むしろ感謝の中毒(コロサイ4:2)

最近、中毒の問題が大きな社会問題となっている。お酒やギャンブル、薬物、薬などの様々なことがある。一回この中毒にはまってしまうと、多くのことを失う。最初は、遊び半分で軽い気持ちで始めたのが、ついその奴隷となってしまい、簡単にそこから抜けることができなくなってしまう。一回その世界に入ると、自力では解決できない。その弊害については話をする必要がない。中毒も基本はつらい自分のことを考え、何かによって癒されたいと思うことから始まる。つまり、この世は何かによって狂わないと、生きていけないほど苦しいという意味である。まともの精神では生きていけないような思いがある。それほど、つらいということである。

こういう中毒まではいかないけど、人々の中には口癖のように悪口をしたり、不平不満したり、中傷したり、非難や批判したりする人が多い。悪くて破壊的なことばの中毒の弊害も小さくない。口から出ることばは、その人の心の状態を示す。口から出るよくないことばによって、心が病むようになる。病気まではいかなくても決して幸せな生活は送れない。口を開けば否定的なことば、悪口、自分や人の心を病ませる毒を出す否定的なことばの中毒も決して小さな問題ではない。

そこで、きょうは破壊的なことばの中毒より、むしろ感謝の中毒について考えてみたい。中毒になるならば、健全で人を生かす感謝の中毒者となるようにという意味である。

去る約一年間、神様は私たちの人生に多くの恵みを与えたことだろう。目に見えることもあるでしょうし、目に見えない祝福も多くある。親が子供のために苦労するのは、もちろん子供に見える部分もあるでしょうし、むしろ子供の目には見えない部分が多いかもしれない。神様が私たちのためにするのも、見えない部分がはるかに大きいはずである。こういうすべてをもってきょうは感謝をささげる時間としたい。

宣教師アンダーウッドが習慣のように書く祈りノートに書かれた内容です。

「歩くことさえできれば、より大きな祝福は望まないです。
だれかは今、そう祈りをします。
聞くことさえできれば、より大きな祝福は望まないです。
だれかは今、そう祈りをします。
見ることさえできれば、より大きな祝福は望まないです。
だれかは今、そう祈りをします。
生きることさえできれば、より大きな祝福は望まないです。
だれかは今、そう祈りをします。
驚くべきことに、誰かの切実な願いを私はすべて答えられています。
驚くべきことに、誰かが熱心に願っている奇跡が私には日々起きています。
私の一日は奇跡です。私は幸せな人です。」


1.信仰者のトレードマーク(商標)とは
Ⅰテサロニケ5:16いつも喜んでいなさい。17絶えず祈りなさい。18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

喜び・祈り・感謝が出ている。この3つがクリスチャンのマークである。
いつも不安、心配、感謝より避難、抽象、不平不満を出すと人は、真の信仰者とは言えない。
ここに見ると、すべてのことについて感謝しろとなっている。目に見えてよいことは感謝できるけど、目に見えてよくないようなことにまでどうして感謝できるか。難しいかもしれないが、しかし真の信仰者にはそれができる力が与えられる。

2.苦しみや心配が祈りに出会うと、感謝と奇跡が起こる。
人が神に出会うと、人格が変化する。人が聖書に出会うと、否定的な面、暗闇が明るく変わる。
熱い神様の愛に触れると、人は変わるしかない。聖書の中のラブストーリーは、温かい。イエス・キリストが、最悪の罪人までも愛し赦すために十字架の上で死んでくださった。人間を愛するゆえに、救うために、神である方が人間の体を着てこの世に来られた方がキリストである。地獄の罰を受けるはずの人間が救い主に出会うようになると、喜びと感謝であふれる。

現代社会は、闇の社会、病む社会である。日本も韓国も似ている。それで病気も多くなるし、生きるためにもっと病むしかない社会である。競争も激しく、苦しみも多い複雑な世界に生きている。こういう荒れている社会で果たしてすべてのことについて感謝できるか。当然、感謝は闇をなくし、心や体の病みも無くす。つまり、感謝があふれるところに病や影はない。

●ヨセフの場合:ヨセフは信頼すべき兄弟たちに裏切られ、エジフトの商人たちに売られてしまった。そしてエジフトに行ってからも、彼はボティファルの奥さんのうその告発に行って牢に入れられた。その中でも彼は最後まで神を信じ続けた。やがては総理にまで上り詰めた。

●ヨブの場合:彼は本当に砂らしい信仰者である。しかし、悪魔の攻撃によっていきなり子供たちが全員死に、また羊などの財産がなくなり、最後には自分も病気にかかり究極の苦しみを受けた。

多分、普通人たちはこんな厳しいことに出会ってしまうと、病気にかかるか、おかしくなる。しかし、神が共にしていたからこそ彼らはそこから立派に変化することができた。

●心配、苦しみの時に、私たちは祈りの手を挙げる。すると、そこから奇跡が起こる。環境も変わるだろうが、私の心も平安のうちに守られる。そして感謝に変わる。心配や苦しみが、神への祈りに変化するならば、喜びと感謝に出会うようになる。

●ハバククの例話
ハバクク3:17そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる。18しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。

●神様の究極的な心と約束
ローマ8:28神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

ハバククは、最悪の状態の中でも彼は喜ぶことができる。なぜでしょう。感謝は目に見える何かが良いからするのではない。それは長くいかない。環境は次々と変わるからである。それよりは、私の救い主、愛の神が共にするからであろう。よい収穫のための喜びならば長くいかないが、しかし永遠に、どんなときにも共におられる神様のゆえにわれらは喜ぶ。そして大変な時にも感謝できる。

ローマ8:28の聖句の通り、きっと神が最善の道へ導いてくださるという希望と信仰があるからである。

結びの祈り
天の父なる神様! きょうは収穫感謝記念礼拝です。この一年も私たちの目に見える、見えない様々な恵みと祝福をもって私たちを導いてくださったことを感謝します。しかし、私たちは喜びも感謝もあまりできず、時には心配や不平不満、人への避難や悪口などの不信仰の姿が多くありました。こんな私をお許しください。こういう心配や苦しみが祈りへ変わっていき、そこから感謝、喜びをくみ上げることができますように。やがては、私の口を感謝の言葉で満たし、私の心を喜びと平安をもって満たしてくださることを神言います。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン





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