変化は選択ではなく必須

人間は変化を好まないが、しかし社会は常に変化して変わっていく。自分が変わらなければ、結局1人取り残されてしまうのです。教会と学校の先生が一番変化に遅いと言われています。しかし教会も変わっていかないと、進歩しないということですね。蛇も定期的に脱皮をするといわれています。そうでないと自分の皮に縛られ、死んでしまうそうです。トビという鳥は70年くらい生きるそうですが、40年くらいになったとき、山奥に行き、ぼろぼろになって、使うことのできないくちばし、羽、つめなどを自分で全部抜いて、血だらけになって6ヶ月くらい待つようですね。そうすると、少しずつ新しいくちばし、羽、つめができて再び30年くらいを元気に生きるようです。鳥さえも変化のために自分を苦しめながら変えていくのに、人間がそれを拒むのではと思います。 ビル、ゲイツは、”私は頭もよくなく、知恵もよくない。しかし常に変化しようともがいていた”と話しました。文化学者のエルビン・トプラーは、”今は地球は強者と弱者の分け方はなくなっている。今は速いものと遅いものだけがある”と言い、もはや世界は変化に速いか遅いかによって分けられるということです。歴史家トインビは、”変化を拒むなら、自己満足、自己陶酔、自己偶像におぼれ、滅びてしまう”と話しています。 そこで人間が変化を拒む理由は4つくらいあげて見ましょう。 ①恐れ ②無力さ  ③惰性  ④自己満足や自己偶像 あなたは変化に対してどう思いますか? またどういうことで変化を嫌うのですか? 変…

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長崎殉教遺跡めぐり

この前、1月初め、長崎の殉教遺跡をめぐる時間を持ちました。 まずは、普段行くことができない平戸を行くことにしました。 平戸や長崎の大村は今もたくさんの殉教遺跡が残っています。 その中でも平戸には昔からカクレキリスタンが多いともいわれています。 また、そこでは多くの人が処刑された地域でもあり、今もカクレキリスタンが2-30人残っているようです。 彼らは今のようなクリスチャンでもなく、教会に行くわけでもなく、聖書の理念に沿ったわけでもない。 彼らは伝統によって受け継がれた方法で独自的に組織を運営し、儀式を行うようです。 仏教や伝統などの要素が付け加えられたとも思われます。 昔ながらの大きな教会も今残っていました。紐差教会などがそれで1回入ってみました。 記念館があるところに行ってきましたが、その場所で約70人くらいが処刑されたようです。非常に厳しいところでいろいろな展示物があり、見てきました。 また今度は長崎の大村に行ってみたいと願っています。 そこにはまた違ういろいろな遺跡が見られると思います。 楽しみです。

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イエス・キリストの心臓を移植しなさい

先に、この写真は今度3月27日結婚する西島、伊藤さんとの写真です。祝福を祈ります。 ピリピ2:5-11にはイエス様の心構えについて話しています。その方は神だったのに、それを全部捨ててくださったという内容です。以下にその本文を書いています。 「2:5 あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。 2:6 キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、 2:7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。 2:8 キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。 2:9 それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。 2:10 それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、 2:11 すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」 <内容> キリストの心は大きく、愛と謙遜だと思いますが、今日は謙遜について考えてみます。 この聖句からは謙遜は三つの形で現れるようになると考えることができます。 1つが、捨てることです。イエス様は神だったのにその全てのものを全部一気に捨ててこの地上に人間として生まれました。謙遜だからそれができたのです。高慢な人間…

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神様の喜ばれることを行なうとは?

ヨハネ8章29節には、イエス様は神様の喜ばれることを行なうので、一人にしないといわれています。私たちの生き方の最終の目的はやはり神様の喜ばれることを行なうことです。何かをするかしないかの判断基準が、罪かどうかということではなく、神様が喜ばれるかどうかを考えれば、殆どのことはどうすべきかが分かります。私たちは神様にとっても人にとっても喜ばれることをすることができるならば、神にも人にも愛されるようになるでしょう。誰からか何回も命令されたり、催促されたりして、やっと何かをするようなことでは、よい関係は作れないでしょうね。言わなくても神様が何を望むかを知ること、あるいは他人が何を願っているかを察知して行なうことができる人間は本当に愛されると思います。人間は自分が好きなことを中心にしますが、しかしそればかりであるならば、それは子供です。やはり、したくなくてもする、したいけどしないというような水準になることで初めて大人になりますね。自分が好きなことを中心に行なうよりも神様が好きなことを行なうとき、それこそ大人の信仰者への成長であり、その神様の喜びが何十倍も大きい自分の喜びとなってかえってくるでしょう。今年は皆さんが神様に喜ばれることを自ら行なうことができるようにしていきましょう。

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