苦しみの時の人生の生き方(詩編32:1-11)

この詩編は、詩編51編と共にダビデの代表的な懺悔のの詩である。彼がウリヤの妻を強姦し、その夫を死なせてから、罪の重さで苦しみながら書いたのが詩編51編であり、それから少し安定を取り戻してからこの詩編32を書いた。彼はその罪によってさまざまな問題や試練、苦しみに出会った。この詩編32は、あの苦しかった罪、しかもどうしようもなかった罪の経験から悟ったことをまとめて語っている。彼は自分の経験から二つのことを私たちに話している。以下の1、2段落はきょうの対象ではない。以下の3、4段落を中心に考えてみたい。

「1-4節の内容の要約:罪の苦しみと赦されることの幸い」
●1-2節:とが(phesha)は、「神の権威に逆らうこと」である。つまり、罪は神様に喧嘩をかけることである。だから、罪の解決は、神様への告白の心が必要である。

●ダビデは、こういう罪から赦されることの幸いについてその喜びを語っている。

●彼は3-4節で赦されない罪の苦しみについても話す。ことばで表現できないほど苦しかったと話す。骨が震え、呻き、霊が枯れ、罪の重さでつぶされてしまうと告白する。

●実に、罪ほどどうしようもないこともない。既に犯してしまったことを解決する方法がないからである。神を知らない時の罪の解決は、お酒飲んで忘れるか、良心的な人は死を持って記憶そのものを無くす。しかし、それで罪が解決できるかということである。人が死ねば灰や遺骨を残すというが、それは違う。むしろ、すべての人間は死んで罪を残す。つまり、すべての人間はどうしようもない罪びとだということである。

罪の中で苦しむ人たちに、また神の教えに従わず自分勝手に生きる人たちに、ダビデは大事なことを教えている。または、試練や厳しい環境の中にいる人たちに対して、ダビデはそのようにすればそのどん底から抜け出でるかについても教えている。あるいは、ダビデのような厳しい罪やその試練で苦しまないために、普段私たちはどのように生きるべきかについても教えている。以下から、私たちの人生で必ず覚えて生きるべき二つのことが何なのか考えてみましょう。

1.祈りをやめてはならない。祈りをやめること自体が災いである。(5-7節)
6それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。あなたにお会いできる間に。まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。

●5節:告白の祈りで赦される幸い。悩みの大水から守られる。ふさがった身でも救われるようになる。
●6節:祈りは救命ボートであり、救いの力である。
●7節:祈りによって悩みの囲いが救いの囲いに代わる。

2コリント4:8私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。9迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

※この聖句にもあるように、自分の環境が四方八方ふさがっても必ず主はそこから抜け出せるようにしてくださる。それは祈りの力である。何もできない時でも、祈りは完全で唯一の救いの道である。

※詩編32の6節で、ダビデは祈りをもって主に会える時間を見つけるため努力すべきであると話す。自分で問題解決のために努力するより、主に会える時間を見つけることが優先である。祈りの時間作りにもがきなさいという意味である。

皆さんのこのころの祈りの時間はどうですか。まず、祈っていますか。忙しいからやめるということではないですか。時間を作りなさい、見つけなさいと話しています。サムエルは、以下のように話している。

Ⅰサムエル12:23 私もまた、あなたがたのために祈るのをやめて主に罪を犯すことなど、とてもできない。私はあなたがたに、よい正しい道を教えよう。

※この聖句では、祈りをやめること自体が、罪であること、それもなんと大きな罪なのか、認識すべきと諭している。ここまで感じる人だからこそ、サムエルは素晴らしい指導者となったのである。

※大水の時でも祈れば大丈夫というのは、大水のような時でも祈りの時間を確保するようにという話である。それほど、祈りの時間を大事にするべきだという意味である。

※ある人は、私は最初から祈りをしないので(食事の祈りくらいはする)、あえて祈りをやめる罪を犯すことがなく「よかった」というふうに思うかもしれない。つまり、祈りをやめる罪を犯さないために、あえて祈りをしないという詭弁になってはならない。

※指導者の第一番の責務は、彼らのために祈ることである。家庭のリーダーである人の責務、子供を育てる親の責務、その一番は祈りである。これはしないまま、何かをするならば、それは必ず間違いをもたらす。


2.主の教えに素直に従いなさい。
8わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしはあなたがたに目を留めて、助言を与えよう。9あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押さえなければ、あなたに近づかない。

●8節で神様はあなたの歩むべき道を教える方である。
●9節で、だから主の教えに「逆らわないで」と忠告する。馬やラバのようになってはならないという。馬は、「頑固」、「突っ走り」、「欲のままにする」を習性をもっている。ラバは、気が短くすぐかってに動く。私たちの姿ではないですか? 馬よりもっとひどくないのか。自分勝手に突っ走るのではないですか。ラバのように神様に祈りも御心を聞くこともなく思いのまま行動し、どたばたする人生の連続ではないのか。

※苦しみの時にもがくともっと早く死ぬ。イザヤは次のように助言する。

イザヤ30:15神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。

※悪い者(祈りもせず、主の教えに従いもせず)は「悩み」と「悲しみ」に囲まれる。しかし、正しい者(祈る人、教えに従う人)は、「救い」と「いつくしみ」で囲まれる。

※祈りもせず、従順もしない人は、どんどん人生をこじらせ、絡まるようにする。だから悲しもも、悩みがどんどん出てくる。しかし、この絡まりを解く最高の方法は、祈りと従順である。

3.私の実践
①祈りの時間、「サムエルの祈り」から自分も一日最低15分からの祈りの時間を始めよう。
②馬やラバのように生きる人は、くつわや手綱を外しましょう。自ら進んで主の教えにしたがって生きることを決めましょう。

4.結びの祈り
天地万物の創造主なる神様! ダビデが私たちに教えている最高の人生への二つの秘訣について学びました。今まで祈りへの意識がなく、主の教えへの従順への思いもないまま、自由奔放に生きている自分の姿を悔い改めます。祈りと主の教えに対する従順が人生のカギとなる人生を生きることができるようになりたい、これらを決心して生きる習慣を身に着けることができますように。こんな弱い私を導き助けてください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン



















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