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zoom RSS 毎日死を覚悟するとは

<<   作成日時 : 2018/01/14 14:02   >>

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Tコリント15:30また、なぜ私たちもいつも危険にさらされているのでしょうか。31兄弟たち。私にとって、毎日が死の連続です。これは、私たちの主キリスト・イエスにあってあなたがたを誇る私の誇りにかけて、誓って言えることです。

マタイ26:40それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。41誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

マタイ福音書のイエス様のこのみことばは、どういう意味だと思いますか。わたしと一緒に1時間も覚める事が出来ないのか。

十字架を背負って死んでいくイエス様のために少しも祈りができない弟子たちに残したことばです。今日の多くの人たちの姿ではないでしょうか。

最初のみ言葉、Tコリントでパウロは、毎日死ぬと話しています。彼は毎日信仰のために死を覚悟して生きているとのことです。霊のために肉を殺すことをする人のことです。

霊が生きるために彼は毎日肉を殺し、肉の(欲)死を覚悟しているという意味です。この二つは互いに相反するので霊も元気に生きて肉の欲も満足されるのは難しいのです。

ローマ7:21そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。22すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、23私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。

私たちの心の中には相反する二つのことが存在しています。肉の欲が生きれば、霊は死にます。霊が生きれば肉の欲は死にます。あなたは毎日何を選択するのですか。霊が生きるために、肉の快楽、少し休みたい欲を殺し、祈りに出て、みことばでも読みますか。

それとも、肉の欲を満たすために、霊の生きる、霊の喜ぶ祈り、みことば、交わり、礼拝、などに出ていくのを拒みますか。眠いから、もう少し見たいから、もう少し快楽を楽しみたいから、もう少し、もう少しの言い訳で、私たちの霊は毎日少しずつ死んでいきます。それで、悪魔に殴られ、罪に傷を受け、霊は満身創痍になっているかもしれません。体はきれいかもしれませんけど。皆さんの霊は今どんな状態ですか。全体に包帯を巻いて、あちらこちら傷だらけので、足が折れたり、半身不随になったりはしていませんか。神様や悪魔はわかっているでしょう。
肉を殺したといって、別にご飯を食べないとか、あなたの体を壊すようなことではないのです。少し贅沢する心、もっともっと楽になりたいという欲を撃ち殺すことなのです。

ローマ8:13 もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

聖書のみことばはご飯であり、祈りは呼吸ですから聖書のことばを読まないこと、祈りをしないことは死んだということです。脳死の状態です。生きるための最低の必須は、この2つです。聖書を読まない、祈りをしない、どちらかをしないのでもなく、両方を全くしない人は、霊の自殺を選択した人です。クリスチャンでありながら、肉だけが生きていて霊の死んだ死体です。死体が何をしますか。できることがないのです。ある意味では、クリスチャンの中にはほぼ毎日死体のように生きる人も多いのです。楽になりたい思いで、睡眠、ギャンブル、ドラマ、快楽、罪で霊的死体となっている場合が多いかもしれないのです。祈らなければ死ぬというのは、私の話ではなく、祈りの巨匠EM バウンズの本のタイトルです。

祈りなしには、生きていけないのです。仕事するから生きるのではないのです。仕事するならば、なんでも許されるのではないのです。仕事は当然のことです。霊が生きて肉も生きる人となるべきです。

祈りは罪を止まらせ、罪は祈りを止まらせる。ジョン・バーニャン

特に罪の氾濫しているこの時代に、祈りなしには誘惑と罪から守られる保証はありません。特に性的な罪が蔓延しています。妻は主人のためにもしっかり祈ってあげる必要があります。男性はどこかの統計を見ると、毎日5−10回セックスを考えると書かれていました。敬虔な人はこういう思いがあれば、すぐそこから簡単に抜け、それを罪までには拡大させませんが、場合によってはそれを深く考え、罪に至る場合もあります。夫婦が助け合い、祈り合っていくべきです。主人が全く霊的なことをしなくても何も言わないならば、それは死を助けることです。もちろん、全部が全部ではないですが、兄弟たちは仕事で忙しいので、霊的な活動をしなくなる可能性があります。そういう時には、自分がしたQTやよかった内容を分かち合ったり、あるいは一緒に聖書でも見てくれませんか。祈りでもしませんか。忙しいけど大丈夫ですかと、少しは声をかけてあげる必要があります。妻に対しても同じです。もちろん、これをもって互いに傷をつけてはならないのですが、しかし何の合言葉もないというのは、それもよくないのです。

仕事で忙しいからできないというのは、少し正しいかもしれないが、それも言い訳かもしれません。それが本当かどうかを知るのは簡単です。時間のある時に彼が彼女がどうするかを見れば、すぐわかります。忙しくてできていない人ならば、時間あるときは、休みの日には少しでもするでしょう。しかし時間があってもしないのであればそれは心がないからでしょう。

多くの日本人、韓国人は仕事に埋もれて死にます。働くロボットのように働き、そして本当に大事なことは何もできずに死んでしまうのは気の毒です。仕事が大事ですが、そのために生きることではありません。仕事のためにすべてが犠牲されることが、あってはならないのです。仕事であれば何でも許されるみたいな風潮がありますが、それは違うと思います。その代わりに他の大事なことが死んでしまいます。

人間がいくらばかか。
まず、お金を稼ぐために仕事など頑張り過ぎて健康を失います。今度は失った健康を取り戻すために稼いだお金を使います。結局お金も失い、健康も失うのです。もちろん、全部ではないでしょうが、残るは、病気、時間や努力の浪費です。お金では絶対幸せになれないのです。お金は馬鹿な人間への悪魔の最高のトリックです。お金を、名誉を得るために、信仰を失う。信仰を失うことで今度はすべてを失うこと、悪魔の狙いかもしれません。仕事は肉のために必要です。いい加減にしてはならないと思います。しかしそれが目標ではないのです。それで信仰をおろそかにするならばよくないのです。

聖書の中には多くの祈りがあります。祈りにはすべての問題のアンサーがあります。信仰者は祈りをもって生きていくのです。

アブラハムは子供がなかったのですが祈ることでイサクを産めました。
イサクは祈りによって妻リベカをもらいました。
ヤコブは祈りによって自分を殺そうとするエサウから守られました。
ヒゼキヤは祈りによって、病から癒されました。
ソロモンは祈りによって、裁判の知恵をもらいました。
ダビデは祈りによって、神様からひどい罪を赦していただきました。
エリヤは祈りによって、バアルの預言者との戦いで彼ら何百人を殺すことができました。

パウロは祈りによって、病気を直し、また伝道への大胆さを得ました。
イエス様は祈りによって病を癒し、十字架を背負うことができました。
ヤイロは祈りによって、自分の娘の病気を癒してもらいました。
盲人バディメオは祈りによって再び見ることができました。

この世で一番素晴らしい仕事、仕事の中の仕事は祈ることです。祈りなしに仕事をするから効果が小さいか、むしろ大変な目に遭うのです。祈りのない仕事は、中身のない仕事になるのです。

自分でみことばを読み、祈りをする習慣をつけましょう。
マタイ4:4に書いてあります。肉のご飯だけで生きるものではないのです。

マタイ4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

私たちが日曜日やカンファレンスなどで多くのみことばに接すると、すごく心が高揚します。しかし、それが終わったらすぐ沈んでしまうのがよくあります。こういうのはまるで、点滴のようなものです。

ずっと点滴もらって生きることはできません。一週間何もしないで教会にきて点滴もらってまた一週間お休みというわけにはいきません。人から聞くことだけでは元気になることができません。毎日自分で食べて呼吸すべきです。

今年は、まず霊の命に係わるみ言葉読み、祈りは何が何でも取り組みましょう。最近は携帯聖書読みアプリがいっぱいあり、心があればいくらでもできます。また、祈りもこの前ダニエル祈りを話しましたね。もっと忙しいから、もっと大変だからダニエルはもっともっと誠実に祈りに徹底しました。大変だからやめると、普通の人です。長い時間をしましょうではないのです。朝5−10分(もっとできるならば30分)、夜10−20分ならばどうでしょう。それもできないならば、一回朝か夜20-30分でもできるようにしましょう。家に部屋が余りがあればそこでするか、あるいは家で家庭礼拝で賄うかでもよいでしょう。あるいは、家に帰ると、できない方は帰る途中、車の中でとか、どこかで10分、20分程度QT(デボーション時間)を持ちましょう。楽に生きることではなく面倒でもしましょう。少し早く帰りたい、少し遅くまで眠りたい、少し映画やドラマ観たい、別にそれをしたらダメではなく、少し削るか、先に霊的な活動をしてからすればどうでしょう。

教会全体でも、互いに励ましあって行いたいと思います。面倒くさくても、牧師から少しうるさいほど言われるかもしれないが、何とかご理解願います。私たち信仰者、少しもがきながら生きていきましょう。面倒くさいけど、疲れるけど、しましょう。面倒くさいからと言って、ご飯食べず呼吸しないと死にますからね。これから交わりでも、QTの分かち合い、証しなどもしたりできればと思います。QT,またはデボーションノートが必要であれば用意しましょう。携帯に日記にように書くのもよいでしょう。

しっかりこのみことば祈りには心を固めていきましょう。これがしっかりあれば人は絶対に成長します。

祈り
天の父なる神様、きょうはみことばと祈りについて学びました。大事なのは決断とそれを実行する心構えです。どうか、私たちみんなが霊のために、聖書読みや祈りには妥協せずに誠実になりたいという心をお与えください。もちろん、十字架の寸前の弟子たちのように失敗や足りないところもあると思いますが、それでも毎日肉の欲に打ち勝って、霊を生かすことができますように。霊の死を覚悟するのではなく肉の欲の死を覚悟することができますように。それによって私が、家族が、教会が、周りが生きることができますように。弱い私たちを憐れんでください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

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