敬虔な人、神を恐れる家庭(使徒10:1-7)

<聖書箇所>
1さて、カイザリヤにコルネリオという人がいて、イタリヤ隊という部隊の百人隊長であった。
2彼は敬虔な人で、全家族とともに神を恐れかしこみ、ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていたが、
3ある日の午後三時ごろ、幻の中で、はっきりと神の御使いを見た。御使いは彼のところに来て、「コルネリオ。」と呼んだ。
4彼は、御使いを見つめていると、恐ろしくなって、「主よ。何でしょうか。」と答えた。すると御使いはこう言った。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。
5さあ今、ヨッパに人をやって、シモンという人を招きなさい。彼の名はペテロとも呼ばれています。
6この人は皮なめしのシモンという人の家に泊まっていますが、その家は海べにあります。」
7御使いが彼にこう語って立ち去ると、コルネリオはそのしもべたちの中のふたりと、側近の部下の中の敬虔な兵士ひとりとを呼び寄せ、


<説教>
1.敬虔な人、神を恐れる家庭

コルネリウスは異邦人で、ローマの百人隊長という高い階級の軍人である。自分たちの属国のイスラエルの神を信じ、また今度はペテロという人を呼ぶように言われた。

敬虔(Godly)とは:生き方や考え方などから神の属性が現れていること。決して宗教臭くない。他人とよい関係を保つが、しかし軽く取り扱いされるのではなく、尊敬を受ける。この敬虔は、神様との人格的出会いがあって可能であり、神様との質的な関係によって形成される。

敬虔の意味
ヤコブ1:26自分は宗教に熱心であると思っても、自分の舌にくつわをかけず、自分の心を欺いているなら、そのような人の宗教はむなしいものです。27父なる神の御前できよく汚れのない宗教は、孤児や、やもめたちが困っているときに世話をし、この世から自分をきよく守ることです。

敬虔の聖書的定義(ヤコブ1:26-27)
①個人的に:言動に現れる(自分の舌、汚れのない)
②社会的に:周りの人を顧みることができる
③文化的に:世の堕落に染まることなく自分を守る

●コルネリウスは、家の家長として、また軍人の上司として敬虔な姿を見せていた。

同じく、家長の兄弟がまず敬虔な人であること、それから家全体の信仰の責任をもって養い導いていくことが求められる。この責任は大きい。

エバが実際罪を犯したのに、聖書にはエバではなくアダムが罪を犯したと書いてある。妻への配慮や導きに問題があった意味である。エバよりアダムの罪が大きかったのはなぜなのか。まず、アダムは直接神から善悪の木の実を食べないように聞いたが、エバは実際直接神様から聞いていなくアダムから聞いたはずである。アダムがしっかり告げるべきだったが、それはわからない。責任を果たしていなかったのが大きい。


コルネリウスのリーダーシップが読み取れる。自分だけではなく、全家族が神を恐れていたとなっている。それだけではなく、7節には自分の部下の中で敬虔な人をペテロに向かわせることを見ると、自分の部下たちまでも敬虔なクリスチャンとなったようである。本当に素晴らしい人である。クリスチャン、クリスチャンホームの典型的な模型である。

一次的には、個人が神をしっかり信じ、敬虔な人となり、その後家族を導く責任がある。兄弟や姉妹自身が敬虔ではないのに、どうして敬虔な家庭を作ることができるか。

一般に敬虔な人の姿はどのようにみられるか
①神の権威を恐れる
②神のみことばを喜ぶ
③その方との交わりを楽しむ
④救いの神に限りない感謝と愛
⑤罪に悪に断固として反対

敬虔な人は、性別というか区別はするが、差別をすることはない。
神を恐れる人は、紙以外は恐れない。しかし、神を恐れない人は、神以外は全部恐れて生きる。
私たちは何を恐れて生きるかになる。神を恐れない人は、誰の言葉も聞かない。自分が王なので、ブレーキがない人。これこそ怖い人である。

ヨブ:極度の試練の中でも彼は神を畏れ、神に恨みを言わない。
アブラハム:神を恐れ、イサクをささげる。
ソロモン:神を畏れなかったから、彼は堕落した。それから彼は回復した。
ヨセフ:彼は神を恐れたから性的な誘惑を断り、牢に入るようになった。

●子どもへの信仰継承の大切さ
小さい時には、内容は簡単に態度をもって見せるべきである。子どもたちにとって最高の神学校は家庭、最高の先生はお母さん、そしてお父さんである。ひざ元で学ぶ神学が一番力強い。テモテは、お母さんと祖母の信仰から伝わったと書かれている。

●結婚と敬虔な家庭
信仰より格好よいとか、ハンサムとか、あるいはきれいとか、それに騙されて結婚しては困る。この代価が死ぬまで払い続けなければならない。Houseだけではなく、敬虔なホーム(home)として機能しますように。そのためには、結婚に向けては慎重に条件を考えるべきである。

結婚していない人たちは、こういう人に出会えるように祈るべきである。こういう人に出会うならば、すごく安心である。とくに、兄弟たちがもっとこの面で成長すべきであり、敬虔さが求められる。

創世記2:18に、神は一人で住むのがよくないから、アダムにエバを連れてきた。ところが、間違った結婚になると、二人のほうがもっとよくない場合が出てくる。それで離婚するが、それはあまりよくない。

あまり条件ばかり付けずに、祈りリストでの1番は敬虔な人、その後、性格などを考える必要がある。神を恐れる人は、罪を犯すように誘ってもできない。そして、こういう人による家庭は安心であり、問題があっても修復可能である。夫も妻も問題がある存在なので、罪を犯したり問題があったりする。でも、神を恐れる家庭は互いに赦し愛ができ、罪を悔い改め、関係修復ができる。夫婦がこういう人であるならば、最高によい。したがって、結婚する前は二つの目をばっちり開けて考えるべきであるが、それがなかなか難しい。

2.施し
十戒の最初は神を愛する、2番目は隣人を愛することである。神を信じる、敬虔な人の2番目の大事なことは、仕えることである。それは施し、または仕えによって現れる。

マルコ10:45 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」

永遠に残り、価値あるのは、神にささげたもの、人に仕えたものである。それが富を天に蓄えることである。

神にささげたこと、人のために仕えたこと、魂の救いは大きな報いとして永遠に輝くだろう。でも、若い人はまだ仕方がないが、仕えるのが弱い。なので、これからは周りを見る余裕、仕えるという訓練ができることを祈りたい。

私たちが天国に行った時、神の前に立ったとき、自分で稼いで自分のためにだけ使ってお腹満たしたって、多分褒められることはない。あなたが汗をかいた富をもって、神や人、魂に仕えたことをカウントすると思う。自分だけの腹を満足させてはならない。そういう欲張りではよくない。若い皆さんも仕えることに成長していくようにしてほしい。私たち夫婦はクリスチャンになってからすぐ、自分の新婚の家を開け、人々を招待し、食事をし、聖書学びをしたりした。宣教は仕えである。カフェや教会にも、毎週いろんな人を迎える。妻はまた仕える。昨日もゴスペルのママ二人と、四人の子供が教会に遊びに行きたいと言われ、昼からきてはビビンバを作り、食べたり、チジミを焼いて食べて帰った。仕えの種類は関係ない。なんでもよい。とくに姉妹たちも、自分だけや家族だけにとどまらずに周りへ気を配れる、仕えのできる人となるように祈ります。

3.いつも神に祈る
これに対しては省きます。あまりにも大事ですが、何回も話すことなので。ただ、できるだけ、みんな家全体が祈る習慣。そういう文化を作りましょう。

結びの祈り
天の父なる神様! まずは私たち自身が敬虔な人になることの大切さをしっかり認識できますように。それがあって、神を恐れる敬虔な家庭を築き上げることができますように。私がイエス様との人格的な出会い、質的な関係を保っていく中で、敬虔さを身につけていけますように。この敬虔が自分だけで終わるのではなく、家族や子供たちにも広がることを願います。そこに家長である兄弟の責任、母の膝の上での信仰教育が必要であることを知りました。親としての責任を全うできますように。どうか、敬虔な人、敬虔な家庭を与えてください。まだ結婚していない人には、これから自分が準備され、次にこういう相手に出会い、幸せな家庭、敬虔な家庭を作ることができますように。イエス様のみ名によって祈ります。アーメン

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