信仰が見られない(ルカ18:1-8)

この話は、今の時代にびったりの話だと思います。ノンクリスチャンの方には関係のない話だけど、クリスチャンなのに、実際は信仰がないというこの話、悲しい話ではないだろうか。つまり、先週話したように信仰があるかのように見られ、また教会にもきて主よ!という人たちの中に、信仰が見られないというのは、残念な話である。

あまりにもよい時代に生まれている。豊かすぎて、信仰なんていらないといえるような時代、数々の悪魔が誘惑している、そんな時代に生きている。したがって、信仰でいきることは容易ではなく、簡単に信仰を失いやすい時代に生きている。

※ノア時代のような現代。(マタイ24)
37人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。
38洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
39そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。


それでは、信仰の印は何だろうか。

一番目の信仰の印は、しつこい祈りである。
死ぬほどの時になれば、その時は祈るが、普段は祈らない。また祈るかもしれないが、しつこくは祈らない。何かが必要であれば、お金の心配でどうしようかと心配するが、神様に頼って祈ることはしない。
子供の親頼みの心にも至らない。

朝に起きて祈りますか。それができなければ、夜でも祈りますか。それもご飯食べるために祈るのではなく、大事な時間を造って祈りますか。そんな祈りの生活を全くしないにもかかわらず、私が信仰があるという話はどこから言えますか。

2番目は、犠牲を払って信仰生活をする(大変さを乗り越え、苦しみを乗り越えて神に仕える)。
この前、北から脱出した人の証しを聞くことができた。その話を聞きながら、その人たちは本当の信仰だなと思った。今も世界には信仰によって殺されそうな人が多くいる。彼らは信仰が生きるか死ぬかの話である。そんな状況の中で救われ、信仰を持つ人たちは偽がない。でも豊かな国の日本や韓国に住んでいるクリスチャンの中には、あいまいな信仰者が多い。

ヘブル11
24信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、
25はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
26 彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。


35女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。
36また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、
37また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、


3.今週の実践
1)祈りへの反省と同時に、短くてもよいので祈りの時間を設ける(家族や個人)
2)朝起きて他のことよりも先に神のみ言葉を見る
3)食事祈りの水準から成長する
4)今の苦しみを感謝する
5)これからどんな苦しみや代価を払うとしても主を離れず、主を第一にして生きる
6)交わりや礼拝にも代価を払って臨む


4.結びの祈り
天の神様! 自分の祈りが自己中心的な祈りで、何か必要な時だけ ”下さい”と祈っていること、また毎日定期的な祈りもできず過ごしてきました。さらに、苦しみを乗り越え、代価を払っての信仰生活までには至っていないことを反省します。真の信仰が見られる人として成長できることを祈ります。どうか、しつこい祈り、また代価を払ってでも信仰のほうを選択するという、真の信仰へ成長していけますように。世の不信仰、悪魔の誘惑に染まることなく、自分の信仰管理をしっかりしていけますように。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

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