万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧…

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真の平安に生きる(ルカ12:4-7、16-23)

4そこで、わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。 5恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。 6五羽の雀は二アサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられてはいません。 7それどころか、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。 16それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。 17そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』 18そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。 19そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』 20しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』 21自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」 22それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと…

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宝探し(私たちが発見すべき3つのこと)(マタイ13:44-51)

<関連聖句:マタイ13:44-51> 44天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。 45また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。 46すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。 47また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。 48網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。 49この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、 50火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。 51あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」彼らは「はい。」とイエスに言った。 1.初めに 人生は宝探しだと思い、人間は様々なことをします。パチンコで宝を見つけようと全ての時間をそこに費やす人、宝くじに当たるために必ずそのくじを買い続ける人などなど。 ここで質問です。あなたが見つけたい3つのことは何ですか。少し考えてみてください。 一般に人間が探そうとすることはどういうことなのか、探してみましょう。 ・学校探し ・配偶者探し ・職業探し ・友達探し  しかし、これだけで果たして満足できるでしょうか。これらを見つけたから大丈夫ではないのです。もう一つ見…

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ヤコブの人生転機とその柱

映画の話:キリスト教映画(和訳:栄光の日のために) 主人公のヒョン牧師は、有名な教会の有名な牧師で方書きも多くみんなから尊敬される人であった。牧会を引退した彼はある日夢を見た。その夢の中で彼は誰かに連れられて地獄の門まで行くようになった。地獄に落とされないためにもがきをして彼は覚めた。その中で彼はいろんな話を聞くが、一つ衝撃だったのはお前の教会の多くの信者の中で天国に入れるのはたったの5人だと言われた。夢から覚めた彼は、神様から言われたことに従って計画を立て人生を改めるようになった。一つは悔い改めること、2番目は命かけて貧しい北朝鮮の信者らを訪ね、彼らに自分たちのよくなかったことを謝り、そして彼らを励ますための計画を立てた。彼はそれから何日もの悔い改めをし、実際北朝鮮とつながりのある牧師を紹介してもらい、一緒に北朝鮮の地下教会に潜入する計画を立てた。いよいよ、計画が始まり、彼は命を覚悟して二人で北朝鮮に入る。地下教会の人々にも会えてそこで今まで助けなかったこと、間違いを謝り、彼らを励ます活動をつづけた。しかし、間もなく2人はつかまり拷問を受け、二人とも銃殺されることで映画は終わる。 私たちの教会はどうだろう。果たして全部天国に入れるのか、それともこの中の何人くらいが天国に入れるようになるだろうか。もちろん、この映画はあくまでも映画であるが、今の裕福で困りのない、お腹いっぱいのクリスチャンたちに向けた警告であると思う。この世の美味しさに酔ってしまい、信仰も神も失い、またはそこに心を注げない人…

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新年の豊かな人生のために!(ヨハネ10:1-11)

盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。ヨハネ10:11 人間が体を持っている限り、体の必要を満たし体を健康に保たないとおかしくなる。また人間は知・情・意という心を持っているため、心のためのケアをしないといけない。さらに、人間には霊という神とのやり取りをする領域があるので、それを大事にしなければならない。人間はこの3つの領域をバランスよく保つ時に、最大の幸せを感じ、豊かに生きることができる。体の健康のために栄養を取り、また心の健康のために交流や教育、他人との関係を保つ。さらに霊的なことのために、私たちは聖書を用いて神を知り、死や死後を知り、本当の満足を得て今を生きることができる。幸せになれない、それを感じない一番の理由は、霊的な面を無視して生きるからである。 したがって、人間の豊かでバランスの取れた生き方のためには、人間は体や心だけではなく、霊的なことへのケアをしていかなければならない。これが人間の質のある生き方の大事なポイントである。 1.愛の関係こそが幸せと豊かな人生の基礎(羊と羊飼いの関係) ●キリスト教は愛の関係の宗教である。宗教的な行為をもって信仰生活をしようとすると、必ず壁にぶつかる。できないからである。 ヨハネ10章の内容は、羊と羊飼いの深い信頼関係について話している。その関係の下で羊は豊かに幸せに生きるようになっている。キリスト教は関係の宗教である。これが…

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キリストに捕らえられたパウロの生き方 ー価値衝突から価値確立へー(ピリピ3:7-14)

1.序論 自分の人生にとって一番大事だと思うこと、それを価値観という。結局人間は、どういう価値観をもって生きるかで決まる。 みなさんは、何のためにいきるのか。今みなさんの心の中には何か一番価値あると思うのか。居ても立っても居られないほど、頭が夢中になっているのが、なんだと思うのか。パウロは自分の人生において最高の価値を見つけたと話す。 麻酔剤の発見者、シンプソン:創世記2:21-22、私は麻酔剤発見より、私が罪人であること、また私のために死んでくださった救い主キリストを発見したのがもっとすごい発見である。 人は、自分なりに価値あると思うことのために人生を捧げて生きていきます。そのために、お金も、時間も、汗も流します。あるいは、命まで捨てます。 皆さんは今自分の頭を虜にしていて自分の人生のほとんどを捧げているのは何ですか。キリストですか、それとも、お金稼ぎ、恋愛、勉強、名誉、快楽、ギャンブルのようなこの世のものですか。 人間が変わるとは、価値観が変わることである。人は価値観が変わらない限り、本当の意味では変わったとは言えない。そとがわは変わっても内面の価値観がかわらないと変わってない。氷山は、7-8割が海に沈んでいる。そしてその動きは、風によってではなく、下の沈んでいる部分によって、つまり海の潮流によってきまる。この下に沈んでいる部分が人間の価値観である。 幼いとき、おもちゃ、青年は恋愛、壮年はお金、老年は健康。男性は出世、女性はおしゃれや安定。 真の…

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消したい過去と記憶(詩篇51:14-19)

1.皆さんはどういう記憶や過去を消したいと思っていますか。 誰にも言えない自分だけの痛い記憶がありますか。少しふりかえる時間を持ちましょう。どういう記憶や痛み、傷を消したいと思いますか。この詩篇はダビデが部下の妻を強制的に奪う強姦の罪を犯し、またその罪がばれることを恐れてその女の主人を殺すという、どんでもない罪を犯した後の彼の絶叫の祈りである。 ※体の傷は比較的に治りやすいが、心の傷は長く深く人に影響を与える。 ※傷を負った人の2タイプ:良い方向になる場合は傷によってもっと成長する人であり、悪い方向は負った傷で他人や自分をどんどん傷つけてしまうことである。 ※酒飲みと2人の息子:酒飲みの父の長男は同じくひどい酒飲みとなり、次男は全く酒はのまなくなった。同じ酒飲みの父から真反対の結果が生まれた。長男はこんな父を見て育った私が酒を飲まないでいられるかと言い、次男はあんなひどい酒を私まで飲むとはあり得ないと思うからである。同じ痛みをどのように受け取るかによって結果は全く違う。 ●聖書の例 : 聖書に登場する私たちが一番尊敬する人たちはどうなのか考えてみたい。以下の人たちは本当にすごい人たちであるが、実は全部傷を、消したい痛みや罪をもっている人たちである。みんな傷をもっていたから逆に指導者や素晴らしい人になったかもしれない。傷がないからといって用いられるのではない。 ・アダムとエバ(創世記3:6・罪のDNA) ・ノア(お酒と裸・醜態や変態、創世記9:21) ・アブラハム…

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恐れに忖度して生きるか、神へ信仰を選び取るか(マタイ10:28-36)

28からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。 29二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。 30また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。 31だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。 32ですから、わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。 33しかし、人の前でわたしを知らないと言うような者なら、わたしも天におられるわたしの父の前で、そんな者は知らないと言います。 34わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。 35なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。 36さらに、家族の者がその人の敵となります。 1.序論 イエス様が12人の弟子たちを伝道のために送り出すときに与えられたお話である。ユダヤ教の指導者らの頑なな反対と迫害の下でどのようにすべきかに対する指針である。日本は迫害はなくても寂しさがある。マイノリティの寂しさ、萎縮が強い社会である。このみことばは今の日本人クリスチャンにも通じるのではないかと思われる。 2.神のみを…

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感謝で色付けされた人生:2コリント4:15

感謝の色付けされた人生(Ⅱコリント4:15) 1.感謝ということの現実(ルカ17:15-18) この聖句にはイエス様によって癒されたライ病の方、10人のうち一人だけがイエス様に感謝を表しました。10分の1の人くらいか、あるいは10個の感謝すべきことの中で一つくらい感謝するかそれ以下ではないか。それほど私たちは感謝を知らない存在であり、感謝できていない存在である。 ※幸せの基準は感謝ができるかどうかである。お金があるかないか、名誉があるかな以下ではない。 2.感謝のない人々 1)あるこどもの例話 "子供のお母さんが話した。"人からものをもらった時は、何て言えばいいの?” 子供は少し考えて"皮をむいてください"と言っていました。ありがとうと言うべきなのに皮まで向いてほしいという感謝を知らない人が多いのではないか。他人の愛と犠牲に対して感謝をなくした人は七歳になるこの子と同じである。 2)メキシコのある村に温泉と冷泉が同時に出る不思議な所の住民の例話 彼らは温泉で選択を死、冷泉で濯ぎをして家に帰る。素晴らしいのに彼らは石鹸まで湧いてこないことを増え日不満していた。利己的な人間は義理がない。 ●感謝を忘れた人々、自己中心的な子供みたいな人々が多すぎ。わがままな人では愛されることができない。子供も最初は可愛いと思うが、大人になって同じならば、それは大変なこと。 3.感謝の例話 1)イ ジ…

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人生のバランス感覚

きょうの聖句には、 「四方から患難を受けても窮しない。 途方にくれても行き詰まらない。 迫害に会っても見捨てられない。 倒されても滅びない。」 となっている。 神が共にする人の超越的強さの 秘密はなんだろうか。 人間が絶望するのは、 一人しかないからである。 しかし、信仰によって キリストを受け入れ その全知全能の主が 共にするようになる時に 人間は希望、勇気、確信を 持つようになる。 何よりも最高の友が共にして くれることになる。 そしてどんな時にも 屈することのない 力によって強められる。 人間は人や物、金や名誉に よって覆われ 寂しくないと思うが、 少しずつそういうのは、 人間から離れていき、 いつかすべて剥がされる時がくる。 そして最終的には 自分しか残らなくなる。 最高の絶望は死や死後にくる。 その時に、キリストという友が いるかいないかは、想像を超えた 力をもたらす。 永遠に共にしてくださる友、 イエスキリスト! そこから希望と力、 永遠になくならない喜びがあり 救いがあり、真の強さの秘密がある。

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天国への招待に対する反応

<ルカ14:15-24> 15イエスといっしょに食卓に着いていた客のひとりはこれを聞いて、イエスに、「神の国で食事する人は、何と幸いなことでしょう。」と言った。 16するとイエスはこう言われた。「ある人が盛大な宴会を催し、大ぜいの人を招いた。 17宴会の時刻になったのでしもべをやり、招いておいた人々に、『さあ、おいでください。もうすっかり、用意ができましたから。』と言わせた。 18ところが、みな同じように断わり始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断わりさせていただきます。』 19もうひとりはこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです。すみませんが、お断わりさせていただきます。』 20また、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことができません。』 21しもべは帰って、このことを主人に報告した。すると、おこった主人は、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人や、不具の人や、盲人や、足なえをここに連れて来なさい。』 22しもべは言った。『ご主人さま。仰せのとおりにいたしました。でも、まだ席があります。』 23主人は言った。『街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい。 24言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は、ひとりもいないのです。』」 <本論>…

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心に蒔かれた種がもたらす成長と変化(マタイ13:31-34)

31イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、 32どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」 33イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」 <本論> 1.小さい種が蒔かれて大きく成長する(外的な成長) ・この種がイエス様との出会いを造る。 ・人がよい人に出会えば心強い。 ・人がイエス様に出会えば永遠が幸せである。 ・出会いは共有を意味するし、自分の弱さや無さが補われるため。 ・この出会いがどれほど強いかによって人生は変わる。 ・自分だけではなく他の存在の巣となる望ましい成長。 ●教育と出会いの違い:教育はあるものを伸ばす。イエス様との出会いは、まったくないものが生まれる。 ●欧米の思想とキリスト教:欧米は全部その思想の下に聖書がある。アメリカは400年もなっていない短い歴史の国であるが、世界を動かしている。その根底には、清教徒の信仰があった。それは愛であり、健全であり、他人を受け入れる心であり、それはきっとリーダー的な内面の大きさを作る思想である。 2.みことばの種は、パン種のように人を膨らませる(内面的な成長) 1)混ぜる:しっかり出会える(人格的な出会い) 2)膨らむ:内面的な成長 …

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天国と地獄、向き合いたくない真実

天国と地獄、向き合いたくない真実 きょうは、聖書からの死後について 学んでみたいです。 仏教に関しては よくわかっていますので、 ここでは聖書を中心に考えてみます。 わたしたちは、 死後に対してはわからなうと話します。 見えないので知らないと答えます。 自分はわからないので伝統、 特に仏教の教えに従うしかありません。 死んだらみんな仏になり 天国に行くというので安心しています。 しかし、それはあまりにも都合のよい話で、 死に対し真剣に考えないようにしています。 それでよければ、最高ですが、 ちょっと疑いたい気持ちが ないのでもないのです。 わたしたちは、天国と地獄の存在を 上手に使い分けています。 悪い人がどんでもない罪を犯して 自分で命を絶ってしまうと、 あまりにも自分勝手だと思います。 絶対に地獄があって あの人は罰を受けて欲しいなと思います。 しかし、自分のことになりますと、 絶対地獄はないと考えたいのです。 このように人間の死後に対する考えは、 とても恣意的で都合のよい事かも知れません。 災難の勧告があっても大丈夫だろうと 思いたくなります。 つまり、人間は将来の不吉なことには、 目をつぶりたい、またはよいように思いたい という願望が強く働くのです。 その思いから天国は当然あるはずで、 地獄はないことを願うのです。 現実の厳しさに目をそらしたい、 そんな願望ではないでしょうか。 事実よりも願望に…

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厳しい機会を見事に生かし成長したダビデから学ぶ(1サムエル17:32-50)

少年ダビデは、イスラエルとペリシテ人との戦争の場所にお兄さんの安否を確認するために行った。彼はまだ若いので正式な兵士にはなれなかった。しかし、そこで彼は敵の代表のゴリヤテのイスラエルへの侮辱を目の当たりにして、急に勇気が湧き、自分が彼と一対一で戦いたいと申し出た。3メトル近くの巨人で最高の武器を持った彼に立ち向かった。ダビデの武器は、石ころ5つだけだった。しかし、これで彼は見事に勝利した。これから成長の要因を探してみよう。 1。ダビデは、厳しい機会を信仰で自分のものにする、生かすことができた。32節 「ダビデはサウルに言った、「だれも彼のゆえに気を落してはなりません。しもべが行ってあのペリシテびとと戦いましょう」。」 彼は神からくる機会や招きを拒まず逆に小さく厳しい機会も信仰によって生かすことができた。 小さく厳しい機会を掴むことが大切である。鈍感な人や勇気のない人はすごい機会がきても生かせない。機会は成長や成功を運ぶ入口である。この力がすごい人と凡人の違いをもたらす。 2。過去の信仰の経験からがあったので大胆に挑むことができた。36節 「しもべはすでに、ししと、くまを殺しました。この割礼なきペリシテびとも、生ける神の軍をいどんだのですから、あの獣の一頭のようになるでしょう」。」 信仰の経験は、新しい信仰の歩みをしやすくする。 3。石ころ投げの自分だけの武器があった。40節 「ダビデはそれらを脱ぎすて、手につえをとり、谷間からなめら…

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狭い門・狭い道の祝福(マタイ7:13-15)

13狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。 14いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。 15にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって来るが、うちは貪欲な狼です。 1.狭い門とは救いの門:キリストによってのみ救われる 多くの人は救いの道は多くあるという。そしてどれを信じても救われると話す。しかし、聖書は違う話をする。以下の聖句を読んでみよう。 ●ヨハネ14:6イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。 ●使徒4:12この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」 上記のどちらも救いはイエスキリストを通さないとできないと話す。キリスト教が攻撃される一番の要因である。みんなそれは言い過ぎではないかと、それは排他的ではないかという。しかし、聖書はそれに対してははっきりしている。では、なぜそこまで言えるのか。本当にその根拠はあるのか、もしそれがないとキリスト教集団は狂ったとしか言えない、どんでもない思想を持つ、とてもとても排他的な人たちだと言えるのではないかと思う。 ※すべての道は全部同じところで合流するのか。 多くの人は山登りのようにどこから登…

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金持ちの彼、なぜ愚か?

金持ちの彼、なぜ愚か? 財産をたくさん蓄えておいて 飲み食いして楽しもうではないか。 この考え方を持っていた人が きょう登場している金持ちの話である。 これがこの世の一般的なことなので これをいい悪いと言う必要はない。 ならばなぜキリストは この人の生き方が愚かだと話すのか。 彼は大事なことを 勘違いをしていたからである。 一つは、自分は死なないだろうとする、 というか、死に対して全く考えず なんらかの準備もしなかったことである。 死への思いや準備が全くなかった。 今晩でもその死は私を訪れるかも 知れないのに。 次は、自分の欲を満たし 楽しむために蓄えただけだと言う 生き方にある。 彼の財産は自分の欲満たしというか 欲を消すためのものに過ぎず その財産を他のもっと高い 価値を作ることに用いず、 自分の所で止まってしまったことである。 つまり一時的な財産がもっと永遠に 残る、さらなる価値を作ることがなく 自分の欲、お腹で止まってしまったと いうことであった。 え! そんな永遠に残る価値あるのか。 そんな生き方、投資はあるのか。 儲け方も大事であるが、 使い方こそ、もっと大事である。 飲み食い、自分の必要を 満たすことは当然必要であるが、 さらに人や永遠の神のために 用いられることを忘れてはならない。 これこそ、永遠に残る価値である。 今日、死に向き合いたくないと言う思い ま…

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キリスト教の死に対する真実

キリスト教の死に対する考え方 人間が一番怖がり どうしようもないと思うのが死である。 いろんな宗教でも死について教えている。 日本では死や死後のことについては 仏教の影響が圧倒的に強い。 まるでそれが真実と考えている。 基本的には、死んだら皆仏になり 極楽に行けるのである。 人によっては都合のよいことかも知れない。 一方、聖書は人間の死に対して どのように教えているか考えてみたい。 キリスト者にとって体の死は 眠っていることにたとえている。(ヨハネ11:11) 人間が寝る時でも反応は示さないが、 でもいのちがあるので死んだと言わない。 キリスト者の体は死んでも 永遠のいのちを持つ霊は生きているからである。 実際この聖句でラザロの体はお墓に 入れられ腐っていたが、 イエス様はその彼に向かって 眠っていると話し、さましにいこうと 言われた。 先の睡眠の例えのように 彼の体は死んだが、 実は彼の霊は永遠のいのちがあり、 さらに神様、イエス様につながっていて 霊は生きて活動、反応するので、 彼は完全に死んだのではない。 その証拠として、彼の体は死んだが 霊は生きていてずっとイエス様と交わり、キリストの声も聞いて反応していたのである。 だから体が死んだ彼が、 [出て来なさい]という、 イエス様の声に反応してよみがえり、 歩いて出てきたのである。 キリストを信じる者はこのように 体が死んでも霊は…

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最初の殺人者、それだけで人を殺してしまうの?

最初の殺人者のカイン、それだけで弟を殺すの? 人間最初の殺人者としと知られている 人はカインである。 彼の殺人の動機がこの聖句に出ている。 弟アベルが自分より 神に愛されているからである。 だったこれだけで彼は 心優しく正しい弟を殺してしまった。 心からの罪、妬みを治めることが出来ず ついに殺人の罪を犯してしまったのだ。 聖書は、この殺人のように、 罪の種は心からだとする。 そして現れた罪だけではなく、 心の中にある隠れた原因こそ罪とする。 心こそ罪の出発点だからである。 行動はそれに従っただけである。 しかし一般の人には、 なぜそれが心のことも罪かと抵抗する。 自分も同じ罪人のように扱われるのを 認めたくないから。 こう言われると、 みんな罪人ではないかと反抗する。 汚染水を排出する工場を そのまま置いていくら外側の川や溝、 排出口を綺麗にしても意味がない。 汚染水を排出する原因を変えない限り治らない。 聖書が全ての人間が罪人だということに 多くの人がつまずく。 一番聞きたくない、聖書のことばとは言え、言いにくい話である。 でもカインのような妬みのような罪 誰もが持っているのでは。 この妬みの罪深さは 自分より悪い弟ではなく自分より 優れた人を傷つけるからである。 それで妬みは怖く酷い犯罪を作り出す。 悪い人をではなくよい人が対象になり 可哀想なことが多い。 こういう悪技とその原因の心の罪も…

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古い人・新しい人(Ⅱコリント5:16-18)

16ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。 17だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 18これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。 1. 神様との不和の結果(18節) 18節には、キリストが私たちを神様と和解させたと書いてある。その話は、その前私たちはすでに神と不和の中にあるという意味である。(創世記3章16-19) ●最初から人間は神様に逆らい、エデンの園から追い出され、また女と男に苦しみの罰が課せられた。つまり、人間、環境、土までに祝福の代わりに呪いが流れるようになった。 ・アダムとエバの神様への不従順の罪 追い払われ、自分の存在を失い、否定された。絶望に生きるようになった。その上苦しみの呪いが与えられた。主人を失い、エデンの園から追い払われた人間。わたしはどこからきたのか、わたしはどこに帰るのかという不安と絶望、虚無がいつも尽きそう。 ●皆さんの今の人間の姿が決して望ましい姿ではないことを知るべきである。もっと人間は神との関係を保ち、エデンの園でもっと多くの祝福を受け生きていくはずであった。 ●しかし、罪や不従順によって人間と神との関係が切れてしまい、素晴ら…

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神の悲しみと涙を誘ったイスラエル❓❗

きょうはQT箇所ではなく聖書読みの箇所からの内容です。 B.C627年頃からイスラエル、 具体的には南イスラエルの預言者として 知られるエレミヤの話である。 彼はイスラエル民族の堕落を食い止め、神に帰らせるため涙を持って 頑張った指導者であった。 彼の活動は、南イスラエルが バビロンによってそろそろ滅びるので 準備しなさいという厳しい内容だった。 当時の神様の心がこの聖句である。 神は悲しむあまり、 痛く激しく泣いたとなっている。 イスラエルの罪、それによる厳しい代価の故の神の涙である。 その後BC605年 バビロンが南イスラエルを侵攻し、 多くの人が捕虜となる参事が起こり、 それが70年続く。 それは歴史として残っている。 神の悲しみと涙を誘った イスラエルの堕落と不信仰が、 喜びと感動を誘う信仰に変わったたろうか。

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福音の秘密性とその偉大さ(Ⅰコリント1:18-24)

Ⅰコリント1章 18十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。 19それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」 20知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。 21事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがないのは、神の知恵によるのです。それゆえ、神はみこころによって、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです。 22ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。 23しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、 24しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。 <説教本文> 1.十字架の道を見出す方法はあるのか(18-22) ※福音または十字架の道:キリストが人間の罪を背負って死なれることで人間の罪が償われ、救われる道が設けられたこと。そのイエス・キリストを受け入れることで人間は救われるというのが福音である。 1)知恵によっても十字架の道を見出すことはできない(19-20) ソロモンの場合、例のないほどのずば抜けた知者であるが、高慢になって堕落した。いくら素晴らしい知識で…

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ありとあらゆる罪や悪の集合体、アハブとイセベル!

イスラエル、詳しくは北イスラエルの7代目の王であったアハブとその妻、イセベルのことである。 もともと心が弱く欲張りの子どものような彼は、あいにくとても邪悪な妻イセベルによって支配され、数々の悪を民に行った。その上、神をあなどることまでを行い、預言者から酷い死に方をすると予言されていてそのままになった。神はすべての罪を赦すが、その赦しの神を侮辱すると、赦しの道はなかったのではないか。悪はなくなるのではなく積もるもの、だから神の赦しは人間の最後の砦である。

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2つの点が見えてくると、道が見えてくる(伝道者の書12:1-14)

伝道者の書を今順番で説教しているが、きょうがその最後である。大体の場合、最後がクライマックスとなるか、一番大事な内容、または結論がついてくる。この伝道者の書も12章になってソロモンが話したい結論が明確になってきている。まず、12章の構成を見ると、最初の1節が”創造者を覚えろ”、つまり”あなたの始まりの出発点を明確にしろ”と書いてある。それから最後の14節には、”死んでから裁きがあることを忘れるな”という人生の終点に対して書いている。そしてこの2つの点をもって線を引く、つまり人生の歩みを正しくするという内容が、1節と14節の間、12-13節に重点的に書かれている。それで、きょうは、2つの点(生まれの出発点と死ぬ終点)とその2点をつなぐ線(人生の歩み)について考えてみたいと思う。 ※実線ー目に見える現生。点線ー目に見えないが生まれる前からあったか死後現れる世界 偶然ではない。神が造った。目的がある。親が造ったのではない。産んだだけ。お母さん、お父さん、産むまではあまり何もできない。 1.創造主を覚える(1節;生まれという出発点) ①偶然ではなく訳のある生まれ(エペソ2:10) 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。 ※偶然ではない。神が造った。目的がある ②親は産んで神はあなたを形造った(詩篇139:16) あなたの目は胎児…

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油より美しい名のために生きる(伝道者の書7章)

1.自分の名が尊敬に値するような生き方 1節 良い名声は良い香油にまさり、死の日は生まれる日にまさる 神様に覚えられ、人に覚えられ、信仰的に覚えられる人となる。自分の名前が人に神様に恥じることがないように生きる。 ●美しい信仰人の紹介(主人公はエリック・リデルという実存の人物、映画は”炎のランナー(Chariots of Fire)”) ※ケンブリッジ大学に入学したハロルド・エーブラムス。彼はユダヤの血をひいているため、潜在的な差別と偏見を受けており、その鬱憤をぶつけるように陸上競技にのめりこむ。オリンピック100mでメダルを取ったが、目標をかなえた彼は、帰国時にこっそり船から降りて空しい思いに覆われ、悲しい顔で彼女と一緒に舞台から消えた。 ※スコットランドの宣教師の家に生まれたエリック・リデルは、中国宣教師である両親のもとで小さい時から信仰を第一にして育った。彼は自分の走る才能を、世の成功のためではなくひたすら神の栄光のために走ることを決めた。 1924年7月のパリオリンピックの代表となったエリックは、パリに到着してからオリンピックの100m走が日曜日礼拝と重なることを理由にオリンピックでの走りを拒否した。しかし、話し合いの結果、自分の種目ではない400m走に出るようになりそこで金メダルを取った。その競技の時にある人が彼にメモを渡した。そこには、一サムエル2:30のことばが書かれていた。 「わたしを尊ぶ者を、わたしは尊び、わたしを卑しめる者は、軽んぜられるで…

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