キリスト教の死に対する真実

キリスト教の死に対する考え方

人間が一番怖がり
どうしようもないと思うのが死である。

いろんな宗教でも死について教えている。
日本では死や死後のことについては
仏教の影響が圧倒的に強い。
まるでそれが真実と考えている。
基本的には、死んだら皆仏になり
極楽に行けるのである。
人によっては都合のよいことかも知れない。

一方、聖書は人間の死に対して
どのように教えているか考えてみたい。

キリスト者にとって体の死は
眠っていることにたとえている。(ヨハネ11:11)

人間が寝る時でも反応は示さないが、
でもいのちがあるので死んだと言わない。

キリスト者の体は死んでも
永遠のいのちを持つ霊は生きているからである。

実際この聖句でラザロの体はお墓に
入れられ腐っていたが、
イエス様はその彼に向かって
眠っていると話し、さましにいこうと
言われた。

先の睡眠の例えのように
彼の体は死んだが、
実は彼の霊は永遠のいのちがあり、
さらに神様、イエス様につながっていて
霊は生きて活動、反応するので、
彼は完全に死んだのではない。

その証拠として、彼の体は死んだが
霊は生きていてずっとイエス様と交わり、キリストの声も聞いて反応していたのである。

だから体が死んだ彼が、
[出て来なさい]という、
イエス様の声に反応してよみがえり、
歩いて出てきたのである。

キリストを信じる者はこのように
体が死んでも霊は生きていてキリストや
その神様と交わるようになるだろう。

そしていつか、ラザロに叫んだように
[よみがえりなさい]というキリストの声が
する時にキリストの霊につながっていた者らは、
本当にお墓から出てきて、よみがえり、
その後、霊と体が一つになり、
神の天国に導かれるようになる。

もちろん、そのよみがえる時には
もう腐らない体、病気にもならない
永遠に生きられる体となるはずである。

新約聖書のマタイ24章には、
近い将来、キリストが
この地上に現れるという出来事が
起こることを予言している。

その時に、今までキリストを信じ
体が亡くなった者が
つまり眠っていた永遠のいのちを
持っていた人たちが
お墓から一斉によみがえり、
神と共に永遠を過ごすようになると
書かれている。

またマタイ24章には、
その時の出来事が書かれている。
歴史上なかった悲劇と感激が
起こるはずである。

まさか、そんなことがあるとはと
無視することも

もしかしたらの心で準備すること、
どちらでも選択は自由。

避難警告に対してどうするかは
それぞれの自由と責任。

聖書は嘘で人間を脅迫すると
受け取るか、
それとも
愛の真実を持って私を救うためなのか。

何もないだろうという都合のいい願望にたよるか、
今まで一つも例外なくその予言が成就した聖書の真実を受け入れるか!
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