原始福音から見る神の愛と信仰(創世記3:14-16, 12:1-4)

3:14神である主は蛇に仰せられた。「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。
3:15わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
3:16女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのみごもりの苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」
17 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。


きょうからは、聖書の各巻の学びをしていきたい。
創世記は、すべての始まり(宇宙万物・人間・罪…)である。
創世記の最初の1-11章までは、主に罪と裁きというパターンが繰り返す。4つの大きな事件が記録されている。最初の大きな出来ことは、1-2章での宇宙万物の創造、3章で人間が罪を犯しそれに対する裁き、6章では人間の性的な罪とノアの洪水、11章では人間のバベル塔とそれに対する裁き。つまり、罪に対する厳しい刑罰と裁きが繰り返す。

3章のエバの不従順の罪、6章のノア時代の性的堕落、11章の高慢の罪。これが人間の大きな罪であり、罪の代表的なものである。

1-11章まで人間の罪とそれに対する裁きだが、同じパターンである。しかし、それでも人間の罪の問題は解決にならなかった。罪と罰では救いにならない。それで、12章から今度は4人の人物の話に変わる。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ。事件中心から人の話に変わる。この4人に約束が与えられ、約束によって人間を救う神の計画が始まる。この4人の話は、人間救いの約束がどのように流れていくかを教えてくれる。したがって、聖書の話はこのアブラハムから始まる約束と信仰による救いの話とも言える。それが聖書全体の主題である。

1.原始福音:創世記3:15
3:15わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。

罪を犯してから、神は罪から人間を救うために対策を講じた。それがこの創世記3:15節である。まずは、悪魔と土地への呪い、人間に対する刑罰がそれである。これはあくまでも罪から人間を救うためのことである。その内容を分析すると以下のようになる。

創世記3:15わたしは、おまえ(悪魔)と女(マリア)との間に、また、おまえの子孫(悪魔に支配されるすべての存在)と女の子孫(イエス様)との間に、敵意を置く。彼(イエス様)は、おまえの頭(悪魔)を踏み砕き、おまえ(悪魔)は、彼のかかとにかみつく。

イエス様が女の子孫というのは、イエス様は処女マリヤによって生まれるという意味である。男は関与していないので、女の子孫と書く。普通は男の子孫と書くはずである。イエス様と悪魔(お前)は十字架をおいて戦争をした。十字架を通して悪魔はイエスを殺しキリストの救いを破壊する(かかとに噛みつく)ともくろんだ。しかし、イエス様は逆に悪魔の頭を踏み砕くことで、悪魔が2度と蘇らないように完全勝利した。

実際、この計画(創世記3:15)に従って、約2000年後イエス様が来て十字架を背負い、人間の救いの道が完成し、その後約束通り最後にはヨハネ黙示録20章で、悪魔などのすべてが裁きの場、地獄に完全に閉じ込められ、21-22章に人間の完全な救いである新しい天国が開かれる。それで、人間救いは終わる。呪われた自然やエデンの園、人間も回復し、救いは完成する。壊すのは簡単だったが、立て直すのは厳しい代価が必要である。この原始福音にそって聖書や歴史が動いたとも言える。

創世記3:15は、新約のヨハネ3:16(生ける福音)とつながっている。ヨハネ3:16は、十字架の出来事の後に与えられた効力が生まれた生ける福音、真の福音である。

ヨハネ3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

このアダムとエバの事件から考えられるのは

●神様は私たちの罪という行いだけを考えるならば、さばきと刑罰の連続にしかならない。それで、神様は12章からアブラハムの約束、つまり信仰によって救われる道を下さった。

●なんと感謝んことなのか。私たちに呪いをもたらした悪魔との戦いで命を捨てたイエス様によって、救いの道が開かれた。

●神は私たちを事件や行い(罪)中心ではなく、やり直せる可能性に希望をおく約束と信仰をもって私たちを導く。行為中心では生きていられない。

創世記3:14-16は、罪を犯してからの悪魔や人間に対する神様のやり方である。まず、悪魔には呪いが、人間には罰が与えられる。ここから考えると、人間には大体神様によるいくつかの人間救いの対策が見えてくる。

●一般に神の救いの計画には、罪の呪い、罪の刑罰、予言、約束の4つがある。
・呪い:人間救いのための悪魔への措置。十字架の戦いで敗北させる。やり直しができない、一番厳しい措置である。
・刑罰:罪を犯した人間への一時措置で、やり直しができる。
・予言:人間の間違いに対する行為にすぐ罰を下るのではなく、忍耐をもって悔い改めを待つ意味。
・約束:人間の救いや祝福のための神の人間に対する約束。これにはその約束を受け取る信仰が必要。これが聖書の全体の主題。

●悪魔と罪について考えてみよう。悪魔はずっと誘惑し、罪に進むように、そして神との関係が遠くなるか、切れることを願う。最終的には、救いから漏れることを狙う。

■悪魔は私たちの弱さを攻撃する。しかし、主のみ名によって祈れば退く。悪魔の奴隷として生きてはならない。

●罪とのもがきは起き上がりたいサインで、その時神様も手を伸ばしてくれる。神様は罪を喜ばないが、そういうもがきは喜ぶ。いつか起き上がれる。

●神は罪を犯したアダムとエバ(人間)に罪の刑罰を与えたが、呪ってはない。つまり、やり直せる機会を下さった。救われることのできる信仰という具体的な方法も下さった。

■希望を失ってはならない。罪を犯しても、繰り返して犯しても、悪魔の攻撃を受けても、約束の福音を信じることで回復する。そして天国に入る。

●この神は人間が罪を犯し、一番最大のピンチにいる時に、近づいてきた。そして救いの計画を宣言された。

●私たちが罪を犯し、苦しみ、隠れているときにも、神様は私たちにずっと近づいてきて、私を呼んでいる。その話を聞いて、罪を告白し、悔い改める必要がある。

■エバのように、私は隠れている。素直に神に答えてください。今私は罪を犯しましたと、それで逃げて苦しんでますと話してください。隠れても隠すことができない。その方に、自分の罪を告白する。

●創世記4:7 罪が門の前にある
創世記4:7あなたが正しく行なったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」

●私たちの周りには罪がいっぱい待ち伏せしている。あちらこちら。町にも、新聞、インターネットにも。罪の奴隷、悪魔の奴隷、また罪を犯すだろうからといって、諦めてはならない。それはよくない。何度でも起き上がる。

●もがきをすると筋肉がついて、いつかは起きれる。しかしそれをしない人は、永遠に起き上がれない。もがきは霊的筋肉訓練。罪を告白して、悔い改めよう。毎日洗おう。体洗うことを恥ずかしく思うのか。しかし悪魔がそう思わせる。あなたがもがきをする時は、あなたは死んでいない。それは生きている証拠である。イエス様の勝利を信じること、もう一つは起き上がる練習(告白と悔い改め)をやまない。いつかは、起き上がるようになるから。

結びの祈り
天の父なる神様! きょうは原始福音について学びました。私たちの罪にそのまま返すのではなく、愛に満ちた神様は、いくつかの措置を行いました。自分の独り子、イエスを犠牲にしてまで悪魔を閉じ込め、私たちには罰を与えたものの、罪への永遠の呪いではなく約束による信仰を通して救われる道を設けてくださいました。ありがとうございます。悪魔は今も私たちを誘惑し罪へ陥れるために数々の攻撃をしてきますが、私たちはイエス様による勝利への宣言をしっかり行い、また悔い改めの心をもって神の前に出ることができますようにお導きください。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

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